「古代エジプトのグライダー」ニセモノ説は冤罪だった【HMR流◯転裁判】

2018年12月15日


 

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HMR隊長 石川克世

 

さーて、またまた性懲りもなく始まります

「はじ三ミステリー調査班」!!

うん、ゴメン、続いちゃいました。(自爆

 

空を飛ぶスーパーマン袁術

空を飛ぶ。

それは地上に生きる人間にとって、古来からの

見果てぬ夢でした。

 

飛行機の歴史は20世紀初頭、ライト兄弟が

自作のライトフライヤー号で飛行に成功したところから始まりますが、

飛行機回の研究や試作は、それより古い時代から行われていました。

 

今回はそんな、飛行機に関係するオーパーツについて

例によってひねくれた視点と、強引な理屈で

検証してみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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飛行機のオーパーツと言えば、コロンビアの黄金ジェット!!

 

 

……がまっさきに思い出されるところですが、

今回はそれとは別のオーパーツについてのお話。

 

黄金ジェットの検証は、いずれまた機会を改めまして。

すまぬ……すまぬ……。

 

 

 

「古代エジプトのグライダー」とは?

古代エジプトのグライダー

 

「古代エジプトのグライダー(英語:Saqqara Bird)」とは、

1898年にエジプトはサッカラの墳墓から出土した

大きさ15センチほどの木製品のことです。

 

頭部の形状は鳥に似せて、くちばしや目も造形されていますが、

翼部分は両翼がつながった一枚からなるものが胴体上部に付いており

鳥の翼というよりも航空機のようにも見えます。

 

 

 

さらに、胴体は翼の後ろから細くなり、尾羽根の部分は

垂直の、鳥というよりは魚の尾びれのような形状です。

 

発見当初は「とるにたらない」鳥の模型だろうと思われ

エジプトのカイロ博物館に収蔵後は忘れ去られていましたが、

1969年、カリル・メシハという人物が博物館の整理中に

この模型を発見、航空力学の知識を持っていた彼は、

この模型が飛行機であると主張しました。

 

メシハ氏はこの模型と同じ形状のダミーを製作、

それを実験として飛ばしたところ、

かなりの長距離を滑空したそうです。

軽量の木材を用い、中空構造にして飛ばせば、

航空機として成立するとも言われています。

 

古代エジプト時代、当然航空機などは存在せず、

もしこの模型が飛行させることを目的として作られたのなら、

それはまさしくオーパーツと言えるでしょう。

 

赤兎馬はカバ

 

否定論者による反論は?

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

「古代エジプトのグライダーは飛行機として作られた」

という説に反対する人たちは、主に次のような

反論を挙げています。

 

その1:鳥は飛行機に似ていて当たり前

 

ライト兄弟以前にグライダーによる飛行を成功させた

オットー・リリエンタールは、鳥の身体構造を研究して

自身のグライダーを完成させています。

 

鳥の身体構造は空を飛ぶためにできており、

同じ大気中を滑空する構造を持つ装置を作ろうとすれば

自然に鳥の形に似るのは当然です。

 

つまりこれは「鳥に似た飛行機」ではなく

「飛行機に似た鳥」と考えた方が自然です。

 

その2:この模型は古代エジプト時代のものではない

 

「五代エジプトのグライダー」が発見されたのは

紀元前306年から紀元前30年にかけてエジプトに存在した

プトレマイオス朝時代の墓地でした。

 

プトレマイオス朝成立より遡ること35年前、古代エジプト王朝

ネクタネポ2世の時代にペルシアに征服されました、ネクタネポ2世は

最後のエジプト人ファラオとなります。

 

そのわずか10年後、マケドニアのアレクサンドロス3世、

つまりアレクサンダー大(イスカンダル)がエジプトに侵攻、

支配権がペルシアからマケドニアに移行。

 

しかし、アレクサンダー大王の死後、マケドニアは後継者の地位を

巡って分裂、その後継者のひとりとされたプトレマイオスが

エジプトを拠点として勢力を拡大し、306年にプトレマイオス1世として

即位したのが、プトレマイオス朝の始まりです。

 

ちなみに、絶世の美女として知られるクレオパトラ7世はこの

プトレマイオス朝最後のファラオであり、彼女の死後、エジプトは

ローマ帝国の属州となります。

 

歴史区分的には、プトレマイオス朝はエジプト王朝とは

区別されており、つまりこの模型は「古代エジプト」のものでは

ないとされています。

 

その3:航空機として見た場合の設計の不備

 

航空機としてみると、この模型には水平尾翼に当たる構造がありません。

主翼構造にも不備が見られ、理論的に見ればこの形状で

安定した飛行が可能であるとは考えられません。

 

その4:どう見ても鳥?

