明智光秀の家臣にはどんな人がいたの?


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明智光秀

 

明智光秀(あけちみつひで)のイメージどうして三日天下に終わった?』では、本能寺の変から山崎の戦いで僅か半月の天下で人生の幕を下ろした明智光秀のぼんやりイメージについて言及してみました。これまでは、明智光秀個人についてだけ注目していましたが、今回は山崎の戦い後の明智光秀の家族・家臣について取り上げます。

 

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山崎の戦い後の明智光秀の家族

お玉(細川ガラシャ)

 

山崎の戦い後、明智光秀の家臣だった明智秀満(あけちひでみつ)は坂本城で光秀の妻子を殺害し、明智秀満は自害しました。光秀の息子は丹波国の亀山城にいましたが、自害させられました。これで明智氏は滅びました。明智光秀の娘では細川忠興(ほそかわただおき)に嫁いだ(たま)が有名です。本能寺の変の後、1584年まで約2年間にわたって細川忠興は玉を丹後国の味土野(現在の京都府京丹後市)に幽閉します。幽閉を解かれてから、大阪の細川忠興の屋敷に移ります。大阪の屋敷に移ってから、キリシタンとなりました。洗礼を受けて細川ガラシャと名乗ります。

 

1600年、細川忠興は徳川家康に従って会津の上杉景勝(うえすぎかげかつ)の征伐に向かいます。大阪城にいた石田三成(いしだみつなり)は、大名の妻子を人質に取ろうとしていました。細川忠興の妻も人質に取ろうとしたので大阪の屋敷にいたガラシャは屋敷に爆薬を仕掛けて火をつけて自害しました。キリスト教では切腹などの自殺行為が禁止されているため、家老に介錯を頼んだことは有名です。

 

ガラシャの遺体は宣教師のオルガンティーノが堺の教会に埋葬しました。このガラシャの悲劇はヨーロッパに伝えられ、オペラとなって世界中で語り継がれています。

 


 

山崎の戦い後の明智光秀の家臣

春日局

春日局(かすがのつぼね)

 

ここでは、山崎の戦い後の明智光秀の家臣について取り上げます。明智秀満は光秀の妻子を殺害した後、自害しました。豊臣秀吉は山崎の戦いの後、京に入ると近江国に侵攻します。明智光秀の家臣は逃走または降伏しました。これによって近江国の平定に成功しました。

 

斎藤利三

 

明智光秀の家臣の斎藤利三(さいとうとしみつ)は捕らえられ、六条河原において処刑されました。斎藤利三は明智光秀の家臣となってから重用され、筆頭になっていたといわれています。本能寺の変を打ち明けた光秀の家臣のうちの1人であるといわれています。斎藤利三が処刑されてから娘が注目されるようになりました。

 

その娘の名前は春日局(かすがのつぼね)といいます。江戸幕府3代将軍徳川家光の世継ぎが生まれないことを憂い、春日局が大奥をつくったといわれています。当初、大奥は将軍の世継ぎをつくるための機関として作られましたが、江戸時代後半になると政治権力を持ち、改革を断行する老中を交代させることがありました。


 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は山崎の戦い後の明智光秀の家族と家臣について取り上げました。山崎の戦いの勝者豊臣秀吉が注目されがちなので、あえて負けた側の明智光秀に注目しました。明智光秀の家族について取り上げていると、細川ガラシャのことを改めて思い出した読者がいるかもしれません。

 

細川ガラシャの悲劇はオペラになっていることから、世界で最も有名な歴史上の人物の1人になっているかもしれません。現在、京都府長岡京市では、明智光秀の娘の玉が細川藤孝の息子忠興に嫁いだときのシーンを再現するためにガラシャ祭りが毎年11月に行われています。これからガラシャ祭りに出かけて細川ガラシャについて考え直したいと思います。

 

明智光秀の家臣については斎藤利三の娘が江戸幕府に影響を与えました。春日局は大奥を作ったことで有名ですが、明智光秀の家臣だった斎藤利三の娘であることについては意外だと感じるかもしれません。大奥は将軍の世継ぎをつくるために作られた機関でしたが、老中を罷免させるなど政治権力を持つようになります。政治権力を持つまでの過程に注目したいと思います。

 

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