中国古典を読んでいると、度々出てくる「鼎」という文字。
これは何だ?と調べてみると、どうやら「テイ」もしくは「かなえ」と読むらしい…。
なんだか女の子の名前みたいな「鼎」ですが、果たしてこれは何なのでしょうか?
その正体に迫っていきましょう。
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この記事の目次
三国鼎立の時代
『三国志』ファンの皆さんは、この「鼎」という字に見覚えがあることでしょう。
そう、魏・蜀・呉の三国が中国大陸に興った時代を指す
「三国鼎立」という言葉に使われているのです。
もしも二国だったら「両立」やら「並立」やらといった言葉が使われるでしょうから、
この「鼎立」という言葉はどうやら「3」に関係がある様子。
三つ足のお鍋
辞書で「鼎」という字を引いてみると、
「中国古代に使用された肉を煮る鍋・釜。
普通は三つ足だが、四つ足の方鼎というものもある。
青銅などの金属製のものと陶製のものとがあり、
煮炊きするだけではなく、祭祀にも用いられた。」
といったようなことが記されています。
どうやら基本的には金属製の三つ足のお鍋を指すようですが、
「祭祀にも用いられた」というところが気になりますね。
この「鼎」というお鍋は祭祀でどのように用いられていたのでしょうか?
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
祖先に捧げる肉を煮ていた
お料理のときに使われていたという「鼎」。
「料理以外で何か使い道があるのかな?」と期待した皆さんには申し訳ありませんが、
やっぱり他に使い道などありません。
祭祀において「鼎」は祖先に捧げるお肉を煮るために使われていたようです。
しかし、ただのお鍋とは違って超ビッグサイズ。
その上、精巧な装飾や銘文が刻まれています。
祖先のために大きな肉を奉ろうと考えた結果、
ビッグでゴージャスなものに進化したのでしょう。
そして、時代が下るにつれ、ビッグであればビッグであるほど、
ゴージャスであればゴージャスであるほどその人の権威の大きさを示すようになっていきました。
ついに王権の象徴にまでのぼりつめる
人々の見栄により健やかに立派に成長を遂げた鼎ですが、
ただの礼器として終わることはありませんでした。
なんとついに、王権を象徴するアイテムになったのです。
鼎が王権の象徴となったのは今から数千年前に中国大陸に存在していたとされる夏の時代。
その夏王朝の始祖・禹が中国全土から青銅を集めさせて「九鼎」を作ったのです。
この鼎は夏王朝が滅んだ後には殷王朝に受け継がれ、
殷王朝が滅んだ後には周王朝に受け継がれました。
歴代王朝に脈々と受け継がれたことから、「九鼎」は正統な王朝である証となり、
「鼎を定む」と言えば「都を別の地に移すこと」を意味するようになったのです。
秦、うっかり鼎をなくす
孔子に理想の国家であると太鼓判を押される周王朝ですが、
周囲の諸侯の力がどんどん大きくなっていき、周王朝自体も2つに分裂。
ついにその命脈が尽きるときが訪れます。
2つに分裂した周には東西にそれぞれ王と呼べる存在がありました。
秦の昭襄王はまず西周を滅ぼしにかかり、このとき秦は周に伝わっていた「九鼎」をゲット。
ついに王の象徴たる「九鼎」をゲットしてテンションぶち上がりの秦でしたが、
西周を失った者たちが東周に逃げだしたことにより混乱が生じ、
あろうことか「九鼎」を泗水に池ポチャならぬ河ポチャしてしまったのです。
秦の始皇帝、仕方がなく新しいシンボルを作成
共に戦国の七雄と称された韓・魏・趙・燕・斉・楚の6国を平らげた始皇帝でしたが、
いざ中国大陸に君臨しようというときに
中華を統べる王の象徴たる「九鼎」がないことに気がつきます。
秦の始皇帝は泗水に河ポチャしてしまったという話を突き止め、
河に人を潜らせてまで「九鼎」を探したのですが、
ついに「九鼎」を見つけることはできませんでした。
困った始皇帝は仕方がなく新しい王のシンボルをつくることにします。
そうしてできたのが、「玉璽」です。
三国志ライターchopsticksの独り言
鼎ではなく公文書の決済印を象徴として選んだあたり、
法治国家たる秦を築いた始皇帝らしいですよね。
以後、この「玉璽」が「九鼎」に代わって歴代王朝に受け継がれていくことになったのでした。
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