歴史に「if」はないなんて言われますが、この「if」を考えるのはとても楽しいですよね。
個人的には積極的に歴史の「if」を考えた方が人生を豊かにすることができると思っています。
特に、『三国志』を読んだ後は様々な「if」がわいてきます。
なぜなら、『三国志』には活躍の場がもっとあったはずなのに不幸にも死んでしまった人物が多すぎるから…!
中でも魏に仕えていた楊脩は「惜しい人物を亡くしました…」と悼むにふさわしい人物です…。
今回は「もしも楊脩が生きていて曹操の軍師になっていたら…」という妄想を膨らませてみたいと思います。
才能が災いして処刑されてしまった楊脩
「ところで、楊脩って誰だっけ…?」
そんな声が聞こえそうなので、まずは楊脩という人物について簡単におさらいしておきます。
楊脩は人材ハンター・曹操によって見出された才能あふれる人物でした。
その当時、魏は内政においても軍事においても様々な問題を抱えていたのですが、楊脩はたちどころに解決。
そのことによって楊脩は曹操にますます気に入られたのだとか。
しかし、そんな楊脩をなぜか曹操が処刑してしまいます。その原因として考えられる出来事には諸説あります。
『三国志演義』と同様に曹操がつぶやいた「鶏肋」という言葉を深読みして軍の撤退を命じた結果、曹操に危険視されて処刑されてしまったという説、
曹植に『答教』という教科書を与えて曹植が曹操に気に入られるように教育したからという説、曹操が奔放な曹植に愛想を尽かし曹植をけん制するために楊脩に罪を被せて処刑したという説、
そして、楊脩の母親が袁術の姑であったからという説…。どれもこれもあり得そうですが、なぜ曹操が楊脩を処刑したのかその原因は未だにに不明です。
楊脩を失った結果劉備に惨敗…前歯を失う
『三国志演義』では楊脩を処刑したことによって曹操に様々な災いが降りかかっています。
処刑前に楊脩が指示していた撤退の判断を覆し、劉備軍に突撃!ところが、兵たちは疲弊しきっており、思うように動かず惨敗…。
更に不幸なことに曹操は前歯を弓矢で折られる大けがを負ってしまいます。命からがら逃げかえった曹操は「楊脩の言う通り撤退しておけば…」と自らの過ちを悔いて楊脩を手厚く葬ったのでした。
【奇想天外な夢の共演が実現 はじめての架空戦記】
楊脩が曹操の軍師になっていたら魏は天下をとれた?
正史『三国志』においてはその才の高さを記録され、『三国志演義』においては曹操が処刑したことを悔いたと記されている楊脩。
もしも彼が処刑されることなく、むしろ曹操の軍師となっていたならば魏の未来はどのように変わっていたでしょうか?
まず、『三国志演義』の世界で考えてみましょう。もしも曹操が楊脩の言葉に耳を傾けて兵を速やかに撤退させていたならば、一度は漢中を取られていたとしても再び力を盛り返して漢中を奪い返せていたかもしれません。
そうすれば、蜀という国ができることもなく、劉備をあれほどまでに危険視することもなかったでしょう。
おそらく正史『三国志』の世界、すなわちリアルの世界においても楊脩が生きていれば大きく未来が変わっていたと考えられます。
楊脩が生きて軍師となっていれば、おそらく曹操の跡継ぎは曹植になっていたでしょう。
そうすれば、曹植は曹丕のように身内を冷遇することなく、周囲に血のつながりのある人物を諸侯として封じていたと考えられます。
結果、魏が司馬家に乗っ取られるような悲劇も回避できたのでは無いでしょうか。
『三国志演義』の世界でも正史『三国志』の世界、すなわちリアルにおいても楊脩が生きていれば魏の未来はもっと明るかったと考えられます。
三国志ライターchopsticksの独り言
楊脩は蜀にとっての諸葛亮のような存在になり得る存在だったのでしょう。だからこそ、創作である『三国志演義』においてもその死が大きく取り上げられたのだと考えられます。
しかし、もしも楊脩が処刑されずに軍師になっていたとしたら正史『三国志』も『三国志演義』もこの世に存在していなかったかもしれません。そう考えると、歴史に「if」はないという誰かの言葉にも頷けるような気がしますね。
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