史実の宋江はどんな人だった?水滸伝の主人公・宋江は2人存在していた?

2019年5月10日


 

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水滸伝って何? 書類や本

 

水滸伝(すいこでん)』は(みん)(1368年~1644年)の時代に執筆された小説です。モチーフは北宋(ほくそう)(960年~1127年)末期に起きた小規模な反乱です。

 

宋江の夢(水滸伝の主人公)

 

 

リーダーの宋江(そうこう)も実在しています。小説の宋江(そうこう)については、知っている人は多いでしょう。しかし、史実の宋江について知っている人はあまりいません。そこで今回は史実の宋江について解説します。

 

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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たったこれだけ? 少なき史実の宋江の解説

宋江 水滸伝

 

宋江は宋代(そうだい)の史料に名前は出てくるのですが、断片的であり特徴をつかむことが難しい人物です。その中から簡単に要約すると以下の通りです。

 

(1)宋江(そうこう)は義賊ではなくただの盗賊

(2)従っている幹部は108人ではなく36人

(3)最後は張叔夜(ちょうしゅくや)という人に討伐されて降伏

(4)方臘(ほうろう)討伐に従軍。以降の消息不明

 

以上です。「えっ?」っと思った人が、いるかもしれません。

梁山泊(りょうざんぱく)は?」と思うかもしれませんが、史実の宋江は山東省(さんとうしょう)梁山泊(りょうざんぱく)を根城にしていません。

安徽省(あんきしょう
)
淮南(わいなん
)
)を荒らしていた盗賊です。

 

(2)についてなのですが、これは『宣和遺事(せんないじ)』という書物に記載されています。しかし、『宣和遺事(せんないじ)』は小説風な書物であり、史料としての信ぴょう性が疑われます。(3)、(4)は『宋史』、『東都事略』という書物に簡単に記されているだけです。要するに史実の宋江に関しては永遠の謎といっても過言ではないのです。しかし、この永遠の謎に挑戦した日本人がいました。

 

 

 

天才学者宮崎市定と「宋江2人説」

 

その日本人の名は宮崎市定(みやざき いちさだ)と言います。彼は中国史においては、天才的なひらめきを持った人物でした。

 

宮崎氏は1939年に陝西省(せんせいしょう
)
で発掘された墓誌を見ました。墓誌は生前にその人物の功績を詳細に記したものです。墓誌は折可存(せっかそん)という人のものです。墓誌に書かれた文章によると、折可存(せっかそん)方臘(ほうろう
)
討伐に従軍して、その帰りに盗賊の宋江を捕縛したことが記されていました。宮崎氏は墓誌銘と他の史料を読んだ結果、ある矛盾に気づきました。図にすると次の通りです。

 

 

宋江、花栄(水滸伝)

 

宣和(せんな
)
3年(1121)1月7日 宋江が方臘討伐に出陣(『三朝北盟会編』)

同年 2月ごろ 盗賊の宋江が暴れる(『宋史』)

同年 4月24日 宋江が方臘の隠れ家を包囲(『皇宋十朝綱要』)

同年 4月26日 方臘が捕縛される(『皇宋十朝綱要』)

同年 5月3日 宋江が張叔夜(折可存?)に捕縛される(『東都事略』、折可存の墓誌)

同年 6月5日 方臘の残党勢力を破る(『皇宋十朝綱要』)

 

水滸伝の主人公・ 宋江

 

上図の通り、宋江は官軍に従軍したり、盗賊になったり明らかに矛盾した行動をとっています。前述ように宋江は張叔夜に捕縛された後に、方臘討伐に従軍となったはずです。ところが、宋江は正月出発の時点で官軍所属です。だが墓誌銘では方臘討伐後に捕縛されています。そこで宮崎氏はある結論を出しました。

 

 

「宋江2人説」です。

 

宋江(水滸伝)

 

もちろん、双子でもドッペルゲンガーでもありません。宣和3年当時、偶然官軍に宋江という人物がおり、盗賊の宋江という人物も存在していたのです。つまり、ただの同姓同名の赤の他人です。まるで推理小説みたいな、大胆な説を宮崎氏は出したのです。しかし史料から、かなりの説得力を持っていたので、日本では現在でも有力視されている説の1つです。

 

 

北宋・南宋

 

 

国外の反応

 

余談になりますが、宮崎氏は張叔夜(ちょうしゅくや)が捕縛した宋江と折可存が捕縛した宋江は、全くの別人と推測しています。これに対して中国では、「そんなことを言っていたら、宋江が何人もいることになるだろう!」と批判が出ました。

 

しかし中国では宮崎氏の提出した史料に対して、あまり関心は払われていません。宋江が降伏したこと、農民一揆の方臘の反乱を鎮圧したことを政治的なイデオロギーと絡めて批判することが多いようです。

 

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が史実の宋江です。史料が少ないので、宮崎説を取り入れました。

 

方臘(水滸伝)

 

なお、宋江が鎮圧した方臘に関してもいずれ解説します。

 

※参考

・宮崎市定「宋江は2人いたか」(初出1967年 後に『宮崎市定全集12 水滸伝』(岩波書店 1992年所収)

・宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』(初出 1972年 後に『宮崎市定全集12 水滸伝』(岩波書店 1992年所収)

・柳田節子「1970年代の宋代農民戦争研究」(唐代史研究会編『中国歴史学会の新動向 新石器から現代まで』 1982年所収)

 

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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】

水滸伝入門ガイド

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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