【子供は親のコピー】劉備の阿斗投げを容認する儒教の驚きの論理


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

劉備

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で、曹操(そうそう)軍の追撃を受けた劉備(りゅうび)が、自分を(した)ってついてきた民も

妻子もかえりみずスタコラサッサと逃走した長坂(ちょうはん)の戦い。

劉備の頼れるお守り刀武将である趙雲(ちょううん)が乱戦の中から劉備の長男・阿斗(あと)

助け出してくると、劉備は「ガキのために一人の大将を失うところであった」と言って、

まだ赤ん坊だった阿斗を地べたに放り投げました。

三国志演義の劉備は「仁徳(じんとく)の人」だということになっていますが、赤ちゃんを投げるという

ひどい振る舞いをしていながらどうして仁徳の人でいられるのでしょうか。

背景を考えてみました。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:曹操は最初から荀彧を遠ざけていた!?原因は強烈なニオイ

関連記事:【徐庶ママ酷すぎ】息子の評価が軽くグレるレベル


儒教社会でとっても大切にされる徳目「孝」

儒教

 

儒教では、「(こう)」がとても大切にされています。三国志演義が成立した頃の中国は

儒教社会であり、民間レベルの理解としては、「孝」は絶対でした。

人間として身を立てる根幹であり、正義の根本。

親孝行な人は立派な人、親孝行じゃなかったら人でなしです。

 

新唐書(しんとうしょ)』巻百九十五の「孝友(こうゆう)」編に、親孝行のために子供が自分の肉を(けず)って

親に食べさせることが流行ったことを示す記述があります。

これは『本草拾遺(ほんぞうしゅうい)』という薬学系の書物に人肉の薬効が記されていたことから、

親が病気の時にその治療のために子供が自分の肉を食べさせたということなのですが、

この風習は(しん)の頃まで流行し続けました。

 

肉を切り取ったことが原因で亡くなる人も大勢いましたが、子供が命をかけてまで

「孝」を追求することは珍しくないことだったのです。

この考え方でいけば、阿斗が父親である劉備の都合でどんなことになろうとも、

阿斗は「パパの役に立ててよかった」と思わなければならないわけです。


子供は父親の所有物であるという考え方

易牙

 

春秋時代の斉の桓公の料理人である易牙(えきが)は、桓公(かんこう)が「これまで世界中のうまいものを

食ってきたけど人肉はまだ食べたことがないなぁ」と言ったところ、

自分の子供を殺して料理して桓公に食べさせたそうです。

人の命を勝手に奪っちゃだめでしょ、と思いますが、儒教的な考え方では

子供は父親の所有物だったので、そんなこともできたんですね。

 

「晋律」には「違反教令、敬恭有虧、父母欲殺皆許之」と規定されているそうで、

子供が教えに背き、恭しくなければ、父母が子を殺しても罰せられなかったようです。

親が子供を自分の判断で処分してしまっても許される社会だったんですね。

この考え方でいけば、劉備が阿斗を地べたに投げても、

まあ父親だから子供を自由にする権利はあるだろうなぁという理解をされるわけです。

 

日々の生活を工夫で楽しくする『三国志式ライフハック

三国志式ライフハック  

儒教とは何か

 

『儒教とは何か』の著者の加地伸行(かじのぶゆき)先生(弟子でもなんでもないのに勝手に先生と呼ぶ)

によれば、儒教の本質は、生命の連続を大事にすることなのだそうです。

祖先からずっと伝わってきている生命を後世に伝えるために

自分はここにいるのだそうです(加地先生のお説の引用はここまで)。

この考え方に基づけば、自分が受け継いできたものを、子供という形で次代に

継がなければならないわけですよね。

 

自分をへりくだって言う時に使う「不肖(ふしょう)」という言葉がありますが、

これは儒教的発想に基づく言葉で、親や師に似ていないという意味です。

儒教では、子は親の完全コピーであることがいいことです。

代々受け継いできたものに何も足さず、何も引かず、再生産していくことが人生の目的です。


子は量産可能な複製品!?

三国戦士

 

『晋書』巻九十の良吏伝(りょうりでん)にこんな話があります。

鄧攸(とうゆう)という人が北の戦乱を避けて南方へ行こうとした時、自分の子供と弟の子供を

連れていましたが、途中で馬も牛も失い、子供を二人とも連れて歩いて行くのは無理だと

判断しました。その時、鄧攸は自分の子供を捨てて、弟の子を連れて行くことにしました。

理由は、弟がすでに亡くなっており、弟の子は今連れているその子だけだったからです。

 

自分はこれからまた子供を作ることができるが、弟の子はここで死なせると後代が絶えてしまう。

だから自分の子供を捨てて弟の子を連れて行く。そういう判断です。

自分の命さえあれば、子供を失ってもこの先いくらでも複製が可能だという発想です。

 

現代を生きる自分は、祖先からの全てを受け継いでいる唯一無二のオリジナルであって、

自分が作る子供は自分の複製品であり、いくつも作ることができる、という考え方。

こういう発想なら、親が子供よりも自分の人生を優先させることは当たり前です。

阿斗を放り投げてもし万が一の事態に陥っても、劉備が健在ならまたいくらでも

複製品を作れますから、大したことではないと考えられていたのでしょう。


  

三国志ライター よかミカンの独り言

よかミカン

 

子は親に従属する存在であり、いくらでも複製が可能なもの、という考え方。

そういう考え方なら、親が自分の都合で子供にひどいことをしても、

子供より親のほうが大事なんだから当然でしょと思われるだけです。

だから劉備は赤ちゃんを投げるひどい人でも仁徳の人のままでいられたんですね。

阿斗のためにも、自分が投げられることで父親が武将たちの心をつかんでトクするなら

親孝行になってめでたしめでたしというわけです。

 

赤ちゃんが可哀相じゃないか、とか、子供は大事にしろよ、という発想は、なかったんでしょうね。

むしろ、骨肉の情よりも君臣間の義のほうを重視するナイスガイとしてよけいに

評価が上がっちゃったわけです。

現代人としては、情のほうも大事にしてくれよ~と思いますが……。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:愛されすぎてことわざになった人・諸葛亮(しょかつりょう)編

関連記事:【荊州獲ったどー!】諸葛亮&愉快な仲間の州乗っ取り計画

 

伝説の企画 朝まで三国志 最強の軍師は誰だ

朝まで三国志2  

関連記事

  1. 破竹の勢いで呉を攻める杜預
  2. 袁術
  3. さっさと処刑しろと張飛にキレる厳顔
  4. 魏と国号を決める曹丕

    はじめての魏

    曹丕が建国した魏ってどんな王朝でどうやって滅びたの?

    三国時代の中で最も巨大な国は魏(ぎ)でした。漢王朝復興…

  5. 雨の中進軍する曹真
  6. 関羽に無視される孫権

コメント

  • コメント (1)

  • トラックバックは利用できません。

    • K
    • 2019年 9月 11日

    儒教は違ったイメージが流布されていますが、
    自分の肉を食べさせるのは行き過ぎだと朱子が朱子語類で言っていますよ。
    論語だけ読むと間違った解釈をしかねませんが、
    孔子家語や考経、五経に目を通すと全く違った孔子のイメージが
    浮かび上がって来ると思いますよ。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP