明智光秀の家臣にはどんな人がいたの?

2018年11月8日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

明智光秀

 

明智光秀(あけちみつひで)のイメージどうして三日天下に終わった?』では、本能寺の変から山崎の戦いで僅か半月の天下で人生の幕を下ろした明智光秀のぼんやりイメージについて言及してみました。これまでは、明智光秀個人についてだけ注目していましたが、今回は山崎の戦い後の明智光秀の家族・家臣について取り上げます。

 

関連記事:【織田信長が明智光秀に殺害される】謎に包まれた本能寺の変:黒幕は誰だ?

関連記事:山崎の戦いってどんな戦いだったの?明智光秀VS羽柴秀吉が激突した戦

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【無料告知希望の皆様へ】 はじめての三国志無料告知希望



山崎の戦い後の明智光秀の家族

お玉(細川ガラシャ)

 

山崎の戦い後、明智光秀の家臣だった明智秀満(あけちひでみつ)は坂本城で光秀の妻子を殺害し、明智秀満は自害しました。光秀の息子は丹波国の亀山城にいましたが、自害させられました。これで明智氏は滅びました。明智光秀の娘では細川忠興(ほそかわただおき)に嫁いだ(たま)が有名です。本能寺の変の後、1584年まで約2年間にわたって細川忠興は玉を丹後国の味土野(現在の京都府京丹後市)に幽閉します。幽閉を解かれてから、大阪の細川忠興の屋敷に移ります。大阪の屋敷に移ってから、キリシタンとなりました。洗礼を受けて細川ガラシャと名乗ります。

 

1600年、細川忠興は徳川家康に従って会津の上杉景勝(うえすぎかげかつ)の征伐に向かいます。大阪城にいた石田三成(いしだみつなり)は、大名の妻子を人質に取ろうとしていました。細川忠興の妻も人質に取ろうとしたので大阪の屋敷にいたガラシャは屋敷に爆薬を仕掛けて火をつけて自害しました。キリスト教では切腹などの自殺行為が禁止されているため、家老に介錯を頼んだことは有名です。

 

ガラシャの遺体は宣教師のオルガンティーノが堺の教会に埋葬しました。このガラシャの悲劇はヨーロッパに伝えられ、オペラとなって世界中で語り継がれています。

 

 

 

山崎の戦い後の明智光秀の家臣

春日局

春日局(かすがのつぼね)

 

ここでは、山崎の戦い後の明智光秀の家臣について取り上げます。明智秀満は光秀の妻子を殺害した後、自害しました。豊臣秀吉は山崎の戦いの後、京に入ると近江国に侵攻します。明智光秀の家臣は逃走または降伏しました。これによって近江国の平定に成功しました。

 

斎藤利三

 

明智光秀の家臣の斎藤利三(さいとうとしみつ)は捕らえられ、六条河原において処刑されました。斎藤利三は明智光秀の家臣となってから重用され、筆頭になっていたといわれています。本能寺の変を打ち明けた光秀の家臣のうちの1人であるといわれています。斎藤利三が処刑されてから娘が注目されるようになりました。

 

その娘の名前は春日局(かすがのつぼね)といいます。江戸幕府3代将軍徳川家光の世継ぎが生まれないことを憂い、春日局が大奥をつくったといわれています。当初、大奥は将軍の世継ぎをつくるための機関として作られましたが、江戸時代後半になると政治権力を持ち、改革を断行する老中を交代させることがありました。

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は山崎の戦い後の明智光秀の家族と家臣について取り上げました。山崎の戦いの勝者豊臣秀吉が注目されがちなので、あえて負けた側の明智光秀に注目しました。明智光秀の家族について取り上げていると、細川ガラシャのことを改めて思い出した読者がいるかもしれません。

 

細川ガラシャの悲劇はオペラになっていることから、世界で最も有名な歴史上の人物の1人になっているかもしれません。現在、京都府長岡京市では、明智光秀の娘の玉が細川藤孝の息子忠興に嫁いだときのシーンを再現するためにガラシャ祭りが毎年11月に行われています。これからガラシャ祭りに出かけて細川ガラシャについて考え直したいと思います。

 

明智光秀の家臣については斎藤利三の娘が江戸幕府に影響を与えました。春日局は大奥を作ったことで有名ですが、明智光秀の家臣だった斎藤利三の娘であることについては意外だと感じるかもしれません。大奥は将軍の世継ぎをつくるために作られた機関でしたが、老中を罷免させるなど政治権力を持つようになります。政治権力を持つまでの過程に注目したいと思います。

 

関連記事:本能寺の変に黒幕はいなかった!衝撃の明智光秀単独犯説

関連記事:【新事実】織田信長は本能寺の変がなくてもオワコンだった!

 

公家

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
オフィス樋口

オフィス樋口

自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

-戦国時代 (日本)
-, ,