眼帯は誰のもの?『一騎当千』で夏侯惇だけでなく呂蒙にも眼帯が付けられている件

2019年3月3日


 

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夏侯惇

 

中二病の象徴といえば眼帯ですよね。お目目を怪我したときに付けるドラッグストアでよく売っている白い眼帯をぎこちなく付け、数分ごとにズレを気にしていじくっているさまは、痛々しいを通り越して、もはやほほえましく感じられます。

 

ところで、なぜ中二病患者が眼帯に憧れるのでしょうか?

 

それはおそらくアニメなどで活躍する強くて魅力的なキャラクターに独眼竜(どくがんりゅう)が多いからでしょう。独眼竜といえば伊達政宗(だて まさむね
)
が思い浮かびますが、『三国志(さんごくし)』に登場するキャラクターにも超有名な独眼竜がいますよね。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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眼帯といえば夏侯惇!

夏侯惇

 

『三国志』に登場する独眼竜といえば、言わずと知れた夏侯惇(かこうとん)曹操(そうそう)挙兵(きょへい)してから曹操に常に付き従ってきた猛将です。彼が隻眼の武将として広く知られるようになったのは、『三国志演義』のあるエピソードからでしょう。

 

夏侯惇は呂布(りょふ)討伐に出かけた際、敵将・曹性(そうせい)の矢を受けて大けがを負ってしまいます。しかし夏侯惇は決してひるむことなく、矢を眼球ごと引き抜いて「親から授かったこの体、どうして棄てることなどできようか!」と叫んで左目をパクリ。

 

更に、猛然と曹性に襲い掛かって討ち取ったのでした。

 

ちなみに、正史『三国志』では流れ矢が左目に刺さって隻眼になり、夏侯淵(かこうえん)と区別するために「盲夏侯(もうかこう)」というあだ名をつけられ、鏡で自分の顔を見る度にイライラして鏡を投げ捨てまくっていたそうな。本人にとっては不名誉な隻眼ですが、隻眼だからこそその格好良さが際立ち、今や中二病患者たちの憧れの存在となっているのですからなんとも皮肉なものですね。

 

 

 



あれ?『一騎当千』では呂蒙にも眼帯が…

 

 

『三国志』の独眼竜は夏侯惇だけのはずなのですが、『三国志』ファンの中には「あれ?呉の呂蒙も左目に眼帯を付けていなかったっけ?」と思った人もいるのではないでしょうか。それも仕方のないことでしょう。

 

なぜなら、『三国志』をモデルにした大人気漫画『一騎当千(いっきとうせん)』では呂蒙を模したキャラクターの左目にもちゃっかり眼帯が付けられているのですから…!このキャラクターを見ていると、「あれ?実際呂蒙ってどうだっけ…?眼帯付けてたっけ…?」と不安になります。

 

では、実際に呂蒙は眼帯を付けていたのでしょうか?その真相をチェックしてみましょう。

 

 

呂蒙は実際眼帯をしていたのか?

 

正史とされている陳寿(ちんじゅ)『三国志』では、呂蒙伝を一文字一文字チェックしていっても「隻眼」だとか「眼帯」だとか「独眼」だとか、そういった類の記述を見つけることはできません。呂蒙伝に付けられた裴松之(はいしょうし)の注も同様、呂蒙が隻眼であったという記述は見られません。

 

他の伝に出てくる呂蒙の記述をチェックしてみても、やっぱり呂蒙が隻眼であったということは書かれていません。それどころか、おそらく『一騎当千』の作者が参照したであろう『三国志演義』にも呂蒙が隻眼であったということを示す記述は見当たりません。

 

呂蒙は史実の上でも小説の上でも夏侯惇のような隻眼の武将ではなかったようです。

 

 

キャラの個性を出すために呂蒙に眼帯を付けてみた?

 

では、なぜ『一騎当千』において呂蒙は眼帯を付けた隻眼キャラとして描かれているのでしょうか?

 

ファンの多くは「『三国志』に明るくない作者が夏侯惇と呂蒙を勘違いしてしまった」と考えているようです。しかし、もしかしたら『一騎当千』の作者はあえて呂蒙を隻眼キャラにしたのかもしれません。隻眼といえばやはり強いイメージがありますから、呂蒙を強いキャラクターであると印象付けるためにあえて史実に従わなかったのでしょう。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

『三国志』に登場する隻眼の武将は夏侯惇くらいのものです。しかし、『三国志』の創作物であれば、ぶっちゃけ作者の自由ですから、誰でも隻眼の眼帯キャラにしてしまって良いのではないでしょうか。

 

元々の人物のイメージにとらわれず、自由な発想に従ってキャラクターを作って行けば、『三国志』の二次創作もますます盛り上がるかもしれませんよ。

 

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一騎打ち

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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