江南は春秋戦国時代から僻地と言われておりましたが三国志の時代になると一変。
孫権が江南地方を領有する軍略に優れた周瑜(しゅうゆ)や陸遜(りくそん)、
天下三分の計発案者・魯粛(ろしゅく)、武略に優れた・甘寧(かんねい)、
凌統(りょうとう)など多くの武将を保有して、
中原に負けないほどの軍事大国として成長を遂げます。
また文化の点でも江南の八絶と言われる八人のプロフェッショナルを集めて、
中原に負けないほどの文化力を形成。
今回は孫呉に八絶ありと言われた八人のプロフェッショナルをご紹介しましょう。
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この記事の目次
江南八絶の一人:風占いの達人で関羽の捕縛時期もぴたりと当てた・呉範(ごはん)
江南八絶のトップバッターは風占いの達人である呉範(ごはん)です。
呉範は風占いの術を習得するとこの占いが外れることなく当たることから、
会稽郡全体でその名を知られていくことに。
孫権が孫策の跡を継いで孫呉政権のトップに就任すると、
呉範も孫権の元で仕えることになります。
孫家の宿敵であった黄祖(こうそ)討伐戦に従軍して風占いを行い孫権へ
「黄祖(こうそ)を討ち取ることが出来るでしょう」と言い切ります。
孫権は半信半疑で呉範の占いを聞いておりましたが、
呉範の風占いはバッチリと的中。
黄祖は孫呉の軍勢に敗北した後逃亡することになりますが、
孫権配下の親衛隊に討ち取られることになります。
また孫権は関羽が荊州軍を引き連れて北伐を開始した際、
劉備との同盟を破棄して荊州へ軍勢を侵攻。
孫権は関羽を捕縛するため麦城へ追い詰め関羽に降伏勧告を行います。
関羽は劉備の元へ撤退することができないことを悟り、
孫権の降伏を受け入れた振りをして益州へ逃亡を図ります。
孫仲謀は関羽が降伏する旨を伝えてきますが本当に関羽が降伏するのか疑い、
呉範へ「関羽の降伏が本当か確かめて欲しい」と要請。
呉範は得意の風占いを行い「関羽の投降は嘘です。
やつは投降する振りをして益州へ逃亡するつもりでしょう。
しかし逃亡しても逃げ切れることはできずに必ず捕まることになります。」と
孫権に占い結果を伝えます。
孫権は呉範へ「いつ頃捕縛できるのか」と訪ねます。
すると呉範は「関羽は明日の正午にはここにやってくることになるでしょう」と伝えます。
孫権は翌日水時計と日時計を使って正午まで待ちますが、
関羽が捕縛されたとの報告はやってきませんでした。
孫権は呉範へ「デタラメを言ったのか。」とキレ気味に言い放ちます。
しかし呉範は孫権の怒りに臆することなく「いやいや。まだ正午にはなっておりません。
もう少し待てばやつはやってくるでしょう」とケロっとした顔で述べます。
呉範の進言があってから数分が経った頃、関羽捕縛の報告がやってきます。
孫権は関羽捕縛の報告を聞くと「さすが江南八絶と言われた呉範だ!!」と
大喜びで彼の肩を叩いて褒めちぎったそうです。
江南八絶の一人:孔明もびっくり神の如き能力を持つ男・劉惇(りゅうとん)
呉範は風占いで孫権の軍事に貢献してきましたが、
もうひとり江南八絶で孫家の軍事に欠かすことのできない人物がおります。
その人物の名は劉惇(りゅうとん)といいます。
劉惇は占いで江南にその名を轟かせた人物で、
旱魃や災害があると予見すれば外れることなく必中。
更に賊軍が近くに来ることを予見すると
賊軍がどこの道を通ってやってくるかも言い当てます。
劉惇は賊軍の通り道がわかると近隣の村人を即席軍として組織。
劉惇自ら先頭に立って迎撃軍を指揮して賊徒討伐に成功するのです。
このことから劉惇は民衆から神の如き力を持った「神明」と呼ばれるようになります。
蜀のスーパー丞相諸葛孔明が劉惇の実績を知ったらびっくりしたのではないのでしょうか。
劉惇は賊徒討伐後に孫権の従兄弟である孫輔へ仕えることになります。
