厳顔
蜀の代表的な老将の一人・黄忠ではなく・・・・厳顔。黄忠の相棒として戦で活躍した人物ですが、彼の最後は一体どのような最後を迎えることになったのでしょうか。今回は厳顔の最後に迫ってみたいと思います。
この記事の目次
蜀の老将のシビれる最後とは!?「黄忠編」
蜀の老将達はシビれる最期を迎えている人物が多数います。例えば黄忠は三国志演義でシビれる最期を迎えています。黄忠の最後は夷陵の戦いにおいてです。
彼は夷陵の戦いの時、劉備にバカにされた事に怒り、部下数十人を引き連れて孫呉の陣へ突撃。この時黄忠は孫呉の陣へ突撃し敵兵をバタバタとなぎ倒し、自分が老将でも活躍できることを証明します。
しかし黄忠は自分の陣営に帰るとき、孫呉の将軍が放った弓矢を受けてしまいますが、倒れることなく帰陣。
ですが黄忠はこの時受けた弓矢の傷が悪化して亡くなってしまいます。最後に一花咲かせた黄忠の最後にシビれませんか。
蜀の老将のシビれる最後とは!?「廖化編」
黄忠だけでは物足りない方へもう一人紹介しましょう。その人物の名前は廖化です。彼は関羽の部下として仕えていましたが、関羽死後孫呉に降伏。しかし廖化は孫呉に仕える自分を許せず、老いた母を連れて荊州から逃亡します。
その後廖化は夷陵の戦いに出陣していた劉備と合流し、そのまま蜀へ復帰し、孔明の北伐戦に参加して幾度も戦功を上げていました。廖化は孔明死後も姜維の北伐戦に参加して勲功を挙げ、歴戦の将軍として蜀軍の中で重きをなしていきます。
更に廖化は蜀と魏の最終決戦である剣閣の戦いにも参加し、蜀軍が滅亡するまで蜀のために戦い続けるのでした。蜀滅亡後廖化は力尽きたのか洛陽へ向かう途中に亡くなってしまうのでした。この時廖化は70歳をいくつか過ぎていたようです。蜀のためにその身を捧げた廖化。彼の最後にシビれる読者は多いと思います。
厳顔も彼らと同じようにシビれる最期を迎えたのか??
上記で蜀の老将達の最期を紹介しましたが、厳顔も彼らと同じような最期を迎えたのでしょうか。正史三国志や他の歴史書を調べてみました。すると厳顔の最後はなんと記載されていません。
厳顔の最後が記載されていないどころか彼の活躍しているシーンすら見当たりませんでした。では厳顔はどのような最期を迎えたのか。ここからは厳顔の最後が正史三国志や他の歴史書に記載されていないため推測になってしまいます。
「厳顔の最後」をレンが推測してみたよ
厳顔はどのような最後を迎えたのかレンが推測してみました。レンは厳顔が歴史書に活躍や最後が描かれていないところを考え、張飛に降伏した後、戦いから身を引き静かな余生を過ごしたのではないのでしょうか。このように考えるのであれば、正史三国志や他の歴史書に彼の名前が載っていないと考えることが出来るのですが、みなさんはどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は厳顔の最後について紹介させていただきました。厳顔の死が描かれていないという事は、レンの想像通り、張飛に降伏した後、官職を貰わずにそのまま引退し、穏やかな死に方を厳顔がしたのかもしれません。
また厳顔は張飛に降伏した後、数十日後に疫病にかかってしまい苦しんで亡くなったのかもしれません。このように厳顔の死が歴史書に描かれていないと言うことは、三国志の読み手が色々な想像を膨らませてしまってもいいと言うことではないのでしょうか。
みなさんは厳顔が穏やかに亡くなったと思いますか。それとも疫病にかかって苦しんで亡くなったと思いますか。このように色々な妄想を膨らませるのも三国志や他の時代の歴史を楽しむひとつの方法かもしれませんね。