曹操から「君は私の家の千里の駒だ」と褒められたこともある曹休。
曹休は魏の二代目皇帝・曹丕とチョー仲が良かったのをみなさんご存知でしょうか。今回は曹休が本当に曹丕と仲が良かったのか調べてみたので紹介したいと思います。
曹休と曹丕の関係性は!?
曹休と曹丕はチョー仲が良かったそうですが、どうして仲が良かったのでしょうか。まずは彼らふたりの関係性について紹介したいと思います。曹休と曹丕は二人とも曹家出身ですが、兄弟ではありません。曹休は曹操の族子で、曹操の息子ではありませんでした。
曹休と曹操の関係性を上記で紹介しましたが、どうして曹休と曹丕のふたりは仲が良かったのでしょうか。それは曹休が曹操の元にやってきたことがきっかけです。曹操は曹休がやってきた時、曹休を引き取って曹丕と一緒に教育したため、曹休と曹丕が非常に仲良くなったとされます。では曹休と曹丕がどれくらい仲が良かったのか。二人の仲が良かったエピソードを紹介してきたいと思います。
曹休と曹丕はどれくらい仲が良かったの!?
曹休と曹丕はどれくらい仲が良かったのか。二人の仲の良さを示すエピソードが残っていますのでいくつか紹介しましょう。まず一つ目は曹丕が皇帝に就任したときのお話です。
曹丕は皇帝になると曹休へ将軍の位と侯の位を与え、夏侯惇が亡くなると鎮南将軍・都督諸軍事へ任命。曹丕は曹休が任地へ赴く際、彼を見送りわざわざ手を握って彼と別れたそうです。曹丕が曹休をかなり大事に扱っていた事を表すエピソードで、二人の仲の良さを伺うことができるのではないでしょうか。また曹丕は曹休の母親が亡くなった時、母親の葬儀が終わった後、曹休を呼びつけます。曹丕は曹休がやってくると気落ちしている彼を心配して、慰めの言葉をかけたそうです。
曹丕は気に入らない家臣だとすぐに激怒したり、冷たくあしらったりしていました。しかし曹丕は曹休と幼少の頃から仲が良かったこともあり、上記のようなエピソードが残ったのではないかと思われます。
【おまけ】もしかしたら曹丕と仲が良かったから昇進できた!?
ここからはちょっと余談もといおまけになりますので、興味があったら見てってください。
曹休は曹丕が皇帝に君臨した時、官位がバシバシ昇進していきますが、実力があって昇進したのか、それとも曹丕と仲が良かったから曹休の官位が昇進していったのか、考えてみたいと思います。レンは曹休にちゃんと実力があって官位が昇進できたと思います。曹休は曹操にも実力を評価されていた人物です。
曹操は劉備が漢中に侵攻してきた際、曹休を曹洪の参軍に任命して夏侯淵の援軍として派遣。曹操は曹休へ「お前は曹洪の参軍だが、実際は司令官として派遣するつもりだから、お前もそのつもりで頑張ってこい。」と激励されています。上記のことから曹操は曹休に軍事の才能がある事を認め、評価していると言えるのではないでしょうか。また曹休は曹丕から都督書軍事に任命されて揚州へ赴任した際、孫権が将軍を任命して攻撃してきます。
曹休は孫権が将軍を任命して攻撃を仕掛けてくると、軍勢を率いて孫権軍を撃破。更に曹丕が孫権討伐戦を行った際、曹休に張遼や他の将軍たちを指揮する軍権を与えています。このことから曹休は自らの実力で昇進していたと思われ、曹丕と仲が良かったから昇進したわけではないと言えるでしょう。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹休は曹操に可愛がられたことがきっかけで、曹丕と一緒に育てられ仲良くなっていきます。また曹丕と一緒の教育を受けたことで軍事の才能もしっかりと身に付けることができ、優れた軍人へと成長していきますが、曹休の息子も優れた軍人だったのでしょうか。曹休の息子も父と同じように軍人の道を進み、それなりに優れた軍人だったようです。
また曹休の孫は軍人ではなく、文官の道に進み、晋王朝に仕えて実力を発揮したそうです。このように曹休自身も優秀な人材でしたが、彼の息子や孫もそれなりに優秀な人材だったようです。
■参考 正史三国志魏書など
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