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孫策は周瑜と○○だったのか!?

2018年12月16日


 

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呉の小覇王・孫策

 

江東の小覇王として孫呉の礎を築いた孫策(そんさく)。そして孫策の親友として知られる周瑜(しゅうゆ)。二人の結びつきの強さは断金の交わりとしても知られる程、特別な関係でした。しかしどうして二人の関係はそれほど特別だったのでしょうか。そこには○○の秘密があったのです。さて今回の○○には何が入るのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今回の○○はこれだ!!

三国志ライター黒田レン

 

黒田レンの○○シリーズ!!これは黒田レンがタイトルに○○を入れている記事からは始まったシリーズですが、今回の○○にはいったい何が入るのでしょうか。それは血のつながりがあったからです。え!?孫策と周瑜には血のつながりが本当にあったのでしょうか!?

 

 

 

「江表伝」に記載されている事実!!

呉の周瑜、孫策、程普

 

正史三国志周瑜伝に二人には血のつながりがあるとの記載があります。孫策は江東をあらかた制圧した後、親友である周瑜に豪壮な家を与え、いっぱい贈り物を送って、その贈り物の多さは孫呉の臣下の中でも類を見ないほどだったそうです。更に孫策は周瑜に書状を与えた時「周瑜は英才であり、俺とは血のつながりのある幼なじみだ!!」と記載してあり、二人が血縁関係にあったことを匂わせているのです!!

 

kawa註:孫策が周瑜に与えた書状って?

 

孫策が周瑜に与えた書状は江表伝にあり以下の内容です

 

周公瑾は英儁異才であり、私とは元服以前からの交流で骨肉を分かつ関係である。前に丹楊にあった頃、軍糧及び兵船を発して大事を遂げその徳を論じ功績を報いたが、周瑜の功に報いるにこれでは足りなかったので、さらに報いるのである黒田レンは、この骨肉を分つという部分を血縁と考えているようです。単純に考えると、大喬と小喬の姉妹を妻にしているから骨肉であると考えがちですが、この書状が出たのは、皖を攻略して大喬・小喬を得る前のようです。じゃあ、骨肉とは何を意味するのか、大袈裟にそう言ってリップサービスをしただけなのか?

 

異論・反論のある方メッセージを下さい。

 

呂布対項羽

 

 

血縁関係を匂わせる周瑜の行動

周瑜と孫策

 

孫策と周瑜の関係性は確かに血縁関係があってもおかしくない結びつきの強さがあります。更に周瑜の行動が孫策との血縁関係を匂わせるある事をしているのです。孫策は周瑜から周家が持っていた大きな屋敷を与えられています。いくら周瑜が孫策の親友だったとしても、家をあげるなんてありえないと思いませんか。

 

でも孫策と周瑜が血縁関係にあると仮定するのであれば、周瑜が血縁関係にある孫策へ家をあげても別に不自然ではありません。また周瑜は孫策へ家をあげた後、孫策の母親にいつもご機嫌伺いをしていたそうです。この周瑜の行動も普通の親友であれば、こんなことをしないはずですが、血縁関係にあれば、周瑜の行動にも説明がつくと思いませんか。

 

 

 

呉夫人の言葉

呉夫人

 

更にもう一つ孫策と周瑜に血縁関係があったことを匂わせる記載があります。これもまた正史三国志に記載している記述なのですが、孫権が孫策の死後、跡を継ぎます。その後孫権はあることで孫権の母・呉夫人の所に意見を聞くため、周瑜一人だけを連れて一緒に向かいます。その席で周瑜は呉夫人の前で孫権に色々と意見を述べます。

 

その後呉夫人は孫権へ「周瑜殿の意見が一番まっとうな意見だと思いますよ。なんせ策と同い年で私はわが子のように思っていますから」と述べています。普通に考えれば呉夫人は周瑜が自分の子のように思っていると考えるのがベストでしょう。

 

しかし上記でも記しましたが、周瑜が孫策に施した数々の行いや孫策が周瑜に対して特別な扱いした出来事を考えれば、呉夫人の「わが子のようにおもっていますから」の言葉も素直にそのまま受け取っても別に何ら不思議ではありません。果たして呉夫人が孫権に述べた言葉どういった意味を含んでいたのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

孫堅の家系図には周瑜の名前が一切入っていない為、普通に考えれば周瑜が孫家の親戚である可能性は少ないと思われます。しかし孫家は元々役人を行っていた家柄で、周家と関係があったのかもしれません。またもしかしたら家系図に記載されていない所で、孫家と周家が後漢王朝中期のどこかで交わるような事があれば、周瑜と孫策にも血のつながりがあってもおかしくないと思いませんか。三国志の時代はまだ全貌が解明されたわけではないので、確定的な事がいえる事柄と言えない事柄あり、孫策と周瑜の血縁関係がある可能性もゼロだと断定することはできないでしょう。

 

■参考 正史三国志呉書など

 

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呉の武将

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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