春秋と史記に隠された意味がダヴィンチコードレベル

2018年6月16日


 

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儒教と孔子

 

中国史を学ぶ上で

理解しておきたいのが儒教(じゅきょう)

 

儒教は春秋時代(しゅんじゅう)の思想家・孔子(こうし)を祖とする学問で、

その孔子の教えが記された書物のことを

経書もしくは経典と呼びます。

 

経書の中でも特に覚えておきたいのは、

五経と称される

易経(えききょう)』『書経(しょきょう)』『詩経(しきょう)』『礼記(らいき)』『春秋』、

そして四書と称される

『論語』『孟子』『大学』『中庸(ちゅうよう)』あたりでしょうか。

 

五経は前漢時代に董仲舒(とうちゅうじょ)の進言で

五経博士が設けられた際に定められたもので、

四書は南宋の儒学者・朱熹(しゅき)が定めた

五経を学ぶための入門書です。

 

しかし、儒教の経典は入門書レベルとされる四書でも難解。

たくさんの注が付けられ、

時代が下るにつれてさらに注の注がつけられるレベルほどです。

 

なぜそんなに注が必要なのか?

それは孔子の言葉がその言葉以上に奥深いからなのです!

 

関連記事:孔子・孟子・筍子?儒教(儒家)ってどんな思想?

関連記事:知らないと損をする!孔子に学ぶ健康法が参考になりすぎる!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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春秋の筆法

孔子

 

「春秋の筆法」という言葉を聞いたことはありませんか?

 

辞書を引いてみると、

「事実を述べる際に筆者の価値判断を入れて書く方法」

「間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判する書き方」

などの意味が出てくると思います。

 

この「春秋の筆法」の「春秋」とは、

孔子が編んだとされる歴史書『春秋』のことであり、

孔子が『春秋』を執筆する際に、

ある出来事に対して自分の考えや批判を加えていることから生まれた言葉なのです。

 

歴史書というものは一般的には事実のみを

列挙していくべきものとされているのですが、

孔子は事実の中に自分の考えを織り交ぜるという手法をとっています。

 

そのため、これが一事実を述べたにすぎないものなのか、

孔子の考えが表現されたものなのかがわかりにくくて仕方がありません。

 

それも、たったの一言

もしくは一文字に自分の考えを集約していることもあり、

ただの助詞くらいに思っていたら、

その文字に孔子の批判が隠れていた!

なんてこともよくあるのです。

 

一文字も読み飛ばせない!

(画像:竹簡Wikipedia)

 

微言に大義を秘める『春秋』は

そういうわけで一字一句読み飛ばすことができない代物。

 

そのため、

『春秋左氏(さし)伝』・『春秋公羊(くよう)伝』・『春秋穀梁(こくりょう)伝』

といった「三伝」と呼ばれる注釈書が生み出されます。

 

これらの注釈書が編まれてからは

『春秋』単体で読まれることはほぼ無くなってしまいました。

 

だって本当に難しいんだもの…。

 

しかし、一字一句を読み飛ばすことができないのは

何も『春秋』に限ったことではありません。

 

儒教の経典の全ては

一文字一文字丁寧に読まないと

孔子の真の意図を読み取ることができないのです…!

 

そのことに気がついた者たちによって

経書の研究が進められ、

一字一句にたくさんの注が付けられてきました。

 

経書が世に現れから数千年間、

多くの学者たちがその経書の真理に近づこうと努力しながら、

その奥深さに唸らされています。

 

数千年経ってもその全てが解明できないなんて、

経書というのは本当に奥深い書物ですよね。

 

呂布対項羽

 

春秋の筆法は正史にも受け継がれた!?

司馬遷

 

実は、この春秋の筆法は、

『史記』を筆頭とする正史でも

大いに用いられていると言われています。

 

たとえば、司馬遷(しばせん)が著した『史記』では、

とある人物の伝の末尾に

「太史公曰わく」と付して

その人物に対する司馬遷の評価が記されています。

 

司馬遷は孔子と同じように、

歴史的事実に仮託して

自分の考えを主張しているのです。

 

司馬遷がこの春秋の筆法を継承したのは、

『春秋』が単に歴史書の先輩にあたるものだから

というわけではありません。

 

司馬遷自身が前漢の武帝(ぶてい)によって宮刑に処せられ、

恥を晒しながら生きていかなければならなくなったことにより、

世の中の不条理に対して義憤を覚え、

同じく周王朝が滅びて世が乱れたことについて

嘆き悲しんでいた孔子に対して強い共感を覚えたためでしょう。

 

怒りや嘆きといった人の強い感情は

その行き場を探し求めて体中をかけめぐります。

 

孔子の嘆きの発露は『春秋』であり、

司馬遷の怒りの発露は『史記』だったのでしょう。

   

三国志ライターchopsticksの独り言

 

実は、陳寿(ちんじゅ)が著した『三国志』でも

春秋の筆法が見られます。

 

もともと蜀に仕えていた陳寿は、

西晋王朝に仕えるようになってから『三国志』の執筆を開始します。

 

西晋王朝の正統性を示すために

陳寿は三国の中でも

西晋王朝に禅譲した魏を正統として『三国志』を編みますが、

どことなく違和感がある『三国志』。

 

その違和感の正体は、

どこか蜀を特別扱いしているような

陳寿の言葉選びにあるのです。

 

そんな陳寿の言葉を一字一字丁寧に追ってみると、

陳寿の意外な本音が見えてくるかもしれませんね。

 

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