三国志演義に描かれている赤壁の戦いでは、呉と同盟している劉備の軍師である諸葛亮が呉の客として呉の陣営に滞在しています。そのとき諸葛亮は求められてから意見を述べるという控えめな態度をとっており、諸葛亮は自然体なのに呉の周瑜が勝手に諸葛亮の知謀をおそれて焦っているような描き方をされています。このため、三国志演義の周瑜は一人相撲のあげく自滅する道化役になってしまっています。
この描かれ方では諸葛亮ばっかりえこひいきされて周瑜が割を食っているということで、憤っている周瑜ファンの方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。そこで朗報!三国志演義より前に成立した「三国志平話」では、諸葛亮がそこそこ悪い奴として描かれていて、周瑜に感情移入できるような描き方になっています!
弁舌で勝てないから剣を抜く諸葛亮
赤壁の戦いは、南征を進める曹操に呉が抗戦して撃退した戦いです。最初のうち、呉の重臣の多くは曹操に降伏したほうがいいと考えていました。呉が曹操と戦ってくれないと困ってしまう劉備の軍師として、諸葛亮は呉の人々に曹操への抗戦を説きました。この顛末、三国志演義の中では諸葛亮のよどみのない弁舌に呉の降伏派の人士がぐうの音も出なくなるという描かれ方をしていますが、三国志平話の諸葛亮は自分の主張を言うだけ言ったのみで、呉の人士の弁舌を封じるところまでは行っていません。
口で勝てなかった諸葛亮、たまたま来合わせた曹操からの降伏の使者を剣で斬り殺してしまい、強引に開戦に持ち込もうと画策します。呉の重臣たちはこの蛮行に大騒ぎ。慌てて諸葛亮を捕らえます。諸葛亮は捕らえられながら叫びました。
「もし皇叔(劉備)が殺されれば、次は呉が併呑される番ですぞ!」
呉主・孫権はそれも一理あると思い諸葛亮の拘束を解いたものの、諸葛亮の弁舌で抗戦を決めたわけではなく、ママのアドバイスによって抗戦を決めています。三国志演義の諸葛亮がスマートな弁舌の士であったのに対し、三国志平話の諸葛亮は思うようにいかないことがあると剣を抜いて暴れる迷惑な人になっております。
満場一致の軍議に水を指しながら知謀自慢
呉が曹操への抗戦を決め、戦いの指揮をとることになった周瑜。三国志演義では、周瑜が曹操を破るための計略について諸葛亮にアドバイスを求め、諸葛亮が「お互いが考えている計略を手のひらに書いて見せ合いましょう」と提案し、おのおの手のひらに書いた文字が同じ「火」の文字であったため笑い合ったシーンがあります。
その後、火計を用いるのはいいが風向きが悪いと悩んだ周瑜が再度諸葛亮にアドバイスを求め、諸葛亮が火計に有利な東南の風を吹かせましょうと提案しています。このように三国志演義の諸葛亮は頼れるアドバイザーとなっていますが、三国志平話の諸葛亮はみんなの和を乱し自分だけエエカッコしようとするイヤなヤツになっています。
三国志平話では、呉の軍議で幕僚たちがそれぞれ自分の意中の計略を手のひらに書くという場面で、みんなは「火」と書いたのに、諸葛亮だけが「風」と書きました。「みなさんの言う火計はなるほど結構ですけれども、風向きが悪かったら使いようがないでしょう?
私がいい風を吹かせてあげますよ」というような趣旨の発言を、小難しい兵法の名前や神話を持ち出しながらしゃあしゃあと語る諸葛亮。呉のみんなを小馬鹿にするような無礼な発言に幕僚たちはざわつきます。三国志平話のこんな諸葛亮は、周瑜に目の敵にされるのももっともだなーと納得しちゃう感じです。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志平話の諸葛亮は三国志演義のようなクールなナイスガイではなく、口で勝てなければ暴力に訴えてでも事態を思うとおりに動かそうとする強引な人で、自分の知謀をひけらかしながら同盟相手の幕僚を辱める無礼者です。読者が “イヤなヤツじゃね?”と思ってしまうような要素があり、そのぶん、諸葛亮や劉備に出し抜かれる周瑜に同情が集まるようになっています。
周瑜は美周郎とあだ名されるほどのハンサムボーイで、奥さんも美人という設定、楽器までひけるという華のあるキャラなので、民衆の間で人気があったのではないでしょうか。大衆の娯楽として成立した「三国志平話」は、忠臣として名高い諸葛亮をナイスガイとして描くことよりも、読者に “キャアー、周瑜さまー!”と言わせるような演出を優先させたのだろうと思います。そういう三国志物語が流行していた中で、三国志演義は諸葛亮を上げて周瑜を下げたわけですが、三国志演義は読書人階級の娯楽としてハンサムよりも忠のほうを重視したのでしょうね。
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