皆さんは食わせ者が周りにいませんか。著者の周りには食わせ者は今のところ周りにはいません。しかし三国志の時代には食わせ者といわれるような人がいました。
たとえば劉備は曹操の前では弱弱しい姿を見せていましたが、実は曹操ににらまれないようにするための演技でした。劉備のように演技をして自らを弱く見せたりするような人物がいた時代が三国志ですが、天下三分の計を計画した魯粛も食わせ者と呼ばれる人だったのでしょうか。
そもそも食わせ者の意味は
そもそも食わせ者の意味はどのような意味合いがあるのでしょうか。ウィキペディアで調べてみると食わせ者とは
①一見立派だが中身がいい加減な人
②うわべだけでは判断できない、油断のならない人などの意味合いがあるそうです。
さて魯粛は①もしくは②に当てはまるのでしょうか。
魯粛は①には当てはまらない
魯粛は残念ながら①には当てはまらないでしょう。理由としては色々な事がありますが、彼の言葉には誠実さがあるからです。魯粛は自分の利益よりも孫権や孫呉のために色々なアドバイスをしているからです。例えば劉備が孫権の妹を奥さんに迎えた後、孫権の元にやって来た時がありました。このとき孫権の部下たちは「劉備を孫呉に抑留したほうがいい」との意見を占めていました。しかし魯粛だけは「劉備を抑留するのは孫権様のためによくない。
なぜなら劉備をこのまま孫呉に留めておけば彼の家臣たちが孫呉へ攻め込んでくるでしょう。そうなれば一番喜ぶのは曹操です。曹操は劉備と孫呉が争えばすぐに大軍を南下させて、我らに襲い掛かってきます。
そうなれば曹操に勝つことはできないでしょう。そうなるよりも劉備を帰して荊州を彼に貸し与えて曹操を防ぐ役割を与えれば、これほど我らにとって有利になることはなりでしょう」と進言します。大衆の意見に反対して自分の立場が悪くなる可能性があるにもかかわらず、孫呉のために自らの意見を押し通すのは誠実さがあるからこそだと思いませんか。このようなアドバイスを魯粛は孫権にたくさんしているため、彼が①に該当することはないと思われます。
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②に魯粛は該当するのか。
では食わせ者の意味合いの二番目には魯粛が該当するのでしょうか。若いころの魯粛であれば該当します。若いころの魯粛は風貌がよくなくブサイクであり、学問をしないで、狩や荒くれ者たちを部下にして集めて遊びまわっていたそうです。
この魯粛の姿を見た故郷の人々は「魯家にあのようなブサイクで何を考えているのかわからない人が生まれてしまえばもう終わりだ」と悪口を言われていたそうです。
その後天下が荒れて群雄が割拠し始めると魯粛の故郷も戦火に巻き込まれる可能性が出てきます。魯粛は故郷の人や部下を集めて「天下は混乱し各地で争いばかりが起きている。このままではここも戦火に巻き込まれるかも知れない。そこでここに留まって戦火に巻き込まれるのを待つのはやめて戦乱のない場所を目指して移動しようではないか」と呼びかけます。
この魯粛の呼びかけに応じた人数はなんと300人でした。彼を馬鹿にしていた故郷の人々もこの人数の中には多くいたと思われます。そして魯粛は故郷を捨てて江南へ移動した後、孫策に仕える事になるのです。このことを考えれば彼がうわべだけで判断できない油断のならないものに該当し、食わせ者といわれるかもしれませんね。
三国志ライター黒田レンの独り言
食わせ者は悪口のような意味で使われることが多いですが、魯粛のように見た目によらず油断のならないような行動をする人が皆様の周りにもいるかもしれません。もしそのような方がいれば、皆さんは積極的にその人を支持してみてください。たぶんの上に立つ人物として活躍できるでしょうし、優秀な人物であるはずですから。
参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志呉書】など
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