蜀(しょく)の初代皇帝劉備(りゅうび)は親戚の金で塾に通いながら学問には身を入れず、馬やドッグレースや音楽やファッションに凝って遊んでいたやんちゃ者。
豪快な侠気のある人たちと好んで交際を結び、人脈をフル活用しながら度重なる合戦をかいくぐり、何度敗れても不死鳥のように蘇り、しまいには勝手に帝位につきながら誰にも後ろ指をささせなかった一代の傑物です。
そのスッゴイ劉備親分が、三国志演義ではなぜだか無能者のように描かれています。三国志演義の主役級の主君として、なぜ自分の力で運命を切り開いた英雄のままではいけなかったのでしょうか。
三国志演義の劉備像
三国志演義の劉備はのっけから情けないです。義勇兵募集の立て札を見ながらため息をついていて、通りすがりの張飛(ちょうひ)に「国のために働こうともしないでため息なんぞついていやがって」としかられます。
そこで劉備は、実は自分は王室の末裔で、天下が乱れているのをなんとかしたいと思いながら力が足りず……、と泣きごとを言うと、張飛が一緒に挙兵しようと誘い、張飛のお金で軍勢を整えることができました。以後、ずっとこんな感じです。
劉備は大きな夢を持っていて、こんなふうにしたいなぁと漠然と思っていながら具体策がなく、まわりの人間がチャッチャカ働いて劉備を皇帝に押し上げるというストーリー。劉備のとりえは民を愛し仁を重んじる優しいお人柄と血筋だけ。
特技は夢を語ることと泣くことで、帝位に上れたのは全て部下たちの力であるかのような人物像です。
正史三国志およびその注釈の引用文献における劉備像
正史三国志と、その注釈に引用されている文献を見たところ、劉備は三国志演義のような優しいばかりの無能者ではありません。自分が地方の尉(い。武装警察署長)として勤務していた時に、巡察に来た督郵(とくゆう。監察官)が無礼な態度をとったため、劉備は腹を立てて督郵を縛り上げて二百回も杖でうちすえた挙げ句、柱にくくりつけ、自分の官印を督郵の首にぶら下げて官を捨てて逃亡しています(正史本文)。(やり方が極道っぽいですね……)
徐州(じょしゅう)の陶謙(とうけん)が曹操(そうそう)に攻められて劉備に救援を求めた時は、劉備は救援に向かう途中で見つけた飢えた民衆数千人をむりやり配下に組み入れていますし(正史本文)、呂布(りょふ)に根拠地を奪われた時は、食べるものがなくなって官吏も軍人も身分の高下にかかわらず食らいあって生き延びました(『英雄記』)。思うとおりにならなければメソメソ泣いて誰かに助けてもらうのを待っているような、そんな甘っちょろい人ではありませんでした。
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三国志演義の脚色
三国志演義は、正史三国志やその注釈に引用されている文献を元にして、エンタメ的に面白くかつ三国志演義成立当時の人々に「義」を分りやすく説明できるように脚色を加えながらまとめられた歴史小説です。
三国志演義を編纂した人たちは、当然正史三国志やその注釈の引用文献を読んでいます。読んだうえで、あえて劉備を甘っちょろい無能者として書き換えているんですね。監察官を叩きのめしたエピソードは、正史では劉備がやったことになっていますが、演義では張飛のしわざに書き換えられています。
三国志演義で劉備の軍師の諸葛亮(しょかつりょう)が初めて軍配を振るった博望坡(はくぼうは)の戦いも、正史では劉備が自分でやっているのに、演義では諸葛亮の仕事として書き換えられています。
三国志演義の劉備はなぜ無能者でなければならないか
三国志演義はなぜ劉備を無能者のように描くのか。それは、三国志演義が成立した時代(形がまとまったのは明(みん)末~清(しん)初)の知識人の価値観と関係があります。
三国志演義のような小説は、当時の公務員試験である科挙(かきょ)の受験中のような知識人が書いていました。
知識人たちにとっての理想の君主像は、黙って自分たちの能力を買ってくれる優しい君主です。君主に自分で仕事なんかしてほしくないのです。これは古代からの伝統的な考え方でして、「周礼(しゅうらい)」にも「坐(ざ)して道を論ずる 之(これ)を王公と謂(い)い、作(な)して之を行う 之を士大夫と謂う」とあります。
君主は理想だけを言っていればいいのであって、実際に世の中を動かすのは自分たちである、という自負を、知識人たちは持っていました。君主は無道でなければなんでもいいのです。むしろ、なんにもできなくて臣下の進言をなんでも聞いてくれる君主であってくれるほうが嬉しいのです。このため、物語の主役級の主君にふさわしいように、劉備は理想化され、無能化されました。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志演義の劉備はいい人です。熱い思いに力が追いつかず涙を流している姿を見ると、つい応援したくなります。これはこれでいいキャラクターだと思うんです。でも、正史の劉備親分があまりにもすごすぎるので、親分のワイルドな魅力が物語化の過程で知識人たちによって骨抜きにされてしまったのは、個人的にはちょっぴり残念な気がしています。
正史のほうに馴染みがないという方は、もしご興味がありましたら蜀志の先主伝をお読みになってみて下さい。親分、スッゴイですから!
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