甘寧を討ち取った沙摩柯とは?夷陵の戦いで突如として現れた胡王

2018年12月27日


 

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異民族

 

三国志』はその内容をまるで知らない人には()(しょく)()の三つ(どもえ)合戦が延々と続く物語だと思われがちですが、

実際には決してそうではありませんよね。

序盤ではそれぞれ天下を狙う他の勢力と戦っていたりたまには同盟を組んでみたり、そうかと思えば異民族討伐に精を出したり…。

こうして見るとけっこう色々な要素が詰め込まれています。

 

ところで、異民族といえばなんとなく「敵」のイメージがありますが、味方として戦ってくれることもしばしば。

敵としてはやっかいな存在ですが、味方にすると頼りになるのが異民族です。

今回は、蜀の味方として大いに活躍した異民族の・沙摩柯についてご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備、関羽の弔い合戦を強行

劉備、関羽の弔い合戦を強行

 

ことのはじまりは劉備(りゅうび)の義兄弟・関羽(かんう)が呉の呂蒙(りょもう)に討ち取られてしまったことでした。

荊州を返す返さないでのらりくらり身をかわしていたらとんでもないしっぺ返しを食らった蜀。

 

関羽を失ったと知った劉備は我を忘れて大憤怒、呉の討伐を強行してしまいます。

夷陵(いりょう)の戦いの幕開けです。

 

 

 



胡王?蛮王?沙摩柯参戦

沙摩柯

沙摩柯(しゃまか)

 

「絶対に関羽の仇を取るぞ!」と息巻く劉備の前に何とも奇妙な助っ人が現れました。

 

顔はまるで鮮血を注いだように真っ赤。

 

しかし、その顔の色と対照的な碧眼をギラつかせた散切り頭の大男。

左右の腰には弓を備え、鉄疾黎骨朶(てつしつれいこつだ)という鬼の金棒を思わせるような武器を手に持ち素足で現れた彼の名は沙摩柯でした。

いかにも蛮族という風体の彼はやはり蛮族の王だったようです。

 

ただ、どこの異民族の出身かは明らかになっておらず、正史『三国志』では胡王、『三国志演義』では蛮王と称されています。

このように正体不明の沙摩柯ですが、劉備にとっては見るからに心強い助っ人だったことでしょう。

 

 

『三国志演義』では甘寧を射殺

『三国志演義』では甘寧を射殺

 

正史『三国志』では沙摩柯の活躍ぶりはあまり描かれていませんが、『三国志演義』では華々しい活躍を見せてくれています。

 

「甘寧一番乗り~!」で有名な元ヤクザの親分・甘寧を腰に引っさげていた弓で見事射殺。

呉軍を激しく動揺させます。

甘寧は病気をおして出陣していたとはいえ歳をとっても暴れ馬のようだった甘寧を討ち取った沙摩柯は

なかなかの剛の者という設定だと考えられるでしょう。

『三国志演義』はやっぱり創作ですからね。

 

実は、沙摩柯の夷陵の戦いでの様子は正史では陸遜の火攻めに遭って斬首されたという残念なことしか書いてありません。

蜀軍ははじめこそ有利に戦を進めていましたが、遠征疲れが出始めたところを陸遜によって見破られ、火攻めによって退路を断たれて

壊滅させられてしまいます。

 

その際、沙摩柯も逃げ遅れて呉軍につかまり処刑されてしまったとのことです。

ただ、やはり『三国志演義』では沙摩柯はもう少し格好良く描かれています。

一騎で逃げていたところ追撃してきた周泰に追いつかれて一騎打ちの様相に。

 

20合あまり打ち合った末、沙摩柯は討ち取られてしまったということになっています。

 

 

正史と『三国志演義』でなぜこうも違うのか?

正史と『三国志演義』でなぜこうも違うのか?

 

陳寿が著した正史『三国志』と『三国志演義』とでそのキャラクターが全く異なる人物というのはけっこういますが、

沙摩柯のキャラ変は結構著しいものですよね。

しかし、なぜこんなに違うのでしょうか?

 

それはおそらく『三国志演義』は劉備が主人公だからでしょう。

 

正義の主人公・劉備の味方は正義の人でなければいけませんし、正義の人は強くなくてはいけません。

だから、『三国志演義』の沙摩柯は正史よりも強く格好良い人物として描かれることになったのでしょう。

主人公・劉備を持ち上げるために、自然と沙摩柯も持ち上げられたというわけです。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

謎多き異民族の王・沙摩柯は正史『三国志』では陸遜伝にちょっぴり顔を出すくらいの存在です。

それなのに『三国志演義』で大抜擢されているのは異民族の王というキャラクターがおいしかったのかもしれません。

異民族の王まで味方に付ける正義の劉備という構図は劉備万歳の『三国志演義』には好都合ですからね。

もし沙摩柯が劉備の味方ではなく呉の味方についていたならば沙摩柯は『三国志演義』に登場することすら叶わなかったかもしれません。

 

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黄巾賊

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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