【水滸伝・武松の生涯】素手で虎を殴り倒す最強のダークヒーロー!凄惨な復讐劇から「悟り」までの全軌跡


 

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水滸伝 武松

 

 

今回は水滸伝の好漢たちの中でも、ちょっと特殊な立ち位置の人物である、武松をご紹介しましょう。何人もの好漢が出てくる水滸伝ではその回の主役とも言える登場人物がいることはままありますが、武松は二十三回から十回もの間主人公として彼の話が続いていきます。

 

水滸伝の武松

このためこの回を「武十回」と呼ばれ、スピンオフ作品になるほどの回となっております。その武松の水滸伝での生き様はどのようなものか、見ていきましょうか。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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この記事の目次

水滸伝きってのダークヒーロー「武松」とは?

 

さて武松、天傷星の生まれ変わりであり、あだ名は行者。これは行者、つまり修行僧の姿に変装していたことが理由ですが、どのようにしてそんな経緯に至ったのか。そもそも武松は清河県で暮らしていたのですが、役人と喧嘩して相手を殺してしまったため、故郷を逃げ出して柴進の屋敷に身を寄せていたのです。

 

宋江(水滸伝)

 

ですがその相手は気絶していただけで殺害には至ってなかったことが判明したため、じゃあ故郷に帰ろうか……と思っていた所で宋江と知り合い義兄弟の契りを結びます。ここでは宋江とは一旦別れ、そして長い武松の物語、武十回が始まることになるのです。

 

 

 圧倒的人気を誇る「豹子頭」林冲との対比

林冲

 

 

因みに武松も水滸伝の好漢の中では人気がある人物かと思いますが、どうように人気がある林冲との対比をちょっとしてみると面白い共通点があります。

 

林冲(結婚と女性)

 

後に述べますが、基本的に林冲は普通に愛妻と暮らしていた所を横恋慕してきた身分ある男に狙われ、無実の罪をきせられ罪人落ちしますね。

 

水滸伝の武松

 

そして武松もまた、地位ある男の横恋慕から罪人に貶められ……というか、殺人をしているのでまあ実際実行犯なのですが、男女間の諍いがきっかけになるという共通点があるのです。
では林冲と武松の違いは何か?それについても注目しながら、これからを見て頂ければと思います。

 

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関連記事:林冲の性格は三国志演義の張飛にそっくり!林冲の性格を分かりやすく解説

 

【伝説の幕開け】景陽岡の虎退治を振り返る

水滸伝の武松

 

ここでまず始まるのが武十回における一つの見せ場、「景陽岡の虎退治」です。簡単に言ってしまうと悪名高い暴れ虎を武松が対峙したために評判が上がって有名人になった……というあらすじですが、それはそれとしてそこに至るまでがうーん、水滸伝の好漢!といった演出。運命とは転がるように転がっていくのだなぁと言わんばかりの武将の虎退治、詳しく見ていきましょう。

 

 

 「三杯飲めば山を越えられぬ」店で18杯飲んだ男の豪胆さ

 

武松は途中、陽穀県の景陽岡という峠にまで辿り着きました。ここには危険な虎が出るということで、途中の居酒屋のご主人は武松にそのことを教え、一人ではいかない方が良いと忠告してくれます。それにも拘わらず武松はこれを一笑、酒を持って来いと言って一番強い酒を呑む一升……かどうかは分からないけれど、大量に飲んで峠に向かいます。流石にこれには店主も呆れ、勝手にしろと武松を送り出してしまうのでした……皆さんも、登山前などには飲酒は止めましょうね。特に虎が出るような峠では!

