徐盛(じょせい)ってどんな人?人生を戦いの中で過ごした呉の将軍

2015年11月16日


 

徐盛(じょせい)

 

徐盛(じょせい)は、孫権(そんけん)孫策(そんさく)の跡を継いだ時に仕えた将軍です。人生をほとんど戦の中で過ごし、()のために戦い続けた将軍です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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200人で数千の敵を破る

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

徐盛は孫策(そんさく)の跡を継いだ孫権(そんけん)に仕えます。初めは兵士を500人ほど預かる部隊長に就任し、前線に配置されます。あるとき劉表(りゅうひょう)軍の黄射が数千を率いて、徐盛が守備する地域に攻め込んできます。

 

徐盛はこの時、200人に満たない兵士しか率いていませんでした。しかし、彼は果敢に出撃し、黄射を破って徹底的に追撃します。黄射は命からがら荊州に退却し、以後徐盛がいる地域には攻めてこないようになったそうです。また異民族討伐戦でも功績を挙げており、これらの功績により、孫権から信頼を寄せられるようになります。

 



数々の戦いに身を投じる

赤壁の戦い

 

赤壁の戦いの後、曹操(そうそう)軍が呉軍の重要拠点・濡須に大軍を率いて攻め込んできます。徐盛は孫権の指揮下に入り、曹操軍迎撃のため出陣します。徐盛は他の諸将と共に突撃船で攻撃を仕掛けようと出航しますが、強風のため船が流され、諸将と共に敵中に孤立してしまうのです。

 

諸将が恐怖で震えても徐盛は周りを奮い立たせる

諸将が恐怖で震えても徐盛は周りを奮い立たせる

 

徐盛は、諸将が恐怖で震えるなか、敵中に突撃を開始します。恐怖で震えていた諸将も彼の突撃に奮い立ち、一緒に突撃を敢行します。この突撃で、敵軍は退くことになり、徐盛たちは孫権軍の本陣に帰還することができました。その後は、曹操軍と膠着状態になり、決着をつけることが出来ないまま、曹操軍は退却することになります。敵中を突破した功績が認められて、将軍に任命され、ご褒美もたっぷりもらったそうです。

 

赤壁の戦い

 

夷陵の戦いにも陸遜の元で奮闘する

劉備 関羽途方 ぶち切れ

 

また夷陵の戦いでは、陸遜(りくそん)の指揮下に入り、劉備軍迎撃のため参加します。徐盛は、劉備軍に攻撃を仕掛けるたびに、砦や陣を陥落させるなど数々の戦功を挙げていきます。

 

呉の柱石として魏軍迎撃戦に赴く

曹丕

 

徐盛は夷陵の戦いの後、魏軍に備えるため魏国との国境沿いに転勤となります。転勤後すぐに、魏の曹休が攻撃を仕掛けてきます。徐盛は呂範らと共に迎撃に出陣しますが、この時も長江が大荒れに荒れ、出航した突撃船が転覆してしまいます。徐盛はすぐさま、乱れた軍を立て直し、船で流されていた兵士を回収して、曹休率いる魏軍の攻撃を防ぎ、撃退することに成功するのです。その後、魏の皇帝曹丕(そうひ)が大軍を率いて、呉に侵攻してきます。

 

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徐盛は大軍の曹丕に勝てないと判断

徐盛は大軍の曹丕に勝てないと判断

 

徐盛は数々の戦で得た経験を元に、この大軍にまともにぶつかっては勝てないと判断し、ある策を実行に移します。ある策とは呉の沿岸数100里渡り「ニセの城壁」の建築をすることです。諸将は無意味だからやめろと徐盛の策に反対します。しかし彼は反対意見を押し切り、偽の城を建造するのです。

 

果たして偽の城が曹丕に通用したのか?

曹丕皇帝

 

曹丕はこの城を見て「孫権の陣営には人材が数多く、呉の地を平定するのは難しい」と周りに愚痴をこぼした後、退却するのです。三国志演義では、曹丕率いる魏軍が退却したのを見計らい、徐盛や丁奉などの諸将と共に猛追撃を開始する。そのため魏軍は大ダメージを受け、さらに草木が多く茂っている場所で、魏軍に火計をしかけます。この追撃により、赤壁の戦いに匹敵するほどの損害を受ける事になるのです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

徐盛は人生の大半を戦で明け暮れた人物で、呉の国を心底愛しているエピソードをご紹介したいと思います。それは魏に臣従していた時のことです。魏の使者が孫権に対して傲慢な態度で接してきました。重臣の張昭(ちょうしょう)など群臣が怒っておりましたが、発言できず黙っておりました。

 

徐盛は、群臣たちが黙っている中、前に出て「過去に劉備を倒せなかったために、現在、魏のような国と同盟をしてしまった」と叫んだ後、群臣がいる中で号泣してしまうのです。魏の使者が孫権に対する無礼な態度を取り、みんな怒っているが、誰ひとり声を挙げない中、徐盛一人が痛烈な批判を言い放つ。この行動は、呉を心底愛し、勇気がないとできないですね。

 

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呉の武将

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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