【魏の忠臣】王基が司馬家兄弟に噛み付いたのは魏の国家のためだった

2017年10月13日


 

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寿春(じゅしゅん)で反乱を起こした毌丘倹(かんきゅうけん)文欽(ぶんきん)

司馬師(しばし)は反乱軍を鎮圧するため、

軍略の才能に秀でた王基(おうき)に先陣を任せることにします。

 

 

王基は反乱軍鎮圧のための先陣を任されると敵軍の重要拠点として、

認識さされていた兵糧の貯蔵がされている地へ進軍を開始。

司馬師は王基の進軍が早すぎていることを危惧して、

進軍を遅らせるように命令を出します。

しかし王基は彼の命令に従っては戦機を逸すると考え、

命令を無視して進んでいくことにします。

 

 

司馬師は自分の命令が受け入れられなくてイラッとしましたが、

激怒することなく再度王基へ進軍の停止を命令。

王基は再度司馬師から命令が届くも無視して進軍を続行していくことになります。

だが王基が独断で先行した事によって敵軍は食糧が貯蔵してある地点を制圧することができずに

撤退していくことになります。

さらに文欽と文鴦(ぶんおう)の奇襲部隊の撃退が決め手となって毌丘倹軍は自壊し、

毌丘倹も討ち取られてしまいます。

こうして寿春で起きた反乱は鎮圧されることになるのですが、

鎮圧の火種が完全に消されたわけではありませんでした。

司馬師が亡くなると弟の司馬昭(しばしょう)が跡をついで、

司馬家の当主として君臨。

そして彼の時代になるとある人物が寿春で反乱を起こすのでした。

その人物の名は諸葛誕(しょかつたん)でした。

王基は諸葛誕の反乱鎮圧戦に参加することになるのですが、

この時も彼はやらかしてしまうのです。

それは総大将として全軍を指揮していた司馬昭に噛み付いてしまったことです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛誕反乱討伐戦に従軍すも…

 

王基は諸葛誕が反乱を起こして挙兵すると反乱軍鎮圧作戦に従軍することになります。

彼は軍勢を率いて出陣することになるのですが、

項(こう)と言われる場所に諸葛誕軍の精鋭部隊が篭城しており、

敵軍の進撃を阻んでおりました。

 

他拠点の攻撃命令が伝えられるが…

 

王基は敵の精鋭部隊が篭城している項に攻撃を仕掛けるチャンスをうかがっておりました。

しかし敵が攻撃するチャンスを見せることなく数日が過ぎていってしまいます。

そんな中王基の元へ皇帝からの命令が届いてきます。

その内容は「呉の軍勢が諸葛誕の援軍としてやってきている。

君はすぐに軍勢を率いて呉軍を迎撃することのできる拠点へ攻撃をしかけて、

奪取するように」との命令でした。

王基は部下を呼んで「今。わが軍は項にいる諸葛誕の精鋭部隊を撃破するために

包囲作戦を展開していることは知っていると思う。

包囲作戦を展開している理由はたった一つだ。

それは項の諸葛誕の軍勢の隙をうかがって攻撃するチャンスをつかむためである。

にもかかわらず軍を移動させてた拠点を奪取することに注力するのであれば、

どんな軍略の天才でもこの項の地を落とすことができなくなってしまうであろう。」と述べます。

そして彼は皇帝からの命令を無視して、包囲作戦の展開を継続する決断を下すとともに、

皇帝へ現状を維持するための理由を伝えるのでした。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

王基が包囲作戦を展開し続けた理由とは…

 

王基は皇帝へ包囲作戦を展開し続ける理由をこのように述べておりました。

彼は「今、わが軍は敵の精鋭が篭城している項に包囲作戦を展開していますが、

この作戦は継続するべきだと思います。

その理由は今包囲をやめて他方面に軍勢を移動させてしまえば、

兵士達に大きな油断が生まれてしまうことになり、

戦術上非常に損してしまうことになります。

このまま包囲作戦を展開し続けていれば、

高い壁・深い堀に守られていることから兵士達も動揺することなく、

今までどおりの戦いを行うことができるでしょう。」と反対意見を述べます。

この王基の意見を聞いた司馬昭は「やれやれ」と言いながら王基の作戦を支持。

彼に項の包囲作戦を継続するように連絡を行います。

王基が作戦を展開し続けたことによって、

項に篭城していた諸葛誕軍は撤退することになり魏軍は寿春城を包囲することになるのです。

 

