大都市西安の碑林博物館をよかミカンが見学したよ

2018年3月10日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

始皇帝(しこうてい)(しん)帝国の首都、

三国志の董卓(とうたく)跋扈(ばっこ)した街、(とう)の都、長安(ちょうあん)

シルクロードの出発点で、現在では西安(せいあん)と呼ばれています。

その西安に、私ことよかミカン、行ったことがありますので、

どういう場所だったかご紹介させて頂きます。

 

関連記事:モンゴルの漢族支配から生まれた名物料理「刀削麺」

関連記事:【ビジネス三国志】便利な人で終わらない重んじられる技術

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



西安の概要

 

西安は中国の北のほう、しゃくとり虫のような形の黄河(こうが)の流れが

東に向かってカーブするポイントから西に80kmほどの地点にあります。

陝西省(ちんせいしょう)とか渭水(いすい)盆地とか言ったほうがいいんでしょうけど、

そういう言葉を聞いてピンとくる方はそもそも西安の場所をご存知ではないかと)

 

(しゅう)(紀元前千年ごろ~)のはじめのころに都がおかれていました。

後に天下統一を果たした秦帝国の首都でもあり、続く(かん)でも

最初のころは首都となっていました。

後漢(ごかん)の首都は洛陽(らくよう)でしたが、末期には三国志で

暴虐非道な人物として有名な董卓が長安への遷都を強行しています。

 

(ずい)、唐の時代にも首都であり、唐代には100万を超える人口を擁する世界最大の都市でした。

各地から使者が訪れる国際都市であり、日本からも数度にわたって遣唐使が訪れています。

長安の街の構造は日本の平城京や平安京の都市デザインのモデルとなったといわれています。

楊貴妃(ようきひ)とのロマンスで有名な玄宗(げんそう)皇帝の治世に唐は繁栄の絶頂期を迎え、

その頃の長安では李白(りはく)杜甫(とほ)などの詩人が過ごし、

遣唐使の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)が仕官していました。

 

現在の西安は工業都市として栄え、ITなどの先端技術にも力を入れています。

また、数々の歴史遺産を有する観光都市でもあります。

郊外には半坡(はんぱ)遺跡、兵馬俑坑(へいばようこう)永泰公主墓(えいたいこうしゅぼ)などの考古学的に興味深い遺跡や、

平山郁夫(ひらやまいくお)の絵で有名な大雁塔(だいがんとう)

玄宗皇帝が冬に楊貴妃と入り浸っていた温泉地の華清池(かせいち)

空海(くうかい)恵和(けいか)から密教の教えを受けた青龍寺(せいりゅうじ)などがあります。

(大雁塔と青龍寺は西安市街から近いです)

 



歴史と現代が共存する街並み

 

西安は歴史的な都市の構造を残しており、道路は東西方向と南北方向の道が交差する

マス目状で、周囲を城壁に囲まれています。

南側から見た場合の幅が3kmあまり、奥行きが2.6kmほどです。

壮麗な城壁を残した大都市である、という印象です。

城壁の下に作られたトンネルを自動車や荷車が

ふつうに往来している賑やかな様子を見ていると、

歴史の街の上にそのまま現代がある様子が感じられました。

城壁は唐代の基礎の上に(みん)代に補修されたもので、

高さは12m、てっぺんの幅は15mあり、登って散歩することができます。

レンタサイクルでも回れるようです。

 

南側の城壁中央の安寧門(あんねいもん)を入ると、真正面に鐘楼(しょうろう)が見えます。

これは街の中央部南よりに位置し、時を告げたり物見台の役割をしたりするものだったそうです。

重櫓複屋(ちょうろふくおく)という独特の建築様式で、外から見ると三階建てのようですが内部は二階建てです。

街の中にはイスラム街、骨董街、レストランの建ち並ぶ通りなど、みどころがいっぱいです。

私が一番面白かったのは「碑林(ひりん)博物館」でした。

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記

 

すっごい碑文が無造作に並ぶ碑林博物館

 

碑林博物館は南側の城壁の文昌門(ぶんしょうもん)からすぐのところにあります。

私はなんにも知らずに何気な~くぶらぶらと行ってみたのですが、

すごいものがありすぎてびっくりしました。

2000年も昔の漢代のものや、超有名人の顔真卿(がんしんけい)の書などの石碑が、

墓石みたいに無造作にびっしり立て並べてあるんですよ。

 

歴史的に重要そうに思えるものも、カバーも何もなしで立っているものが多く、

観光客が手で触ってツルツルにしてしまえそうな感じです。

悠久の歴史を持つ中国では珍重するべき文物の基準が日本と違うのかも、と感じました。

 

世界史の教科書に載っていた「大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)

(唐代にネストリウス派キリスト教の伝来などを記した碑)もありました。

こちらはさすがにカバーがついていました。

見上げるような大きさでした。

 

名物料理「餃子宴(ぎょうざえん)」

 

西安では粉食がさかんで、いろんな形状のおもしろ麺類を食べることができます。

しかし西安グルメで絶対外せないのは蒸し餃子です。

餃子宴(ぎょうざえん)」と呼ばれる西安の名物料理で、

いろんな味や形のかわいい蒸し餃子を味わえるコースがあります。

 

花の形、金魚の形、ヒヨコの形、などなど。見た目もかわいく味もおいしいので、

西安へ行かれたらぜひ召し上がって頂きたいです。

私は一人でランチを頂きましたが、お一人様用の「いろんなものを一個ずつ」のコースが

あったのでよかったです。

そういうコースがあるお店は多いようですので、一人旅の方もぜひトライしてみて下さい!

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

大昔からの都、国際都市、シルクロードの起点。

そして、歴史を感じさせる城壁と現代の先端技術が共存する西安。

歴史好きの方には居るだけで楽しい街だと思います。

おいしい蒸し餃子を食べながら楊貴妃や董卓(!)に思いを馳せるのは

なかなかエキサイティングな体験でした!

 

関連記事:東方明珠のへなちょこ洛陽旅行記 その1

関連記事:東方明珠のへなちょこ黄河旅行記 その2

 

転職活動に役立つ特集記事

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

-三国志の雑学
-,