織田信長は秀吉を「猿」と本当に呼んでいた?

2019年5月2日


 

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中国大返し(豊臣秀吉)

 

今回のテーマは豊臣秀吉(とよとみひでよし)のあだ名です。信長は大河ドラマなどで秀吉のことを「猿」と呼んでいますが、実際の史料では猿という表記はありません。この記事の前半では、信長のあだ名について紹介します。記事の後半では、秀吉のあだ名が猿になった経緯と大河ドラマなどで猿と言う背景について取り上げます。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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織田信長のあだ名とは?

豊臣秀吉 戦国時代

 

織田信長(おだのぶなが)は家臣のあだ名の付け方で有名です。豊臣秀吉(とよとみひでよし)について、大河ドラマなどでは猿が定着していますが、実際は猿と呼んでいません。秀吉が浮気したことで夫婦喧嘩となったとき、信長は夫婦喧嘩の仲裁のために秀吉の妻おねに手紙を送りました。この手紙の中で秀吉のことを「ハゲネズミ(禿鼠)」と書いています。

 

宣教師 ルイスフロイス

 

ちなみに、信長と交流のあった外国人宣教師ルイスフロイスは秀吉のことを次のように書いています。ルイスフロイスの記録によれば、秀吉は身長が低く、片手には6本の指があったと書いています。また、目が飛び出ているなど容貌については醜悪(しゅうあく
)
と秀吉の容貌(ようぼう
)
を酷評していました。

 

馬に乗って戦う若き織田信長

 

豊臣秀吉以外の家臣について、明智光秀は頭の形が果物の金柑のような形であったので信長からキンカンまたはキンカン頭と呼ばれていました。前田利家(まえだ としいえ
)
は犬と呼ばれていました。利家の顔が犬に似ていたというのではなく、幼名が犬千代(いぬちよ)であったことから犬というあだ名になりました。

 

 

 



豊臣秀吉のあだ名が猿になった経緯

豊臣秀吉 戦国時代2

 

織田信長は豊臣秀吉のことをハゲネズミと書いたのは手紙の中だけで、実際にあだ名として呼んでいたわけではありません。豊臣秀吉は信長の家臣になったとき、木下藤吉郎秀吉(きのしたとうきちろう)と名乗っていました。信長にとってハゲネズミより藤吉郎のほうが呼びやすく、普段から藤吉郎と呼んでいた可能性が高いです。

 

秀吉のあだ名が猿で定着した経緯について取り上げます。PHP Online 衆知の記事『信長は秀吉を「サル!」と呼んだりしていない』によれば、江戸時代の伝記小説『太閤素生記(たいこうそせいき)』で秀吉の幼名が「猿」だったことから、秀吉のあだ名が猿になったと考えられます。大河ドラマなどで秀吉のことを猿というきっかけが江戸時代の伝記小説が基になっているのかもしれません。

 

仮定の話ですが、大河ドラマなどで秀吉を「ハゲネズミ」と呼んだ場合、どうなるのでしょうか。信長役の俳優が秀吉を叱責するとき、「ハゲネズミ」と言いにくいことが考えられます。略して、「ハゲ!」とか「このハゲ!」と言ってしまうと、かつての女性の国会議員のようにパワハラとなります。視聴者からクレームになる可能性があり、容易にハゲネズミに変えることはできないのかもしれません。信長は家臣のコンプレックスをあだ名にするような人物ではなかったことから史実に反することにもなります。

 

はじめての戦国時代

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は織田信長がつけた家臣のあだ名の中で豊臣秀吉のあだ名「猿」に注目しました。秀吉のあだ名について、大河ドラマなどでは猿と呼んでいるのですが、実際は猿と呼んでいないことが分かりました。

 

信長が秀吉の妻おねに手紙を書いたとき、秀吉のことをハゲネズミと書いています。ハゲネズミはおねへの手紙の中だけで実際に呼んでいたわけではありません。普段は藤吉郎と呼んでいた可能性が高いことも分かりました。

 

大河ドラマなどでは秀吉のことを猿と呼ぶのが定着していて、秀吉のあだ名を変える動きは見られません。ネット上や歴史の番組などで秀吉のあだ名が猿ではないことが取り上げられるようになりました。徐々に信長は秀吉のことを猿と呼んでいなかったというのが定着しつつあります。大河ドラマなどで信長は秀吉のことを何と呼ぶのか注目したいと思います。

 

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織田信長スペシャル

 

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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