こんにちは。コーノヒロです。
壬申の乱の内幕のお話の第二回目です。
今回から壬申の乱の起きた原因に深く迫っていきます。前回では、壬申の乱の発生直前に、大海人皇子(後の天武天皇[帝])は、命を狙われていたことが、有力であったとお話しました。
前回の記事:壬申の乱の内幕、皇位継承を巡る日本古代史上の最大の内戦を解説(第1回)
それが事実だとしたら、狙った人物とは何者だったのでしょうか?探っていきましょう。
どうぞお楽しみください。
「壬申の乱 影響」
「壬申の乱 天武帝」
などのワードで検索する人にもオススメ♪
日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門」
関連記事:出雲王国崩壊後のオオクニヌシの行方は?出雲王国の復活を目指した戦略
関連記事:松本清張も注目!邪馬台国(やまたいこく)はどこにあったの?
百済の陰謀?
まず、端的に、その首謀者らしき人物をあげますと、蘇我赤兄などの一部の重臣たちではないかと推察されるということです。
その一派は、壬申の乱においては、大友皇子に加担したとされています。
それでは、首謀者は、大友皇子かと勘繰りたくなりますが、もっと裏の大きな勢力があるのではないかというものです。
そもそも、蘇我赤兄は、蘇我氏です。聖徳太子の時代に蘇我氏隆盛を築いた蘇我馬子の孫です。
「乙巳の変」で刺殺された、蘇我入鹿とは、従兄弟となるのです。
蘇我氏は、隆盛期は過ぎても生き残りが幾人もいました。そして、時の「天皇 」の、天智帝に追従していました。
さらに言えば、蘇我氏は、朝鮮半島の百済の豪族たちと深い縁があると伝わっています。以前は、蘇我氏の祖先は百済出身だったという説も広まっていましたが、今はまた謎に包まれています。
ただ、蘇我氏が百済出身の人々との結び付きが強かった説は有力のようです。
このあたりは、また別の機会に深く探っていきたいと思います。
それでは、なぜ、百済に近い蘇我氏に、大海人皇子は狙われたかということです。
大海人皇子は新羅びいきだった?
結論から申し上げると、大海人皇子は新羅と関係が深かったのではないかということです。
どういうことでしょうか?
まず、蘇我氏は百済との結び付きがあった様子ですが、このとき百済は滅亡していました。そもそも滅亡した百済の弔い合戦として、が、唐と新羅の連合軍を相手に戦ったのが
「白村江の戦い」でした。これは「壬申の乱」の9年前に起きたものです。つまり、倭国(日本)全体が、百済びいきだったと言えるでしょう。538年に 倭国へ仏教をもたらしたのが百済出身の人々だったと、広く伝わっていますね。
それ以来、倭国と百済は縁が深かったと言えますね。その百済を滅亡させた、唐・新羅とは、険悪な関係になるのも頷けます。
しかし、「白村江の戦い」で、大敗してしまってからは、そうも言ってはいられなくなりました。唐と新羅に対しては、追従や友好関係を築く必要がありました。
特に倭国は負けたのですから、追従姿勢へと流れるのは、自然な流れだったでしょう。
ただ、ここにきて転機が訪れたのです。
連携していたはずの、唐と新羅の関係が険悪モードになるのです。
それは、朝鮮半島の「三国時代」の三国の最後の一角の「高句麗」が滅亡したことで始まりました。朝鮮半島は、新羅によって、統一されたのです。
中国の唐帝国に対して、強気に、独立国としての姿勢を持つようになったのです。その姿勢を、唐帝国は許さなかったのです。そして、唐と新羅のそれぞれから、倭国に 相手を倒すための援軍を出すことの要請があったようなのです。
当然、倭国の中央政府は、二つに意見が割れたことでしょう。
唐につくか?新羅につくか?天智帝の腹心とも言える存在だった、藤原鎌足(中臣鎌足)は、双方ともに友好関係を築くことを支持したとされますが、このときすでに亡くなっていました。
そして、大友皇子は、唐を支持し、大海人皇子は、新羅を支持したとする説が有力です。
新羅は、朝鮮半島で、数百年の長きに渡り、百済と対立し、果ては百済を滅亡に追い込んだ国でした。すると、新羅は百済にとって、直接の敵になりますから、百済派の多かった倭国の豪族、特に蘇我氏などは、唐を支持したことでしょう。
そもそも、中国大陸の覇者として君臨していた、唐帝国でしたから、新羅よりも圧倒的に優勢だと捉え、唐に味方する勢力は多かったと考えます。しかし、その中で、大海人皇子は新羅を支持したようです。
なぜ、大海人皇子は新羅派だったの?
ですから、大海人皇子は、命を狙われたとしても不思議ではない状況でした。
すると、なぜ大海人皇子は新羅派だったの?
という疑問が浮かびますね。
それは、大海人皇子には広く世界情勢が見えていたからではないでしょうか?それは、唐帝国の内情も大きく関係していると考えます。
それについては、また次回以降に深くお話したいと思います。今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。
【主要参考文献】
・内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)
・壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか (祥伝社新書)
日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門」
関連記事:卑弥呼は殺されたのか? 戦死か? 老衰か?自殺か?【卑弥呼殺害説】