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寿春包囲の指揮を執る司馬昭

 

司馬昭は寿春に敵軍を追い詰めることに成功すると各軍勢を率いる将軍達へ

寿春城包囲の配属を割り振っていきます。

王基はこのとき城の東と南を受け持つことになります。

司馬昭は王基の陣営をおとすれる使者たちへ

「君達がもし王基の陣営を訪れる際、自由に行動することをしてはいけない。

しっかりと王基将軍の言うことを聞いて行動するように」と訓示を与えておりました。

司馬昭は王基の軍勢が規律正しくしていることから使者達が好き放題行動することによって、

王基に損害を与えることになるかもしれないと考え、行動制限を命じたのでした。

 

王基の奮戦

 

寿春の城に篭城していた諸葛誕の軍勢は包囲の陣を破壊しようと

幾度も城外に布陣している魏の軍勢に攻撃を仕掛けます。

王基が担当していた部署にも敵軍が幾度となく押し寄せてくることになります。

しかし王基はしっかりと担当部署を守備し敵軍の攻撃を撃退しておりました。

この王基ら諸将の活躍によって寿春城は陥落し援軍として寿春城に篭城していた呉軍は降伏。

諸葛誕は逃亡しようとしていたところを討ち取られることになります。

こうして寿春城が陥落したことによって反乱は鎮圧されることになるのです。

 

司馬昭から褒められる

 

寿春が陥落し、

反乱軍の総大将・諸葛誕が討ち死にしたことを知ると司馬昭は王基へ手紙を送るのでした。

司馬昭は王基へ「私は現場に到着するまでは側近達の言うことが正しいと思っていた。

しかし現場に到着してみると君の言っていることが正しい事に気づかされることになった。

君は幾度も私の命令に背いていたが、結局敵を討伐することに成功しており、

古の人物達にも君のような人材を見つけることはできないであろう。

此度は本当によくやってくれた」と彼を褒める手紙を送っておりました。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

司馬師・司馬昭兄弟に噛み付いていた王基

彼ら兄弟に噛み付いていたのは彼らが気に食わなくて噛み付いていたのではなく、戦

術上彼らの判断が誤りであり、

そのままにしておけば魏軍においてとんでもない大損害をまねきかねない可能性があったため、

命令に逆らってまで噛み付いたのでした。

もし彼らに逆らって敗北してしまえば、司馬師・司馬昭に殺されていたかもしれません。

だが王基は自分の戦略眼に自信を持っており、絶対に失敗しない自信があったからこそ、

二人に噛み付いたのでしょう。

また自分の損得を考えずに国家のことを真剣に思っている人物といってよく、

司馬家の兄弟にとって忠臣といえる存在であったのではないのでしょうか。

そして司馬師や司馬昭も名君と言っていいでしょう。

今も昔も普通部下に逆らわれたりしたら、

上司は激怒して二度とその人物を使うことはないでしょう。

しかし二人は王基に激怒するそぶりすら見せることなく、

かえって褒めて褒美を与えて彼のやる気を削ぐようなことを一切しておりません。

王基もまた部下の心をつかむことのうまい人物でした。

彼は諸葛誕の反乱で功績をあげてもらったご褒美は侯の爵位でした。

しかし王基は「爵位は自分に与えるのをやめて欲しい。

私に与えるよりも私とともに戦ってくれた部下達に与えていただきたい」と

ここでも司馬昭へ噛み付いています。

司馬昭は彼の意見をとり言れて、

諸葛誕討伐戦で王基の元で活躍した武将達に侯の位を与えるのでした。

王基も部下の扱い方をしっかりと心得ている優秀な人材と言っていいのではないのでしょうか。

部下達からすれば、

王基・司馬昭のふたりは優秀で部下を大切にする上司と言っていいのではないのでしょうか。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書4 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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