かわいそうな阿斗(あと)の壮絶な人生

2015年7月29日


 

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劉禅

 

阿斗(あと)、劉備の息子劉禅(りゅうぜん)の幼名です。中国語辞典でこれを引くと、「阿斗A Dou」→「ばか者、あほう、ろくでなし」と出ます。

劉禅と孔明

 

劉禅は、有能な諸葛孔明の補佐を受けながらも、うまく立ち回ることができず、しまいには蜀漢を滅ぼしたということで、後世の人々から、残念すぎる男という烙印が押されてしまいました。

 

司馬昭の質問に回答する劉禅

 

蜀漢の皇帝にもなった人なのに……!諱(いみな)でも、(あざな)でもなく、幼名で呼ばれてしまうという屈辱的な扱いの上、ばかを示す慣用句にもなってしまったかわいそうな阿斗。この涙なしには語れない、阿斗の受けた数々の災難をまとめてみました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本来の阿斗の意味

劉備と4人の妻

 

母親の甘(かん)夫人は妊娠中、北斗七星をのみこむ夢を見ました。そこでおなかの子供は北斗七星の加護を受けた輝かしい男児に違いないと確信し、阿斗と名付けました。「阿」は「~ちゃん」という意味ですので、「北斗ちゃん」という雰囲気の幼名になります。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

この当時にまだ道教は確立しておらず、その原型となる太平道、五斗米道などが発生したばかりの頃ですが、道教において北斗七星というのは、重要な神です。当時すでに北斗七星を神格化する考え方が広まりつつあったと考えてもよいでしょう。阿斗は、ともすれば神の申し子では!?という期待のもとに生まれた子供だったのです。ところが実際は……。

 



生まれてすぐ、戦火の中におきざり

逃げる劉備追う曹操

 

208年、荊州に滞在していた劉備(りゅうび)のもとへ、曹操(そうそう)が攻めてきます。劉備は必死に逃げますが、曹操の精鋭部隊に追いつかれてしまい混戦状態となります。劉備は、大将が死ぬわけにはいかないということで、いち早く逃げます。

 

このとき阿斗は、劉備の正室である糜(び)夫人と行動を共にしていました。生母の甘夫人は側室でしたので、阿斗は正室の糜夫人に嫡男として育てられていたのかもしれません。

 

戦場で、命に係わる恐怖の体験

進軍する兵士a(モブ用)

 

生まれたばかりの乳児だった阿斗は、糜夫人に抱かれ、戦場を逃げまどいました。この際に糜夫人は致命傷を負います。車から転がり落ちるとか、兵士に刺されながらも命からがら逃げるとか、そういう目に遭ったと考えられます。阿斗も一緒に、本当に怖い思いをしたに違いありません。

 

目の前で、育ての母が自殺

超雲 阿斗 守る ゆるい

このとき、趙雲(ちょううん)が単騎で駆け戻ってきました。阿斗と夫人らを救出に来たのです。糜夫人は阿斗を趙雲に託します。ですが、致命傷を負っていたために、足手まといになることを怖れ、井戸に身投げして自殺してしまいます。阿斗は目の前で、養母を失ってしまうのです。

 

父は喜ぶどころか、阿斗を投げ捨てる

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

戦場におきざりにされた阿斗は、助けに来た趙雲(ちょううん)の胸に抱かれて陣中へ戻ります。劉備は、ここで幼い息子を抱きしめて涙を流して喜ぶ……、ということはせず、再会を喜ぶどころか、な、なんと、阿斗を地面にたたきつけます。

 

……死にますっ! 死にますって、アニキ!!

 

朝まで三国志 劉備

 

そして

「こんな子供のために、趙雲みたいな有能な部下をなくすところだった!」

と叫ぶのです。完全に八つ当たりです。劉備の言葉に感激する趙雲の横で地面に転がり泣きじゃくる阿斗……、かわいそうですね。

 

生母とも死別

劉禅

 

無事に命を繋いだあとも、そう簡単に平穏な日々は訪れませんでした。生母の甘夫人が、病で亡くなってしまったのです。養母、生母ともに、亡くしてしまった阿斗はひとりぼっちです。もちろん忙しい父親が、かまってくれるはずもないでしょう。心に抱えた空虚な想いは、膨れ上がるばかりでした。

 

 

まもなくやってきた義母は武器マニア

孫尚香

 

甘夫人の死後まもなく、劉備のもとには孫権の妹が嫁いできます。孫尚香(そんしょうこう)という名で知られた女性です。ここでは、孫夫人と記します。

 

孫尚香

 

孫夫人は、少し変わった趣味を持っていて、武器が大好きで、部屋をものものしい武器で飾り立て、侍女たちをいつも武装させていたといいます。彼女の部屋を訪れるとき、劉備はいつもびくびくしていたといいますから、幼い阿斗は言わずもがな、おそろしくてたまらなかったでしょう。

 

「ぼく、逆らったら殺される……!」

 

そんな危機感さえ、抱いていたかもしれません。

 

呉に拉致される寸前

孫権 劉備 対立
それでも、孫夫人と阿斗はだんだんと親しくなっていきました。生まれてすぐに母を失った阿斗にとっては、孫夫人の存在は大きなものだったに違いありません。しかし2年後、劉備と孫権(そんけん)の関係にひびが入ります。当時劉備は、入蜀のために戦に出ていて、孫夫人と阿斗は、拠点に残されたままでした。そこへ孫権から妹へ、呉へ戻ってくるようにとの手紙が来ます。

 

孫夫人はこのとき、阿斗を一緒に連れて行こうとします。孫権への手土産に、劉備の嫡男を人質に連れて行こうと思ったのかもしれませんし、阿斗がたいへん孫夫人に懐いていたために、ちょっと旅行に連れて行こう、すぐに戻ってくるし、という気持ちだったのかもわかりません。しかし、劉備の家臣たちからすると、嫡男誘拐ということで、大事件です。

 

張飛と趙雲が追いかけ、孫夫人から力づくで阿斗を奪い返しました。以上、幼い阿斗の身に起こった様々な事件でした。

 

 

 

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東方明珠

東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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