これまでに本能寺の変の動機として様々な記事を取り上げました。明智光秀の土地を取り上げられたこと、人質として差し出していた母親が殺されたこと、本能寺の変の黒幕がいたことを取り上げてきました。
これらの記事に出てくる黒幕は日本国内の話ですが、今回は黒幕として、ポルトガルと覇権を争っていたスペインに注目します。この記事の前半ではポルトガルとスペインが争っていた大航海時代について取り上げます。後半では、ポルトガル人の宣教師が日本でキリスト教を布教するようになってからスペインが警戒したことについて取り上げます。
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大航海時代とは?
15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ人が大西洋を起点にしてインドやアメリカ大陸に至る新航路を開拓し、世界各地に進出しました。ポルトガルとスペインが先駆けとなっていて、マゼランやバスコ・ダ・ガマらが有名です。
ポルトガルとスペインはアメリカ大陸に植民地を獲得しています。ポルトガルとスペインの後、イギリス・フランスなどヨーロッパの国々が植民地獲得を目指してアフリカやアジアに進出しました。
スペインはなぜ日本を警戒したのか?
日本の戦国時代と安土桃山時代について、世界史では大航海時代といいました。大航海時代でポルトガルとスペインは覇権を争っていました。日本で布教していたフランシスコザビエルはポルトガル人宣教師です。後に来日して織田信長や安土城の記録をまとめたルイスフロイスもポルトガル人の宣教師です。
足利義昭が全国の一向一揆と戦国大名に号令をかけたことによって、織田信長の包囲網が完成していました。
信長は包囲網を打開するために仏教勢力の切り崩しを図ります。仏教勢力を排除するためにキリスト教の布教を認めました。
信長がキリスト教の布教を認める前に、大友宗麟ら戦国大名の中にはキリスト教の洗礼を受けて信者になっていました。キリスト教の洗礼を受けた戦国大名のことをキリシタン大名といいます。
キリシタン大名は南蛮貿易で利益を得ることを目的としていましたが、大名の中にはキリスト教の教会に土地を寄進する人がいました。日本史の教科書には載っていませんが、日本で奴隷売買が行われ、日本人が奴隷としてヨーロッパに渡っていたという史料も発見されています。
また、勢力を拡大していた織田信長はポルトガル人が連れてきた黒人奴隷に注目します。この奴隷に弥助という名前を与え、家来にしました。国人の弥助は身長が高く、当時の日本人と比べて運動能力が高かったことから即戦力として期待した可能性があります。
黒人の弥助がいることで全国の戦国大名に警戒させ、天下統一を早めようとしたことが信長の狙いとしてあげられます。このように日本のキリシタン大名の土地の寄進や織田信長のポルトガル人宣教師に布教の許可を出しました。スペインはやがて日本がポルトガルの植民地になるかもしれないと警戒し、本能寺の変を起こすきっかけになったのかもしれません。
戦国時代ライターオフィス樋口の独り言
今回は本能寺の変の黒幕としてのスペインを取り上げました。この記事では、当時の時代背景として大航海時代でポルトガルとスペインが覇権を争っていたことや日本がポルトガルの宣教師に土地を寄進していたことを取り上げました。
日本史の教科書には載っていませんが、日本人の奴隷がいたという史料が発見されています。スペインのサンフェリペ号が土佐国に漂着した際、カトリック宣教師がキリスト教を布教して植民地化するという乗員の発言を真に受けてキリスト教を禁止にしました。秀吉に対して禁教令は批判されていますが、日本人の奴隷がいたことや植民地になった可能性を先見の明があったのかもしれません
この記事の問題点について取り上げます。
今回は本能寺の変の黒幕としてスペインを取り上げましたが、スペインと本能寺の変を起こした明智光秀がどのようにつながっていたのか分かりません。今後の研究に注目したいと思います。
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