曹仁の最後と各国の名将達の最期がほとんど同時期な理由とは?

2019年4月15日


 

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曹仁

 

(そうぎ)の最強とまで言われた将軍・曹仁(そうじん)も最後を迎えることになります。

 

ボロボロになった馬超

 

そして曹仁(そうじん)が亡くなった頃、三国時代初期に活躍してきた名将たちが次々と亡くなっていますが、どうして相次いで亡くなってしまったのでしょうか。

 

病死する張羨

 

今回は曹仁の最後と各国の名将たち最後がどうして重なったのかについてレンの推測と妄想を加えて紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹仁の最後

曹仁と曹操

 

曹仁と各国の名将達が相次いで最後を理由について紹介する前に、曹仁の最後について紹介したいと思います。

 

樊城の戦い

 

曹仁は樊城攻防戦で関羽(かんう)率いる蜀軍の攻撃を防いだ後も活躍しています。

 

曹仁

 

曹仁は樊城(はんじょう)攻防戦の後、襄陽(じょうよう)に駐屯していた孫権(そんけん)軍の将軍を打ち破り、襄陽を奪い返すことに成功。

 

朱桓(しゅかん)

 

その後曹仁は文帝(ぶんてい)曹丕(そうひ)と共に孫呉(そんご)を討伐する戦に従い、孫呉の勇将・朱桓(しゅかん)と激闘を繰り広げますが、彼の軍を打ち破る所までは行きませんでした。

そして曹仁はこの戦いが終結後亡くなってしまいます。

 

曹仁

 

曹仁が亡くなったのは223年で、56歳だったそうです。さて曹仁が亡くなった223年とその前年には多くの名将たちが亡くなっていきます。

では曹仁が亡くなった1年前と223年に一体誰が亡くなったのか紹介したいと思います。

まずは222年に亡くなった名将達を紹介していきましょう。

 

 

222年に亡くなった名将達

張遼 カカロットーーーー!

 

曹仁が亡くなる1年前に亡くなった名将達は誰なのでしょうか。魏では合肥(がっぴ)の英雄と言われた張遼(ちょうりょう)が亡くなっています。

 

馬良

 

また(しょく)では「白眉(はくび)」の異名で有名な馬良(ばりょう)が亡くなってします。

 

五虎大将軍の馬超

 

更に五虎将軍(ごこしょうぐん)の一人で、「馬超(きんばちょう)」として有名な馬超(ばちょう)も亡くなっています。

では孫呉でも曹仁が亡くなる一年前に誰か亡くなったのでしょうか。

 

周泰(しゅうたい)

 

孫呉では周泰(しゅうたい
)
が222年頃に亡くなったと一説では言われています。このように曹仁が亡くなる1年前に名将と呼ばれた人たちが魏・呉・蜀でバタバタと亡くなっていきます。では223年には曹仁以外に誰が亡くなっているのでしょうか。

 

 

曹仁と同時期に亡くなった人は!?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

曹仁と同時期に亡くなった人はいるのでしょうか。

調べると何人か曹仁と同時期に亡くなっている人がいました。

 

賈詡

 

魏では軍師として曹操(そうそう)に仕えた名軍師・賈詡(かく)がいます。

 

劉備

 

また蜀では農民から皇帝にまで上り詰め、蜀の初代皇帝となった劉備(りゅうび)が亡くなっています。

このように曹仁が亡くなった時期と同時期に亡くなった人がたくさんいました。

でもどうして曹仁が亡くなった前後にこれほど名将達がバタバタ亡くなってしまったのでしょうか。

 

 

曹仁の死亡時期と前後して英雄たちが亡くなった理由は【レンの推測】

三国志ライター黒田レン

 

上記で曹仁が亡くなった時期と前後して多くの名将や軍師たちが亡くなっていますが、どうしてなのでしょうか。

 

ここからはレンの推測をお話していきたいと思います。

レンの推測は曹仁が亡くなる一年前と彼と同時期に亡くなった人物が多いのは、時代に殺害されたのではないでしょうか。

 

曹丕

 

曹仁が亡くなった時期は、魏では後漢王朝を滅ぼして、文帝(ぶんてい)が魏王朝を立てています。

 

劉禅と孔明

 

また蜀では劉備(りゅうび)が亡くなり二代目の皇帝劉禅(りゅうぜん)が君臨。

劉備や曹操に仕えてきた古い人たちも亡くなり、新しい次世代へ三国時代が交代時期にありました。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

そのため三国時代が成立する前に活躍していた名将達も次世代と交代するため、歴史に殺害されたと考えることが出来るのではないでしょうか。

 

黒田レン

 

あくまで上記はレンの推測もとい妄想ですが、信じるか。

信じないかはあなた次第です。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は曹仁の最後と名将達の最後について紹介しました。

 

張紘が病死したという手紙を読み涙する孫権

 

こじつけの部分もありますが、偶然にしては多くの名将たちが亡くなりすぎているような気がするのはレンだけでしょうか。

読者の皆様は曹仁の最後と前後して多くの名将たちが亡くなったのはどうしてだと思いますか。

 

■参考 正史三国志魏書・蜀書・呉書等

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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