明の時代の墓から出土した腕時計型の指輪は、後漢時代のダ・ヴィンチが作ったものだった!?(HMR)

2015年12月6日




指輪 引用

(写真引用元:kowabana.jp/

中国史のさまざまな謎を追う「はじさんミステリー調査班」(HMR)、今回は明の時代の墓所から発掘された、謎の指輪の正体に迫ってみようと思います。

果たしてそれはオーパーツなのでしょうか?

それとも……。




ベトナム国境近くで発掘された、金属製のスイス腕時計型指輪

指輪 引用

(写真引用元:http://fanblogs.jp/

 

2008年12月、中国で発掘されたある指輪が話題となりました。

出土したのは中国のベトナム国境近くに位置する広西チワン族自治区にある明(1368年~1644年)の時代のものと思われる墓でした。

 

その墓の棺室に収められていた粘土製の棺桶の中から、鋼でできた指輪と思しきものが発見されました。

 

驚くべきは、その指輪の形でした。

それはどう見ても、腕時計にしか見えないものだったのです。




時刻を示す長針と短針、そして『スイス製』の文字まで

photo credit: road of the righteous via photopin (license)

 

文字盤に当たる部分には長針と短針が刻まれており、10時6分を指し示しています。

しかもなんと、その文字盤の裏には「瑞士」の文字が。

「瑞士」は中国語で“スイス”を意味します。

つまり、この時計はスイス製の腕時計を模した指輪であったのです。

 

果たして、明の時代の墓所から、スイスの腕時計をかたどったミニチュアが出土することなど、ありえるのでしょうか?

 

腕時計は19世紀の発明品

ナヴォーナ広場のオベリスク wiki

(写真はナヴォーナ広場のオベリスク)

時計の歴史は古く、紀元前3500年頃にはエジプトで日時計が使われていたことが記録に残されています。

イタリアのナヴォーナ広場や、パリのコンコルド広場などに移設され有名なあのオベリスク(方尖塔)も、その影を日時計として利用されていたことが知られています。

しかし、腕時計が出現するのは機械式時計が発明された後、

オベリスクが日時計として使用されていた時代から5500年もの未来、19世紀後半を待たなければいけません。

明は14世紀から17世紀にかけて存在した王朝です。その時代の墓に、腕時計を模した指輪が副葬品として収められるわけがありません。まして中国にスイス製の腕時計が輸入されるようになったのは、第二次世界大戦以降のことだと言われています。どう考えても、このようなものが出土するなどありえません。

果たして、この腕時計型指輪は本当にオーパーツと言えるものなのでしょうか?

 

中国の時計の歴史を辿ってみる

photo credit: Poppy & Sun via photopin (license)

 

中国で最初に用いられた時計は水時計だったされています。

水時計とは、流れる水を容器に入れ、その量(水面の高さ)で時刻を調べる仕組みの原始的な時計で、日時計と同様の古い歴史があると考えられています。

 

中国で水時計が使用されるようになったのは、実在したことが確認されている最古の王朝である殷の時代(紀元前17世紀~紀元前11世紀)で、

メソポタミアから持ち込まれた水時計がその源流にあるとされています。

 

水時計は中国から周辺アジアへと広まり、『漏刻(ろうこく)』とも呼ばれました。

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

-はじめての変, 三国志の雑学, 執筆者:石川克世
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