李豊(りほう)とはどんな人?才能ある人物なのかそれともただのポンコツなのか

2017年7月31日


 

司馬師(しばし)暗殺計画。あまり三国志を知っている人でもこの事件を知っている方はいないのではないのでしょうか。この事件の首謀者となればもっと知っている人は少ないと思います。この司馬師暗殺計画を立てた首謀者は李豊(りほう)という人物ですが、彼はちょっと優れている人物なのかそれともただのポンコツなのか。どちらの評価が正しいのかちょっと判断に困る不思議な人物なのです。
 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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名声が高すぎて父から警戒される

 

李豊は魏の朝廷に仕える前に人物評価をする能力に長けていると評判になり、名声が高まっていきます。彼が父のつてによって魏の朝廷に仕官した後も彼の名声は弱まるどころか、日に日に増して行くことになり、彼の家には毎日客がひっきりになしに訪ねてくる状態でした。李豊の父は彼があまり実績がないのに、名声だけが高くなっていく状態に危機感を募らせて、客が彼を訪ねてきても家の門を閉めて合わせることをしなかったそうです。しかし彼の名声はこれだけでは弱まりませんでした。

 

孫呉に轟いていた名声

 

曹叡(そうえい)の時代、呉から将軍が一人降伏してきます。曹叡は呉の将軍がやってくると会見します。彼は呉の将軍へ「呉では魏の人物の中で誰が有名なのだ」と訪ねます。すると呉の将軍は「李豊という人物が一番有名であります」と答えます。曹叡は李豊という人物が誰なのか分からずに側近へ尋ねて、やっと理解する程度の知識しかありませんでした。そのため彼は呉の将軍がいなくなってから側近へ「李豊は孫呉にまでその名声が轟くほどの人物だとは知らなかった」と恥じ入ったそうです。

 

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仕事サボリまくりで全くやる気のない人物

 

李豊は曹叡が亡くなると尚書僕射(しょうしょぼくや)という官職に昇進することになるのですが、彼はほとんど仕事に行くことがありませんでした。当時の魏では100日仕事を休んだらクビになる制度でした。李豊は100日に届きそうになると幾日か仕事をしに行き、再びズル休みを行うことを繰り返しておりました。彼はこのズル休みを何年間も行っていたので同僚からも

 

「あいつは名声だけで、本当は仕事がほとんどできないのではないか。」と陰口を叩かれていたそうです。

 

弟達も兄に似てダメなやつだった

 

李豊の弟達も魏の朝廷に仕えており、二千石の官職をもらって地方の太守を歴任するほどでした。しかし兄貴があまり仕事にやる気を出さなかった影響なのか、李豊の弟である李偉(りい)は任地である扶風(ふふう)郡の統治をしっかりと行うことができずに政治を混乱させてしまいますが、李豊は彼をクビにするように司馬師へ進言することなく、そのまま彼に政治を行わせておりました。

 

そのため民衆や同僚たちは「李豊は司馬師どのから気に入られているから、弟をクビにすることをしないのだ。」とまたも陰口を叩かれていたそうです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

李豊はこのようにダメ人間の象徴のような人物でしたが、司馬師暗殺計画の首謀者であったために処刑されてしまいます。その後彼の家の財産を抑えた司馬師ですが、彼の家に蓄財がほとんどなく、彼がもらっていた物は全て親類縁者や奥さんの弟たちへばら撒いていたそうです。優れていた人物なのかそれともポンコツなのかよくわからない人物ですが、このような人物がいるのも三国志の面白いところではないのかなと思います。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書2 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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