明智光秀が大河ドラマデビュー2020年麒麟がくる

2018年11月1日


 

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明智光秀

明智光秀

 

2020年の大河ドラマは「麒麟(きりん)がくる」で、主役が明智光秀(あけちみつひで)です。NHKのホームページによれば、主演は明智光秀役の長谷川博己(はせがわひろき)で既に決まっています。その他のキャストについては未定で、これからの発表が気になります。

 

2020年の大河ドラマが放送される前に、これまで脇役で悪人の印象が強かった明智光秀について見直す機会にしたいと思います。今回は大河ドラマ「麒麟がくる」の概要と明智光秀について簡単に紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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明智光秀とは?

銃を担いでいる明智光秀

 

明智光秀といえば、ほとんどの読者にとって、15代室町幕府の将軍足利義昭(あしかがよしあき)に仕えていた家臣で、織田信長(おだのぶなが)にヘッドハントされ、1582年に本能寺の変で信長を自害に追い込んだ人という印象が強いと思います。本能寺の変で信長を自害に追い込んだことから、信長ファンにとって悪人という印象がより強くなるかもしれません。

 

明智光秀とはどのような人物なのでしょうか。明智光秀は1528年に美濃国(みののくに)(現在の岐阜県)に生まれたといわれています。なお、明智光秀の生年については1528年ではないという説があり、確定していません。

 

これまでの大河ドラマでは、明智光秀は美濃を制圧した直後の織田信長に足利義昭を率いて上洛してほしいと要請するシーンをよく見ると思います。このシーンが明智光秀と織田信長の最初の出会いであると考えられます。

 

信長が15代将軍足利義昭を将軍として擁立しますが、信長と将軍との仲が悪くなり、15代将軍足利義昭を京都から追い出し、室町幕府は滅亡しました。室町幕府滅亡後、明智光秀は信長の家臣となり、京都市政を担当します。中国攻めの途中で信長を裏切り、本能寺(ほんのうじ)の変で信長を自害させました。本能寺の変後に豊臣秀吉(とよとみひでよし)と山崎で戦いますが、戦いに敗れ、坂本城に逃げる途中、殺害されました。

 

 

 



大河ドラマ「麒麟がくる」とは?

織田信長

 

明智光秀について取り上げましたが、織田信長と出会う前のことについては、美濃国に生まれたということ以外ほとんど知られていません。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、信長に出会う前の明智光秀について知ることができると期待されます。NHKのホームページによれば、明智光秀は美濃国の身分の低い武士として生まれました。明智光秀が牢人(ろうにん)として生まれたということを知らない人がいると考えられるので、大河ドラマを通して新しい発見ができるかもしれません。

 

明智光秀は才能があったと伝えられていますが、牢人だった人がどのようにして家臣に取り立てられたのか気になります。牢人だった光秀の才能が美濃国を当時支配していた斎藤道三(さいとうどうさん)に見出され、家臣として重用されるようになりました。斎藤道三が下克上で息子の斉藤義龍(さいとうよしたつ)に倒されてから、美濃を追われて京で足利義昭に出会います。その後、織田信長と出会います。大河ドラマ「麒麟がくる」では、光秀の生い立ちや斎藤道三・足利義昭の家臣になるまでの過程を知ることができると考えられます。

 

大和朝廷

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に先駆けて、明智光秀について取り上げました。明智光秀といえば、織田信長を本能寺の変で自害に追い込んだ人や山崎の戦いで負けたことから三日天下といわれている人で有名です。

 

明智光秀は戦国時代でほとんどの人が知っている有名な人物ですが、生い立ちや足利義昭の家臣になるまでの経緯については、大河ドラマでほとんど取り上げられることなく知られていませんでした。また、生年については1528年といわれていますが、史料によっては1540年という説があるなど不明な部分が残されています。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」で、明智光秀の生い立ちなど知られていない部分をどのように演出するのか注目したいと思います。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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