勇気ある武将・徐盛!そのイケメンぶりを徹底解説

2019年3月11日


 

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郭嘉

 

イケメンとは「イケてるメンズ」を略した言葉です。今ではすっかり「顔がイケてるメンズ」のことを指す言葉として世の人々に定着しているこの言葉ですが、もともとは同性愛者のコミュニティの中で男性的な魅力がムンムンの男性のことを指す言葉として誕生した言葉なのだそう。

 

実は、そんな男の魅力ムンムンな武将が三国時代の()にいたのだとか。

 

 

 

その名も徐盛(じょせい)!今回は、男も思わずキュンとしちゃうイケメン徐盛の魅力についてご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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200人以下の兵で黄射を破るイケメン徐盛!

曹操と黄巾賊

 

黄巾の乱(こうきんのらん)が勃発して世が乱れ始めた頃、徐盛は故郷の徐州(じょしゅう)琅邪郡(ろうやぐん)を離れて呉郡(ごぐん)に居を置き、そこで度胸のある男だと評判になりました。徐盛は孫権(そんけん)に仕え、あるとき江夏の黄祖(こうそ)を迎撃する役割を与えられます。その際、徐盛は200人に満たない数の兵を率いていました。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

しかし、そんな徐盛が相手をしなければならなかったのは黄祖の息子・黄射(こうえき)率いる数千人の軍勢。数の上ではとても敵いっこない状況でしたが、徐盛は持ち前の勇気を振り絞り、黄射軍をコテンパンにして見事蹴散らしてみせたのでした。それから黄射は徐盛を恐れ、二度と侵攻してくることはなかったと言います。

 

 

 



敵陣に流れ着いても恐れず突撃するイケメン徐盛!

三国時代の船 楼船

 

それからも徐盛は数々の功績を積み上げていき、時は流れて濡須口の戦い(じゅしゅこうのたたかい)に挑むことに。曹操(そうそう)軍を船に乗って追撃していた呉軍でしたが、なんと船が強風によって流されてしまい、曹操軍の近くに漂着してしまうという大ピンチに陥ってしまいます。この状況に震え上がる呉軍の将たち。とても曹操軍に向かっていこうとは思えません。

 

海上での戦いの孫権

 

ところが、徐盛だけは違いました。徐盛はたった一人で兵をまとめ上げ、曹操軍に突撃!この急襲に驚いた曹操軍の兵たちは命からがら逃げて行ったのでした。このことを聞いた孫権は徐盛の勇敢さを褒め称えたそうです。

 

民間伝承の三国志

 

 

多くの船を失っても諦めないイケメン徐盛!

三国時代の船 蒙衝

 

徐盛のガッツは衰えることを知らず、魏の曹休(そうきゅう)が洞口に押し寄せてきた際にも発揮されています。長江を渡って曹休を迎え撃とうとした徐盛。ところが、またしても悪天候に見舞われて多くの船と兵を失ってしまいます。しかし、こういうときこそ徐盛の本領が発揮されるのでしょうね。徐盛はすぐに生き残った兵をかき集め、曹休軍に突撃!

 

曹休

 

曹休も当然すぐさま迎撃の姿勢をとり、船に乗って出陣したわけですが、少人数であるはずの徐盛の兵が強いのなんの。結局、曹休軍は徐盛軍に勝つことができず、軍を引き上げて帰っていったのでした。

 

 

偽城を建てて曹丕を追い払うイケメン徐盛

皇帝に就任した曹丕

 

呉と魏の戦いはまだまだ続き、ついには曹丕直々に大軍を率いて呉に攻め入ってきました。これには呉軍もビビってしまい、ほとんどの将の顔が青ざめていたことでしょう。そんな中で一際大きな声を上げたのが徐盛でした。

 

双流星を振り回している徐盛

 

徐盛は長江沿岸数百里にわたって偽の城を建て、曹丕を脅かしてやろうと提案しました。しかし、多くの将は「そんなことをしても無駄」とあきらめモード。それでも徐盛は決してあきらめることなく、偽物の城壁の建築を開始。

 

豊臣秀吉 戦国時代2

 

秀吉の一夜城よろしくものすごい勢い長江沿岸に城を築き上げていったのでした。この城を見た曹丕は茫然自失。

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

魏の将たちも度肝を抜かれ、呉に攻め入ることに恐怖を覚えました。その結果、曹丕は呉を攻めとるのは時期尚早だと考えて軍を引き上げていったのでした。このことがあってからは呉の将軍たちは徐盛を崇めるようになったと言います。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

多くの英雄が登場する『三国志』では比較的影が薄い徐盛ですが、その活躍ぶりは諸将を凌ぐ勢いがありますね。まさに男が惚れる男という印象です。もしも三国時代にイケメンコンテストがあればきっと徐盛が優勝することでしょう。

 

もちろん、ここでのイケメンは男性的な魅力があるという意味のものであって顔がイケてるかどうかではありませんが…。しかし、顔がイケメンであることより、徐盛のような男性らしい勇敢さがあるほうが女性から見ても魅力的なのではないでしょうか。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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