【芸は身を助く】曹植が邯鄲淳に一発芸を披露、王位継承者に近づく

2018年8月13日


 

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曹植

 

社会人の皆さん、日々のお勤めご苦労様です。

突然ですが皆さんは「一発芸」をやったことがありますか?

ほらほら、忘年会とか新年会とか、何かの宴席で…。

あ、思い出したくないですし、考えたくない…?

 

そんな社会人にとっての苦行・一発芸。

固辞すれば場の雰囲気が悪くなり、かといってやってみても、

ウケずに皆からしらーっとした目で見られる…。

あぁ、吐きそ。

 

でも、中には酒で変にテンションがぶち上がり、

自ら一発芸をしにステージに飛び出しちゃう!

という猛者もいるんですよね、これが。

 

そんな彼らはスベってもどこか得意げ。

…そのメンタル、うらやましいっす。

でも実は、そんな鋼のメンタルを持つ奴が三国時代にもいたのだとか…!

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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博学のスーパーじいちゃん・邯鄲淳

邯鄲淳

 

魏の曹操(そうそう)が荊州をゲットしたとき、

人材コレクター・曹操はかねてから気になっていたある人物を招き寄せます。

儒教はもちろん文才にも長け、その上文字にも明るく、

書の心得まであったという邯鄲淳(かんたんじゅん)というおじいちゃんです。

 

父・曹操が邯鄲淳を招聘(しょうへい)したことを聞きつけた後継者第一候補の曹丕(そうひ)は、

父に「俺、邯鄲淳欲しい~」とおねだり。

曹丕もまた、邯鄲淳のことがずっと気になっていたのです。

 

しかし、なんと弟・曹植(そうしょく)まで「パパ、僕に邯鄲淳ちょうだい!」と言い始めたからさぁ大変。

曹操は邯鄲淳を曹丕と曹植どちらにやろうか悩み、

ひとまず曹植に邯鄲淳を会わせてやることにしたのでした。

 



あの悲劇の王子がまさかの暴挙…!

マッチョ曹植

 

曹植はウキウキしながら邯鄲淳が臨淄(りんし)に来るのを待ちました。

いよいよ邯鄲淳が曹植の元に到着すると、曹植は喜んで部屋に招いて座らせます。

 

曹植「…」

邯鄲淳「…」

なぜか言葉を発しない曹植と邯鄲淳の2人。

両者の間にとてつもなく微妙な空気がただよいます。

 

やはり年の差がありすぎて、

お互いにどう接すればいいのかがわからなかったのでしょうか…?

すると突然、気まずい雰囲気に居たたまれなくなったのか、

曹植が従者にあるものを持ってくるように命じました。

 

あるものとは、水。

しかし、飲むための水ではありません。

曹植は水を用意させると、おもむろに服を全て脱ぎ捨て全てをさらけ出し

何とその水で体をゴシゴシ洗い始めたのです!

 

これだけでも「え!?」って感じですが、曹植の暴走は止まりません。

なんと今度はおしろいをペタペタつけて顔を真っ白にし、

さらに自分の頭の冠をはぎ取って髪を振り乱し、

蛮族風アレンジを加えた珍妙奇天烈なリズミカルダンスを披露。

曹操

 

その上ダンスをしながらボールや剣を器用にジャグリングして見せ、

その後謎の漫談をペラペラとしゃべり倒してキメ顔でこう言ったのです。

「邯鄲淳先生、いかがでしたか?」

 

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意外とウケた…?

曹植

 

評価を求められた邯鄲淳先生でしたが、無表情で沈黙を貫きます。

その様子を見た曹植は目が覚めたのでしょうか。

いそいそと服を着て居住まいを整え、

天地開闢(てんちかいびゃく)の話をし始めたのでした。

 

これには流石の邯鄲淳も乗っかってくれたようで、

その後2人の話は弾んだようです。

邯鄲淳はその後食事をして日が暮れる頃に帰っていったのですが、

知り合いに向かって曹植のことを「天の人」だと話したそうです。

 

それは、曹植と交わした議論が面白かったからかでしょうか?

それとも、あの曹植渾身の一発芸を見たからでしょうか…?

実は、この邯鄲淳というスーパーじいちゃんは

笑林(しょうりん)』という笑話集を作ったことでも有名な人物

 

もしかしたら曹植は笑いの心得のある人には笑いが受けるだろうと思って

「身体を張った渾身(こんしん)のギャグで笑わせて距離を縮めよう!」と考えたのかもしれません。

結局それがウケたのかウケなかったのか、邯鄲淳本人に聞いてみたいものですね。

 

悲劇の幕開けはここからだった…

曹丕と曹植

 

邯鄲淳が曹植を褒め称えたという話は父・曹操の耳にも届きました。

これを受けて曹操は、曹植を後継者にしようかな?と考え始めます。

 

しかし、このことを良く思わない者がありました。

後継者第一候補の曹丕です。

   

三国志ライターchopsticksの独り言

 

もし曹植が裸芸に走らなければ…

いえ、邯鄲淳が曹植を褒め称えなければ、

曹丕が曹植を目の敵にすることも無かったかもしれません。

 

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