孫輔が曹操との内通疑惑によって処刑された後は孫権に仕えて、
力を尽くすことになります。
【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記】
江南八絶の一人:神技「九宮一算の術」を使って全てを当てた・趙達
占いばかりをやる人が江南八絶と言われていたわけではありません。
次に紹介するのは神技「九宮一算の術(きゅうきゅういっさんのじゅつ)」と
言われる技を使って全てを言い立てた趙達(ちょうたつ)です。
趙達は「九宮一算の術」の術を使ってイナゴが発生した際、
どのくらいイナゴがやってくるのかを言い当てたり、
隠しものがどこにあるのかも全て言い当てることができたとんでもない人物です。
趙達の友人は趙達が全て言い当てることに疑問を持ち
「君が本当に全てを言い当てることができるのか確かめたい。
この樽の中にはあずきが入っているが、
今から樽をぶちまけてあずきがどれほど入っているか教えてくれないか」と述べた後、
あずきを倉庫の中にぶちまけます。
趙達は神技「九宮一算の術」を駆使してあずきの個数を言い当てます。
友人はあずきをかき集めて個数を数えると趙達が言った個数と同数であったそうです。
またある友人の家に趙達が遊びに行った時、ご飯を食べさせてもらいます。
友人は「君が来ると分かっていたら美酒を用意し、美味しい肴を用意していたのだが。」
と言った後謝ります。
趙達は持っていた箸をふったり転がしたりした後「君はどうして嘘をつくんだ。
君の家の東側に美酒と鹿肉があるではないか。」と述べます。
すると友人は驚いて「申し訳ない。君の言うとおりだ。
君がなんでもあてることができるから試したのさ。」と苦しい言い訳を言った後、
美酒と鹿肉を用意して宴会を行ったそうです。
このようになんでも当てることができた神技「九宮一算の術」を用いて孫権に仕え、
大いに孫呉政権に寄与したそうです。
残りの江南八絶を一挙にご紹介:皇象(こうしょう)・厳武(げんぶ)・宋寿(そうじゅ)・鄭嫗(ていう)・曹不興(そうふこう)
さて残りの江南八絶を一挙にご紹介しましょう。
まず書の達人であり、江南ばかりか中原にも並ぶものなしと言われた皇象(こうしょう)。
曹操を悪役から脱却させるきっかけとなったネオ三国志「蒼天航路(そうてんこうろ)」では、
曹操の元にやってきた孫呉の使者・諸葛瑾(しょかつきん)へ
「皇象を俺の元へよこせ」と言わしめたほど有名な人物です。
次にヒカルの碁に登場し「神の一手」を極めた
平安時代の天才棋士・藤原佐為(ふじわらのさい)も
ビックリする程の強さを持った碁の神様・厳武(げんぶ)。
江南地方だけでなく中原においても厳武の碁の強さに並ぶものはいませんでした。
六人目は夢占いで外したことは一回もなかった・宋寿(そうじゅ)。
七人目は人相見で定評のあった鄭嫗(ていう)。
そして最後の八人目は絵を書かせれば、
本物と間違うほど精巧に書くことができた曹不興(そうふこう)です。
孫権は曹不興が書いたハエの絵を見て本物と間違えて叩き落とそうとしたそうです。
上記八人を持って江南八絶と言わしめた絶技を持ったプロフェッショナル達を
ご紹介しました。
三国志ライター黒田レンの独り言
江南八絶は周瑜や魯粛達の軍略や政略、
甘寧や凌統などの武将達の武功などに比べれば地味な活躍しかしていないでしょう。
しかし江南八絶と言われた絶技を持ったプロフェッショナルの八人がいたことで、
孫呉政権の安定に寄与したり、
江南の文化力を中原レベルまでに引き上げたと言えるでしょう。、
彼らも華々しい功績を挙げていなかったせいで、
歴史の陰に隠れてしまった有名人と言えるのではないのでしょうか。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志呉書 小南一郎著など
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—