 

この模型がオーパーツであると主張する人は、この模型を

斜め後ろから撮影した写真ばかりを証拠として用いてますが、

前方から真横にかけての写真でははっきり鳥の頭部と見える

造形を確認することができます。

 

機首部分=つまり頭部に見られる鳥のくちばしや目という造形は

航空機としては不要なものです。つまりこれはあくまで鳥の模型で

あって、グライダーとして設計されたものではありません。

 

 

 

以上が否定論を採る人たちの大体の意見です。

なるほど、確かに仰る通り……のように思えます。、

 

ですが。

 

 

「異議あり!!」 と隊長は叫んだ

異議ありと叫ぶ司馬懿

 

「古代エジプトのグライダー」が作られた時代を推測すると

これがプトレマイオス朝の墓地から発見されたことを考えると

紀元前3世紀以降のものと考えられますが。

 

しかし、実はそれよりも前、紀元前5世紀から4世紀頃、

古代ギリシアの哲学者アルキタスが、

蒸気推進による飛行機模型を創ったという記録が残されているのです。

 

 

 

ドイツ人研究家のウィルヘルム・シュミット氏によれば、

アルキタスは軽量の素材を作って機体の骨組みとし、

その中に豚の膀胱(ぼうこう)に弁を付けた袋を取り付け、

圧縮蒸気を詰めて200メートル飛ばしたということです。

アルキタスはこの飛行模型を「鳩」と名付けています。

 

(参考サイト)Die fliegende Taube des Archytas von Tarent

 

アルキタスは生涯に何冊かの著作を残したそうですが

現代ではそれらはすべて喪失してしまっています。

だから、アルキタス自身が「鳩」を作ったというのが

事実であるかどうか、それを証明することはできません。

 

しかし、もしそれが事実であれば、彼の発明の話が

エジプトに伝わり、「古代エジプトのグライダー」が

作られるきっかけになった可能性は十分あります。

 

「古代エジプトのグライダー」は

実際には古代エジプト時代より後のプトレマイオス朝時代の

ものでしたが、そのことが逆に、この模型が飛行機として

作られた可能性があることを示しているわけです。

 

おお、なんという皮肉でしょうか。(笑)

 

 

鳥の模型としてもおかしな「古代エジプトのグライダー」

古代エジプトのグライダー

 

否定論者の主張の軸となるのは、

この模型の構造が航空機としては不備があるという指摘です。

しかし、鳥の模型としても不自然なんですよね、これ。

 

それは尾羽根の部分。

こんな魚の尾鰭(おひれ)のような形状の尾羽根を持つ鳥なんて

果たしているものでしょうか?

むしろこれは最初から垂直尾翼として作られていると

考えた方が自然に思われます。

 

つまり、古代エジプトのグライダーは、この後本来は

水平尾翼を付けるはずだった……

つまり未完成品だったのではないでしょうか?

 

全体的に荒削りで、装飾的な意匠がほとんどされていないのも

見るからに作りかけ、という雰囲気じゃないですか。

 

どう見ても鳥? それがどうした!!

 

目がある?

くちばしが付いている?

どう見ても鳥にしか見えないだろ!?

 

そう思う方は、こちらのサイトの画像を御覧ください。

 

 

この「adventurelounge.com」というサイトは

20世紀前半にアメリカで特許出願された

飛行機のデザイン画を集めているのですが、

これはそのコレクションのうちの1枚、

1943年に出願されたものです。

 

どう見ても鳥です(笑)

 

尾翼なんか、「古代エジプトのグライダー」より

ちゃんと鳥の尾羽根の形状をしてますよ?

 

1943年と言えば第二次世界大戦中の時代

いうまでもなく、航空機はとっくに実用化されている時代です。

 

そんな時代の人が、鳥そっくりのデザインの飛行機を

特許出願してるんですから

プトレマイオス朝時代の人がデザインした飛行機が

鳥に似ているからと言って、飛行機説を否定する論拠になるとは、

 

ちょっと、言えないんじゃないですかねぇ~?。

 

HMR隊長のつぶやき

三国志ライター 石川克世

 

まあ、この木犀模型を飛ばすために

作ったという証拠はどこにもありませんし、

例によって状況証拠を並べても、

あくまで推測の域をでないんですよね。

 

空を飛ぶことは悠久の昔から

人類の見果てぬ夢でした。

 

古代人が、その時代の知恵を絞って

「空を飛ぶ」ことを実現しようとした。

そう考えるのも浪漫があるじゃないですか。

 

ではでは、また次回。

 

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石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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