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漢詩も2つの流派に分かれる
漢詩が全盛期を迎えるのは六朝時代や唐代ですが、漢王朝の時代にはその萌芽ともいえるものが見られるようになっていました。その代表的なものが「楽府」と呼ばれる民謡と「賦」と呼ばれる長うたです。「楽府」は五経の1つに数えられる『詩経』において「風」に分類されている詩を源流とするもので、五言のものが多く、音楽にのせて歌われることが前提の詩となっています。「楽府」には韻を踏むということ以外に技巧と呼べる表現は少なく、民草の素朴な感情が詠われているのが特徴。他方、「賦」は南方で生み出されたシャーマニズム的要素が強い『楚辞』を源流とするもので、七言のものが多いです。「賦」は純朴な印象の「楽府」とは異なり、比喩表現や対句表現などの技巧に富んだものばかり。中でも前漢代では司馬相如の「子虚賦」や「上林賦」が、後漢代では班固の「両都賦」が有名です。
お墓に埋められた芸術品の数々
漢代には多くの芸術品も作られていたようで、墳墓の中からたくさんの美術品が出土しています。明器と呼ばれる食器や家具、動物や奴隷をかたどった土器や青銅器、陶磁器、漆器をはじめ、遺体を覆う金縷玉衣、神話や戦争を描いた壁画等、実に様々。どれもこれも漢代の人々の技術力の高さが窺い知れる代物ばかりです。
天文学や医学、数学も発展
後漢代には様々な科学技術も一気に発展していきました。張衡という人物は天文学に励み星座の位置を正確に示す渾天儀やどの方角で地震が起きたかを知ることができる地動儀を発明したり、月食のメカニズムを解き明かしたりと大活躍。張仲景という医者は傷寒という伝染病を研究して『傷寒論』という医学書を著しました。
また、華佗という医者に至っては麻沸散を使って世界初の全身麻酔を行ったと言います。
数学についても『九章算術』という数学の問題集が編まれており、その当時の人々も数学に励んでいたことが窺えます。
三国志ライターchopsticksの独り言
こうして漢代の文化を列挙してみるとどれもこれも後世に大きな影響を与えたものばかりですね。漢王朝がいつまでも漢民族が誇る王朝として語られ続ける所以が垣間見えます。
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