本多忠勝と島津義弘のどちらが強い?最強武将対決


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三国志のモブ 反乱

 

戦国武将の中で、本多忠勝(ほんだただかつ)島津義弘(しまづよしひろ)のうちどちらが強いかファンの間で議論になっています。今回は前半で本多忠勝について、後半で島津義弘と島津の退き口についてそれぞれ取り上げます。

 

自称・皇帝
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本多忠勝とはどんな人?

本多忠勝

 

本多忠勝は1548年に三河国に生まれました。現在、生まれた場所には石碑が立っています。初陣は桶狭間の戦いで、今川義元(いまがわよしもと)の家臣である父とともに織田信長(おだのぶなが)の軍勢と戦っていました。

 

徳川家康

 

桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、本多忠勝は徳川家康(とくがわいえやす)の家臣となり、後に徳川四天王の一人となりました。徳川四天王の一人となると、数多くの戦いで武功を挙げました。

 

燃える本能寺

 

1582年に本能寺の変が起こり、織田信長は自害しました。当時、徳川家康は本多忠勝ら少数の家臣とともに堺に滞在していました。本能寺の変のことを知ると、本多忠勝や服部半蔵(はっとりはんぞう)らが土豪を説得したことによって、徳川家康は堺を脱出し、伊賀の山々を越えることができました。1584年の小牧・長久手の戦いでは、豊臣(とよとみ)軍に徳川軍が苦戦しているのを知ると、当時留守を任されていた忠勝はわずかな兵で駆けつけ、豊臣方の軍を撃退したといわれています。徳川家康が豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家臣になると、家康は1590年に北条(ほうじょう)氏が拠点としていた関東地方に転封されました。本多忠勝ら家臣も関東地方に移りました。関ヶ原の戦いで、東軍が勝利すると、本多忠勝は桑名藩10万石の藩主となりました。1610年に病気で死亡しました

 


 

島津義弘とはどんな人?

薩摩藩の島津義弘

 

島津義弘は1535年に薩摩の戦国大名島津貴久(しまづたかひさ)の次男として生まれました。兄は薩摩の戦国大名で第16代の島津義久(しまづよしひさ)で、兄に代わって遠征の指揮をとることが多くなりました。1578年、豊前の戦国大名大友義鎮(おおともよししげ)が日向国に攻めた耳川の戦いで、大友の軍勢を追い出し、九州の南部と中部のほとんどが島津の領地としました。1586年に豊臣秀吉の軍が九州に攻め込みますが、島津義弘は戸次川の戦いで豊臣秀吉の軍を破りました。しかし、1587年に島津義弘は兄の義久とともに豊臣秀吉に降伏し、薩摩国と日向国の一部が安堵されました。1592年の朝鮮出兵では島津義弘が兄に代わって出兵すると、明と()氏朝鮮の軍勢を破りました。朝鮮出兵後に兄から家督を譲られ、17代当主となりました。関ヶ原の戦い後、忠恒(ただつね)へ家督を譲り、隠居となりました。1619年に病気で死亡しました


 

島津の退き口とは?

 

島津義弘といえば、朝鮮出兵で明と李氏朝鮮の軍勢を破ったことで知られていますが、関ヶ原の戦いでは「島津の退き口」と呼ばれる徳川本陣への正面突破が有名です。関ヶ原の戦いで西軍が総崩れとなり、石田三成(いしだみつなり)が逃亡したことで島津義弘の軍勢が東軍の軍勢に包囲されました。この包囲された事態を打開するために徳川の大軍に正面突破を試みました。

 

結果、千数百人の兵のうちほとんどが討ち死にしましたが、島津義弘は脱出に成功し、薩摩に戻りました。島津義弘の正面突破によって、島津の軍勢を追撃した松平忠吉(まつだいらただよし)井伊直政(いいなおまさ)が負傷しました。本多忠勝の馬は鉄砲の銃弾が当たったことで倒れました。本多忠勝は落馬したといわれています


  

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は本多忠勝と島津義弘のうちどちらが強いか取り上げました。本多忠勝は戦いでかすり傷すら負うことなく勝ち続けた武将で、小牧・長久手の戦いではわずかな兵で豊臣方の大軍を退けたといわれています。一方で、島津義弘は朝鮮出兵で明と李氏朝鮮の連合軍を破ったり、関ヶ原の戦いではわずかな兵で徳川家康の本陣に正面突破を挑んで脱出に成功したりするなど戦国時代最強の武将であるといえるのかもしれません。

 

個人的には本多忠勝と比べると島津義弘のほうが強いのかもしれません。今後、島津義弘ら薩摩の戦国大名島津家を題材にした大河ドラマの放送を楽しみにしたいと思います。

 

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