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「杞憂」の出典は『列子』意外に長くてちょっぴり哲学

2019年2月2日


 

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袁術

 

杞憂(きゆう)」という言葉があります。

意味は、心配する必要のないことを心配すること、取り越し苦労。

この言葉の出典は道教(どうきょう)の思想書『列子(れっし)』です。

杞の国の人が、天が落っこちてこないかと心配した話が『列子』に載っており、あらすじを知っている方も多いかと思います。

あらためて『列子』を読んでみると、この話は意外に長く、ちょっぴり哲学しております。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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天は落っこちないし大地は崩れ去りません

 

『列子』にある杞憂の話を読んでみましょう。

 

 

杞の国に、天が落ち地面が崩れ人類の住む場所がなくなるのではないかと心配する人がいた。

食事ものどを通らず、眠ることもできぬありさま。

そのように心配する彼のことを心配する人がいて、彼のところへ行ってこうさとした。

「天は気が積もっただけのものである。気はそこらじゅうに充満しているものだ。

あんたが体を曲げたり伸ばしたり呼吸をしたりしているのは、常に天の中でやっているのだぞ。

崩れたり落ちたりする心配などない」

そう言われた男は、こう質問した。

「天が気の積もっただけのものであるならば、太陽や月や星が落ちてくることはないだろうか」

「太陽も月も星も、気が積もった中で光っているだけのものだ。

仮に落ちてきたとしても、ぶつかって怪我をするようなものではない」

「大地が崩れ去ったらどうする?」

「地面は下に積もった塊で、みっちりと詰まっている。

あんたが踏んづけたり歩いたりしているのは、常に地上でやっているのだぞ。

崩れ去る心配などない」

こう言われた男は、ああなるほどそうですねぇと大いに喜び、説得しに行った人もそうこなくちゃと大いに喜んだ。

 

現代人の常識とは違う考え方のようですが、そこは気にしないこととして。

このあたりまでが杞憂のあらすじとしてよく知られている部分かと思いますが、『列子』にはまだ続きがあります。

 

崩れないとは断言できない

 

上のやりとりを聞いて、笑って異論を唱える人が現れます。

 

長廬子(ちょうろし)という人はこの話を聞いて笑った。

「虹も雲も霧も、風も雨も四季も、気が積もった天の運行によるものだ。

山や河や海、金属や石、火や木、これらは積もって形をなす地によるものだ。

いずれも積もってできたものであるのだから、崩れないと断言できるはずがない。

天地は宇宙の中ではちっぽけなものであるが、形あるものの中では最も大きなものだ。

終わりや極みが分かりづらく、測りがたく知りがたいことは当然である。

崩れるのではないかと心配する者もとんちんかんだが、壊れるわけがないと言う者も間違っている。

天地が崩れないとは断言できない以上、崩れうるものであろう。

崩れる時に遭遇した場合には誰だって憂えずにはいられない」

 

すぐには崩れないかもしれないけれども、いずれは崩れるかもしれないという考え方ですね。

ちょっぴり哲学っぽくないですか?

さて、『列子』にはまだ続きがございます。

 

考えたってしょうがない

 

この杞憂の話、最後は列子のまとめで終わります。

 

列子はこれらの話を聞き、笑って言った。

「天地を壊れるという者も壊れないという者も間違っている。

壊れるか壊れないかは人智のおよばぬところだ。

何を言ってもそれぞれ一理あるということになるだろう。

生は死を知らず、死は生を知らず、未来は過去を知らず、過去は未来を知らぬ。

壊れる壊れないなどと心を煩わせないことだ」

 

どうせ分かんないんだから考えたって無駄さ、というまとめ方ですね。

これも哲学っちゃあ哲学ですか……。

『列子』は道教の思想書と言われていますが、儒教の聖典『論語』の「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」みたいな考え方ですね。

列子、リアリストなんですかね!?

『列子』は長い年月の間に加筆されながらまとまった本らしく、内容に統一性がありませんので、これが道教の思想なのかな、とか難しく考えなくてもいいと思います、たぶん。

   

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンさん

 

欧米にも杞憂に似たお話があります。

『Chicken Licken』という話で、日本では英語学習の教材によく載っているものです。

こんなあらすじです↓

 

ある日、ひよこのリキンの頭にどんぐりが落ちてきました。

「たいへんたいへん、お空が落ちてきちゃう! 王様に知らせに行かなくちゃ!」

王様のところへ行く途中、会う人会う人にこう語り、それは大変と、鳥の仲間たちがぞろぞろ連れだって王様のところを目指します。

途中で会ったキツネにもこの話をすると、キツネは王様のところへ案内しようと言いました。

案内された先には、お腹をすかせたキツネの家族たち。

結局、誰も王様に空が落ちてきていることを知らせることはできませんでした。おしまい

 

これはあらすじですが、ちゃんと読むと登場人物の名前が韻を踏んでいて面白いお話です。

このお話の教訓は、遠大なことを心配する前にもっと卑近なことを心配しなよ、ってことでしょうかね。

空が落ちてくることを心配するより先に、これから渡る横断歩道の右左を心配したほうがいい……。

 

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