諸侯たちが王を名乗り「我こそは真の王だ!」としのぎを削っていた戦国時代。
お飾りとなってしまった周をしり目に諸侯たちは暴れまくっていました。
その中でも特に力が強かったのが中国大陸の西方に陣取っていた秦です。
そんな最強ともいえる秦を支えていたのもやっぱり遊説家たちでした。
今回は秦での遊説家たちの活躍ぶりをご紹介しましょう。
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棚ぼたで土地をゲット
楚が秦を攻めた際、遊説家・張儀が秦王・恵文君に次のように勧めました。
「魏に味方をしてあげると良いでしょう。
魏が戦に勝てば魏は秦に従うようになり、西河の外の地を寄越すに違いありません。
また、魏が負けたとしても魏には西河の外の地を守れずに秦のものになることでしょう。」
そこで恵文君は兵を1万人と戦車百乗を魏の犀首将軍に与えました。
その結果魏は楚に勝利しましたが、兵は疲れ切ってしまい、秦に襲撃されることを恐れて西河の外の地を献上してきたのでした。
ただ兵を貸すだけで土地をゲットした秦。
魏が勝っても負けても棚からぼたもちが落ちてくることを見抜いていた張儀の先見の明にも驚かされますね。
百里を行く者は九十里を半ばとす
戦国の七雄の中でも特に強大な力を誇っていた秦。
しかし、その強さを鼻にかけ、秦の武王は他国を蔑ろにしていたようです。
そのことを憂いた者が秦の武王に次のような話をしました。
「私は武王様が斉を軽んじ、楚を侮って韓を属国扱いしていることをとても心配しております。
私は『王兵は勝ちて驕らず、伯主は約して忿らず』と聞いています。
勝っても驕らないからこそ世を従わせることができ、窮地に陥っても恨まないからこそ隣をなびかせることができるのです。
驕ったり恨んだりということは覇王のすることではございません。
また、『詩経』には『初めあらざるは靡く、よく終わりあるは鮮なし』とあります。
古の聖王が重んじたのはただ初めと終わりなのです。
今、武王さまは宜陽を破り、韓の三川の地を踏みにじり、天下の国々の交わりを断ち切り、東西両周の国境を遷し、
楚の黄棘を取りました。その結果、韓・楚の軍は進もうとしませんでした。
武王様がここで有終の美を収めれば天下の覇王となれるでしょう。
しかし、武王様がここで有終の美を収めることができなかったら天下の物笑いになってしまうのではないかと心配でなりません。
『詩経』に『百里を行く者は九十里を半ばとす』とあります。
これは、最後の道程の険しさを言っているのです。
今武王様にはいつにもまして驕色が見えます。
天下の覇業は世の諸侯たちの心次第。
楚が討たれるのでなければ、討たれるのは必ず秦でしょう。
秦は魏を助けて楚を防ぎ、楚は韓を助けて秦を防いでおり、四国の兵力が釣り合っているために戦が起こらない状態です。
しかし、秦・楚のうちどちらかが斉・宋を手に入れれば、その均衡が崩れて秦・楚のどちらかが必ず打たれてしまいます。
万が一楚・秦が斉・宋を手に入れようと争えば、秦・楚両国は天下の物笑いとなってしまうでしょう。」
長い説教に恐れ入ります…。
昔話や『詩経』の言葉を巧みに使いながら武王の驕りを戒めています。
有名な故事成語である「百里を行く者は九十里を半ばとす」は
現在見ることができる『詩経』には見られないため、『戦国策』のこちらのエピソードが出典とされています。
「奇貨居くべし」の別バージョン
秦の始皇帝の父親が趙に人質となっていて、呂不韋によって見出されたという話は『史記』にも載っているということで有名ですが、
『戦国策』にも似て非なるエピソードが。
商人であった呂不韋が趙の邯鄲に行商に出かけたところ、後に始皇帝の父となる異人を見かけます。
呂不韋は帰宅して父に次のように尋ねました。
「田畑を耕すと利益は何倍になるでしょうか?」
「十倍だ。」
と答える呂不韋の父。
今度は
「真珠のもうけは何倍でしょうか?」
と尋ねる呂不韋。
「百倍だ。」
と答える呂不韋の父。
「国君を盛り立てることによるもうけは何倍でしょうか?」
と尋ねる呂不韋。
「はかり知れないな…」
と答える呂不韋の父。
これを聞いた呂不韋は
「あくせく野良仕事に精を出しても暖かい服も食料もまともに手に入らない。
しかし、ここで国を建てて君を立てれば子孫にたくさんのものを遺してやれます。」
と言って異人の元に出かけて行ったのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
秦は強国なので、秦策に収められているエピソードにもどことなく余裕が感じられます。
強国ならではの王の驕りを諫めるエピソードが多い秦策ですが、遊説家たちが歴代の王をうまくコントロールしてきたからこそ
秦は天下統一の覇業を成し遂げられたのだということを窺い知ることができますね。
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