沖田総司とはどんな人?本当にイケメンで彼女はいたの?

2018年12月20日


 

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幕末志士を逮捕する新選組と沖田総司

 

今回は沖田総司(おきたそうじ)について取り上げます。沖田総司といえば、新選組(しんせんぐみ)の中で剣術の名人だけでなく、若くして病気で死亡したことでも有名です。沖田のことを夭折した好青年として捉えられることが多く、若い女性ファンの間で最も人気のある隊士の1人となっています。この記事では、最初に沖田総司の経歴とイケメンかそうでないかといった点を中心に取り上げます。終わりに沖田総司が残した名言について取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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沖田総司とは?

沖田総司 幕末

 

沖田総司は1842年に生まれました。9歳の頃から江戸の市谷にあった天然理心流の道場試衛館に通います。この頃に新撰組の隊士としてともに行動する近藤勇(こんどういさみ)土方歳三(ひじかたとしぞう)と出会いました。沖田は剣術の名人であり、若くして試衛館の塾頭を務めました。

 

沖田の新選組としての活動は、1863年に壬生浪士組として参加し、上洛した頃から始まります。壬生浪士(みぶろうし)組の頃には筆頭局長だった芹沢鴨(せりざわかも)の暗殺や大阪町奉行の与力内山彦次郎(うちやま ひこじろう
)
暗殺など重要な出来事に関わっています。壬生浪士組から新選組に変わると、局長の近藤勇とともに池田屋に踏み込みました。この事件は池田屋事件といいます。新選組は池田屋事件で全国的に有名になりましたが、この事件において沖田は喀血しました。ドラマなどで喀血する姿を見ることが多いと思います。

 

1865年に総長の山南敬助(やまなみ/さんなん けいすけ)が脱走すると、追っ手として沖田は山南敬助を捕らえました。山南は切腹しますが、切腹の際沖田総司が介錯をしました。沖田は池田屋事件で喀血しましたが、新選組での活動を続けていました。1867年以降、沖田の病状は悪化しました。戊辰戦争の最初の戦争である鳥羽伏見の戦いに参加することができず、江戸で療養をせざるを得ない状況になりました。1868年に病気により死亡しました。

 

 

 

沖田総司はイケメン?

 

沖田総司について、剣術の名人であるが、結核で若くして死亡することからドラマで取り上げられることが多く、女性ファンの間で人気があります。これまでのドラマで、イケメン俳優が沖田総司を演じてきたため、沖田総司はイケメンであると考えがちですが、写真は残されていません。

 

沖田総司の肖像画については残されています。ここでは沖田の肖像画について取り上げます。沖田の姉が孫を見て、総司にどこか似ていると言ったことから、孫をモデルに描かれた肖像画です。孫だけでなく、八木家の者や新選組に関わった人物の証言も参考にしています。ヒラメ顔で笑うと愛嬌があり色黒や猫背・長身などの特徴をもとに描かれました。

 

西郷どん

 

 

沖田総司の恋人(彼女)とは?

 

沖田総司は生涯独身だったといわれています。芸者遊びをしたという記録はありません。女性関係では沖田の恋人が医者の娘だったということが挙げられます。医者の娘というだけで名前などの詳細については分かりません。沖田と医者の娘との関係は、局長の近藤勇の反対により終わりました。近藤は、武士は武士の娘と結婚するものと考えていたことが要因として挙げられます。沖田は近藤に恋愛を反対されるとあっさりと娘との関係をやめたといわれています。

 

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幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は新撰組の隊士の中で最も人気がある沖田総司について取り上げました。ここでは沖田総司の墓と名言について取り上げます。沖田の墓は東京都港区の専称寺にあります。交通アクセスは、六本木駅から徒歩8分の場所にあります。六本木ヒルズを目印にすれば分かりやすいと思います。

 

次に、沖田総司が残した名言について取り上げます。「大刀を損じれば小刀を抜きなさい。小刀を損じれば鞘で、鞘を損じれば素手でも戦いなさい 。戦場では誰も待ってはくれないのですよ。」という名言が有名です。この名言を通して、新選組組長として戦うことに妥協を許さなかった沖田総司の性格を知ることができます。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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