岳飛の子孫にはどんな人がいるの?子供や孫、子孫たち一覧

2019年3月19日


 

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岳飛(南宋の軍人)

 

岳飛(がくひ)南宋(なんそう)(1127年~1279年)初期の武人です。

北宋(ほくそう)(960年~1127年)が(きん)(1115年~1234年)により滅亡させられたことにより、軍に入隊して頭角を現しました。

 

秦檜(しんかい)

 

一兵卒から軍の総司令官にまで成り上がりましたが、金軍との和議を望む宰相の秦檜(しんかい)や南宋初代皇帝高宗(こうそう)と対立しました。その結果、長子の岳雲(がくうん)や部下の張憲(ちょうけん)と一緒に無実の罪で投獄されて紹興11年(1141年)に殺されました。

 

39歳の若さでした。金と死ぬまで戦ったことから、「中国史上最大の英雄」と称賛されています。

ところで、岳飛の子孫についてはあまり詳しいことは知られていません。

 

今回は岳飛の子孫について紹介致します。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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岳飛の子供たち

 

まずは岳飛の子供たちです。

確認がとれるだけで男子は5人、女子は1人います。

 

岳雲

 

・長男・・・・・・岳雲(がくうん)

 

・次男・・・・・・岳雷(がくらい)

 

・三男・・・・・・岳霖(がくりん)

 

・四男・・・・・・岳震(がくしん)

 

・五男・・・・・・岳霆(がくてい)

 

・長女・・・・・・岳孝娥(がくこうが)

 

 

岳飛の子供たちで有名なのは長男の岳雲です。

ドラマ『岳飛伝 -THE LAST HERO-』にも登場します。

 

武芸に秀でた息子であり、功績も多く挙げていました。朝廷から昇進の話も出ましたが、岳飛は全て断りました。岳飛は親の威光で息子を出世させたくなかったのです。

 

紹興11年(1141年)に岳飛と一緒に捕縛されて、同僚の張憲(ちょうけん)と一緒に殺されました。享年23歳でした。次男の岳雷・三男の岳霖・四男の岳震・五男の岳霆の詳細な内容は分かりません。

 

岳飛の名誉回復後に官職を渡されたようですがただの名誉職であり、実質上の権限はありません。朝廷も岳飛の子供に権限を与えるのは嫌な気持ちがしたのでしょうね。

 

悲惨だったのは、長女の岳孝娥です。彼女は岳飛が死んだと聞いて井戸に身を投げて自害しました。ドラマでは兵士に連行される時に抵抗して、誤って井戸に落ちることになっています。

 

 

 

復讐の孫 岳珂

 

岳飛の三男岳霖には岳珂(がくか)という子がいます。岳飛の孫に該当します。文筆家だった岳珂はいくつかの書物を残しています。

 

有名な著作は、『金佗粹編(きんだすいへん)』、『金佗粹続編(きんだすいぞくへん)』です。

岳珂は祖父の無念を晴らすために『金佗粹編』、『金佗粹続編』を執筆したのです。

 

しかしこの2作の内容は極端でした。

 

岳飛=正義、秦檜=悪

 

という図式が、はっきりしています。

 

歴史書の『宋史』巻365・岳飛伝も、岳珂の著書を丸写しにして執筆されています。身内の主観が入っているので歴史的価値は、ほぼ無いと言われています。さらに、岳珂の著書をもとに創作されたのが、小説『説岳全伝』です。

 

無念だったのは分かりますが、嘘はいけません。

 

その後の岳飛の子孫

 

ところで、岳飛の子孫は現在いるのでしょうか。

実は驚いたことにいるのです。

 

岳飛と一緒に処刑された長男の岳雲と三男の岳霖の家は絶えずに残っていました。

2008年の時点で中国全土にいる岳飛の一族は、181.6万人です。

 

もちろん、彼ら全てが子孫とは限りません。中には自称しているだけの一族もいるかもしれません。しかし、近年彼らは交流を行って、岳飛の命日には祭祀を行うそうです。

 

また、一族が絶えないように族譜(家系図のようなもの)を作成しています。岳飛は永遠に人々の心の中に生き続けるのでしょう。

 

 

宋代史ライター 晃の独り言(お詫び)

三国志ライター 晃

 

ここで読書の皆様にお詫びがあります。

実は以前から、岳雲のことを筆者は〝養子〟と記述していました。

ところが、近年の研究で岳雲は実子と分かりました。

 

どうも岳飛の前妻との間の子のようです。南宋の史料『建炎以来繫年要録』という史料に記されています。

また、ドラマ『岳飛伝 -THE LAST HERO-』もこの説を取り入れている形跡がありました。

この場を借りてお詫びいたします。

 

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北宋・南宋

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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