ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志・意外な真実」のコーナーです。
劉備といえば三国志の善玉、正義のヒーローです。
仁君であり、仕えるのであればできれば劉備に仕えたいなと思わせる人徳の士です。
悪との戦いの場には常に登場し、活躍します。
黄巾の反乱には義勇軍を率いて参戦。
暴君・董卓との戦いでは兄貴分である公孫瓚の客将として参加しました。
呂布や袁術の討伐、曹操への反乱、そして赤壁の戦い。
劉備は何度倒れても、その都度立ち上がり、志を遂げるために立ち向かい続けるのです。
これって劉備に対する常識的な見解ですよね。
でも「三国志正史」では違うのです。
公孫瓚は反董卓連合に参加していたのか
北の豪族・公孫瓚は「三国志演義」では、
北平の太守として反董卓連合に参加した十七諸侯の一角を担っています。
客将の劉備も同伴しており、董卓軍の猛将・華雄の快進撃を劉備の義弟・関羽が止めました。
出陣前に曹操に勧められた熱い酒が冷え切る前に華雄の首を討ってきたのは有名な話です。
しかし、公孫瓚が反董卓連合に参戦したのは三国志演義の創作です。
河北では袁紹や韓馥が立ち上がっていますが、
公孫瓚はそこに加わると見せかけて韓馥を攻撃しています。
つまり公孫瓚は董卓とはまったく敵対していないのです。
董卓の推挙で奮武将軍に出世しているぐらいです。
なぜ三国志演義では反董卓連合に参加しているのか
理由は至って簡単です。劉備をより善玉にするためです。
公孫瓚が反董卓連合に加わっていないということは、
劉備もその場にいなかったことになります。
最悪のアンチヒーローである董卓との戦いに劉備が参加していないと話が盛り上がらないのです。
劉備が参加していたことにするために公孫瓚も無理やり参加している設定になっているのでしょう。
これに関しては北海の太守・孔融、徐州刺史・陶謙、西涼の太守・馬騰にも当てはまることです。
全員が劉備と係わりをもつ人物たちですので、
劉備と同じ善玉として描くために反董卓連合に参加させられています。
三国志正史では名前はありません。
特に西の馬騰が董卓に反して関東の名士たちに与することはないでしょう。
すべては劉備のキャラ設定のためのフィクションなのです。
【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記】
あの虎牢関の激突は?
三国志の一騎打ちの中でも有名な激闘が、
劉備三兄弟VS飛将・呂布の戦いです。
関羽、張飛を敵にしても互角以上に戦える呂布の武勇に驚きます。
ここから呂布は最強の称号を得ることになりますが、
実際は戦ってもいないということですね。
ここもフィクションというのはかなりガッカリな話ですが、それが真実なのであれば仕方がありません。
そもそも華雄を討ったのも関羽ではなく、孫堅軍ですしね。
どうも三国志演義は劉備たちを光らせ、
話を盛り上げるために他人の手柄を横取りする傾向があります。
フェアじゃないですよね。
本人たちが生きていたら物凄いクレームになったでしょう。
名誉棄損で訴えられても文句言えないのではないでしょうか。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
そう考えてみると、劉備は実際よりも評価が高すぎるのではないでしょうか。
でもそれだと曹操と格差がありすぎですね。
曹操は才能ありすぎですし、実績もあるので、
劉備のライバルとしては完全に似つかわしくなくなってしまいます。
劉備らを脚色しないとバランスが悪いのでしょうかね。
でもなんか嘘っぽくて逆に盛り下るのですが…。
様々な作品で劉備の描かれ方は異なりますが、どれが一番真実に近いのでしょうか。
皆さんはどうお考えですか。
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—