日本中が無数の勢力に別れて戦っていた戦国時代、合戦は頻繁でした。
しかし、合戦といえども当時の武士たちにとってはお仕事の一つだったので、なぁなぁで済ますわけには行きません。
彼らは自腹で合戦に参加し命がけで働いたので、それが記録されないと恩賞にもありつけないからです。
そこで、戦国時代には武士の出席簿&勤務評定とも言うべき軍忠状が存在していました。
画像:【リアル七人の侍】戦国時代、村はどうやって略奪から身を守った?
ちゃんと参加してますよ!武士の出席簿
戦国時代には、武士と主君は御恩と奉公という関係で貫かれていました。
配下の武士は主君に所領を安堵してもらった御恩の為に自弁で主君の戦に参加して奉公します。
そこで、新たな手柄を立てると主君は新しい御恩として褒美を出していました。
ですが、ここでズルがあっては、公平性が損なわれます。
なので主君の戦に参戦した武士は軍忠状という文書を書いて主君に提出し確かに戦争に参加しました、そしてこのような手柄を立てましたという
証拠にしていました。
言ってみれば武士の出席簿&勤務報告書こそが軍忠状だったのです。
軍忠状は南北朝期に盛んになり似たような文書で着到状というものもありました。
こちらは、ちゃんと参陣しましたという証明で、文書の冒頭に着到と書いて、どこどこの誰々と名前を明記して主君に提出したようです。
軍忠状のフォーマット
軍忠状の様式は長い年月の間に大体テンプレ化していました。
まずは冒頭に自分の名前を書いて、以下、自分が立てた手柄について書く事を宣言します。
それから、具体的な手柄について記述、味方の損害、敵の損害、一緒に誰々が戦った等を書いたりし、最後に軍忠認定の証判を賜り
後日の証拠にしたいと書いて以此旨可有御披露候(内容に間違いないので公開しました)で結びとします。
あて先は、進上 御奉行所とされるのがほとんどであるそうです。
確認する側は、書いてある内容に問題がないかを確認し異状なしなら、文書の冒頭か末尾に軍忠状を確認した人物の花押を書いて、
一見了、承了、無相違などと一文を添えました。
この瞬間に軍忠状は効力を発揮するという仕組みになっていたのです。
現代まで合戦の模様を伝える軍忠状
当時はビデオカメラ等ないですから、自分達がいかに頑張ったかを知らせるには文書しかありませんでした。
そこで当時の武士たちは出来るだけ具体的に自分の手柄を書こうとし、合戦の様相に至るまでが、具体的に記述されています。
それが現代では、戦国時代の合戦の様子を伝える貴重な資料となっているのです。
例えば、元弘4年1334年一月に曾我乙房丸代道為というひとが提出した軍忠状には「矢利で胴を貫かれた」と書かれていて、
南北朝の初期には、すでに槍が普及していた事を知らせる貴重な証拠になっています。
本当は戦いたくなかった武士もいた
しかし、当時の武士が誰もかれも闘争心の塊だったわけではありません。
主君に向けて出すわけではないプライベートな文書には、実は戦いたくないという悩みや故郷への望郷の念が綴られていました。
そんなプライベートな文書が東京都日野市の高幡山金剛寺の不動明王寺の不動明王像の胎内から発見されました。
こちらは、古文書群「高幡不動胎内文書」と呼ばれています。
手紙の主は相模国の御家人山内首藤氏の一族で日野市城を所領としていた山内経之です。
彼は暦応二年(1339年)十月頃、北朝の高師冬の指揮下で南朝方の北畠親房の立て籠もる常陸攻撃に出陣していました。
この文書で山内は出陣しないと所領没収という脅しを受けて渋々出陣した事を吐露し常に所領の状況を気にし、家族への望郷の念を語ると同時に
戦費の捻出に苦しみ家族に対して兵糧米の工面を依頼したり、乗替馬や弓などを送ってくるように伝えています。
当時の戦争は、少なくとも出陣の費用については自腹であり、騒乱の中で、交通網が寸断されると物資の調達に苦しんだのです。
そして、気の毒な事に御家人、山内経之は、この戦いの最中に討ち死にしたようで、山内の遺族が彼を供養する為に彼が送ってきた文書をまとめて不動明王の胎内に収めたのが高幡不動胎内文書だったのです。
戦国時代ライターkawauso編集長の独り言
自分達の手柄を認めてもらう為に具体的に合戦の様子と自分の手柄を書いた軍忠状。
これが、時代を経て、現代では当時の合戦の様子を伝える貴重な史料になりました。
同時に、軍忠状とは真逆のベクトルのプライベートな文書には、望まない戦争に駆り出され戦費の捻出と置き去りにした所領と家族に
思いを馳せながら、戦いに耐えた武士もいたわけです。
戦国の時代でも人は一斉にイケイケドンドンではなく、複雑な思いを抱えて生きていたんですね。
参考:日本軍事史 /2006/2/28/吉川弘文館/99頁/高橋 典幸 (著)/保谷 徹 (著)/山田 邦明 (著),/一ノ瀬 俊也 (著)/
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