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曹操の曽祖父曹萌が気前良すぎて逆に怪しすぎる!

2018年12月9日


 

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曹萌

 

曹操(そうそう)のひいおじいちゃん、曹萌(そうぼう)。曹操が魏の建国の礎を築くほどの覇者になれたのは、曹萌の代からの積み重ねがありました。曹萌が四男の曹騰(そうとう)を宦官として宮廷に送り込み、曹騰が皇帝や官僚との人脈を築き財産も蓄えたことが、後に曹操が起業する際の資本になりました。曹騰は宮廷での振る舞いが公平で慎重であったことから皇帝や官僚たちに信頼されましたが、曹騰のそうした性質も、父親・曹萌の薫陶によるものではないでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の家系

曹操と風船

 

曹萌は曹操と血のつながった曾祖父ではありません。曹萌の息子の曹騰は少年の頃に宦官になったため、子供がいませんでした。(宦官は去勢された男子なので子供はできない)

 

そこで、曹騰は養子をとりました。養子として曹氏に入ったのが、曹操の父親の曹嵩(そうすう)です。曹操は祖父・曹騰の築いた財産を元手に私兵を持ち挙兵しましたが、それは血のつながっていないおじいちゃんの財産でした。『後漢書』宦者列伝によると、曹騰は三十年余りのお勤めで四代の皇帝に仕えたが過失はなかったということですので、曹騰はとても慎重な性格だったように見受けられます。曹操の行け行けドンドンな性格とは全く似ていないようです。

 

 

 

曹萌の逸話

 

さて、その曹騰の父親・曹萌はどのような人だったのでしょうか。正史三国志武帝紀の注釈に引用されている『続漢書』に次のような逸話が載っています。

 

曹騰の父親の曹節(そうせつ)(曹萌)は、字を元偉(げんい)という。仁に厚い人として知られていた。

近所の人が、自分の家畜の豚がどこかに行ってしまった時に、曹節の豚が自分の豚と似ていたため、曹節の家に行き、

これは自分の豚だと主張したことがあった。

曹節は言い争うことはしなかった。

後に、逃げた豚が自力でもとの家に戻ってきたため、豚の飼い主は大いに恥じ入り、

自分の豚だと言い張っていた豚を曹節の家に返しに行き、曹節に謝った。

曹節は笑って豚を受け取った。

 

……なんや。いやらしいやっちゃな。豚をなくした人が「あんたんとこのこの豚、ウチの豚やないかい!」とイチャモンつけてきた時に、曹萌は内心“なんやコイツ言いがかりつけよってからに”ってムカツイていたくせに、「はあはあそうだしたかいな、えらいすんまへん」とでも言って自分とこの豚を相手に差し出したんですよね。明らかに相手が間違っていることを知っているくせに。

 

“ふっ、まあいいさ。ほざけ凡夫”とでも思いながら豚を差し出したのでしょうか。なんちゅういけずな。正直であることよりも、相手と波風立てないことのほうを選択したんですね。実に聡明です。

 

橋田壽賀子(はしだすがこ)ドラマにありがちな人のよさそうな顔つきをしたドロドロした登場人物のようです。後日、相手の人が慌てて豚を返しに来た時に、自分のほうが正しかったことが証明されても、

「ほらな? このあいだはおかしいと思ったんだよ。あんたカッカしてたから黙ってたけどさぁ」みたいな愚痴の一つも言わず、笑顔で豚を受け取るだけ。どんな心境なんですかね?

 

“お前のやっていたことなんか最初からお見通しだった。これで貸し一つだ。まあ、こんなちっぽけな貸しをいちいち数え上げたりはしないが、せいぜい負い目を感じながら生きるがいい。俺のことを尊敬してもいいぞ”みたいな感じでしょうか。なんですかこの人。気色悪っ。(※妄想に基づく ごく個人的な感想です)

 

曹操孟徳

 

 

曹萌の性格

 

上に挙げた『続漢書』の記述からするに、曹萌という人はあまり口数は多くなさそうですね。いつも他人がどんな考え方でどんな言動をしているかをじっと観察している。そして自分は最後の最後まで動かない。短期的に自分が損をするような場面でも、その損を飲み込んでじっと状況を見守っている。他人が勝手に動いて、結局状況は自分にとって有利に落ち着くか、そうでなくても自分は矢面に立たないから損をしない。そんな処世術をする人のように見えます。

 

 

曹騰に受け継がれた深慮遠謀体質

荀彧

 

『続漢書』のエピソードから想像するに、曹萌は常に腹に一物ある男です。(たった一つのエピソードからそこまで妄想を膨らます)四男の曹騰を宮廷に送り込んだのも、何か野心でもあったかもしれませんよ。(妄想100%)

 

曹騰は宦官として力を握りながら、自分を弾劾しようとした官僚の种暠(ちゅうこう)に復讐することなく逆に賞賛して恩を売ったりなどして(しかも恩着せがまし顔はしない)、人脈を築いていきました。曹騰にそんな腹芸ができたのは、父の曹萌から、人を動かし利を取る方法をみっちり仕込まれてから宮廷に入ったからではないでしょうか。曹萌の深慮遠謀体質は曹騰にも受け継がれていると思います。(あけっぴろげな曹操とは全然似ていませんね。生まれ持っての資質も違うのでしょう)

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

私の印象としては、曹操の曾祖父・曹萌は油断のならぬキレ者です。「油断のならぬ」とは言っても、曹萌が損をしない局面ではとても親切そうですが。しかしどうしてもという時は、自分が悪者にならないように上手に立ち回りながら相手を消すぐらいの腹芸ができる人なのではないかな、という印象です。

 

悪者にならないどころか、騒動に乗じて自分が評判を上げるぐらいのミラクルができるかも。というのはすべて私の妄想なんですが。自分の豚をだまって差し出して、戻ってきた時は笑顔で受け取るというのは、私にそんな妄想をさせてしまうほど桁外れに怪しい挙動です。この深慮遠謀体質が、のちの曹操の覇業の基(財産と人脈)を築いたのだと思います。

 

 

曹萌の豚のエピソードはkawauso編集長の過去記事でも取り上げられておりまして、そこでは編集長は曹萌のことを「何と優しくて心の広い人でしょう」と評しておられます。

 

編集長は心が美しいので、曹萌の振る舞いを見てもいやらしいやっちゃとは感じずに、豚にこだわらず相手を許してあげる寛大なナイスガイとして解釈されたのですね。「何と優しくて心の広い人でしょう」というのは、本当は編集長ご自身なのではないでしょうか。物事をどう解釈するかは、解釈する人の心を映す鏡かもしれません。クックック……

 

 

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よかミカン

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三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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