 

 

素手で虎を撲殺!リアリズムとファンタジーが交錯する描写の魅力

水滸伝の武松

 

途中にも虎注意の看板があるのですが、武松はこれも信用せず山を登っていきますが、流石に途中で官印つきの告示分が出ていると顔色を変えます。しかし今更怯えて戻っては男が廃る、ここで立ち止まってはならぬと己を鼓舞して山を登っていくと、当然ながら酒が回り始めました。これはまずいと横になろうとした時に、大きな虎が飛び出してきて武松は持っていた棍棒で殴りかかるのですが、酔っていたためか狙いが外れ、棍棒は折れてしまう。ならばと武松は素手で虎を殴ることにしたのです。

 

素手で。素手で。(大事なこと)

 

因みに殴りつけ続けたら虎がぐったりしてきたので、止めは折れた棍棒で仕留めました。ここまで来たら止めまで素手でやりそうなものですが、止めは武器を使うと言うリアルなのかファンタジーなのか分からない描写でもあるのですが、ともあれ虎退治ができたので武松も読者も一安心。この事が評判になり、武松は知県から陽穀県の都頭に任じられることになりました。

 

兄・武大の死と、逃れられない「血の復讐」

 

陽穀県の都頭となった武松、ある日、兄の武大と出会いました。兄の家に招かれ、そうして暫く呉、陽穀県を離れる用事ができて帰ってくると兄が死んでしまったと言うのです。
急いで兄の家に行き、兄嫁である潘金蓮に死因を尋ねると、胸の病で死んでしまったと……しかし武松は兄がそんな病を持っていたなどとは聞いたこともないと不審に考え、仏壇に供え物をしてその日は兄の仏壇の前で眠ることになりました。すると死んでしまった武大が現れ、無念を訴えてきたので、武松は一連の事に疑問を抱きます。

 

ここから、急に、しかしかなり本格的なミステリーが始まるのが水滸伝の不思議で面白い所。葬儀屋から兄の遺骨の異変と毒殺の疑い、果物売りから兄嫁の密通を聞いた武松は兄嫁である藩金蓮とその浮気相手、西門慶を殺しの罪で訴えるも、西門慶による賄賂でまともに取り合ってもらえません。武松は考えました、自分でやるしかないと。

 

 

 悪女・潘金蓮と西門慶の謀略:なぜ事件は防げなかったのか

 

さてここで少し登場人物とこの事件についても少し。武松は精悍で長身な男性なのですが、その兄である武大は小人で更に容姿が醜い男、その妻の藩金蓮は若くて大変な美人でした。
この藩金蓮、昔女中をしていた家の主人から言い寄られたのを袖にしたことで、嫌がらせに醜い武大に嫁に出されてしまったのです。まあつまり藩金蓮は夫に愛情がなく、不満ばかり。

 

そんなある日、武大が弟の武松を連れて帰ってきたことで藩金蓮は武松に言い寄りますが、武松は彼女を恥知らずと罵って家を後にします。そうして次に出会ったのが西門慶という若い金持ちで、茶店の女主人の王婆という老婆を使って二人は密通、果てに邪魔な武大を毒殺したというのが話の流れでした。地位のある権力者が横暴を通せば道理が引っ込む、水滸伝では良くあること。そうしてこの横暴に武松は真正面から向かいます。

 

 

法を捨て、己の正義で裁く。自首までをセットにした武松の美学

 

武大の四十九日の日、武松は武大の供養として潘金蓮と王婆、近所の旦那衆を集めて酒をふるまい、宣誓しました。自らがこれから起こす無礼、客人たちは証人なため決して怪我をさせない誓い、しかし逃げ出すようなことはしないようにという忠告、そして復讐……この武松落ち着きに孕んだ怒り、底知れぬ恐怖を感じさせますね。武松は潘金蓮と王婆に刀を突きつけ、二人を脅して兄の殺害を白状させると近所の旦那衆に一連の事件の商人となる署名をさせ、二人を武大の仏壇前に跪かせます。

 

「兄さん、武松が仇を討ちましょう」

 

言ういやいなや藩金蓮を滅多刺しにして首を落とし、控えていた部下を呼んでその首を布で包み、証人たちと王婆を逃げないように二回に閉じ込めます……ここ、冷静さが逆に腹の決まり方を伺わせて恐ろしい。お次は西門慶の番、武松は西門慶がいる料亭に乗り込んで、窓から逃げようとした西門慶を逆に二階から叩き落して自分も飛び降りると、気絶した西門慶の首を取って藩金蓮と二人、兄の仏壇に供えました。

 

「兄さん、武松が仇を討ちましたよ」

 

その後、武松は皆に自首をすること、死刑になっても構わぬ覚悟があること、ただ起こったことを証言して欲しいことを伝えて役所に向かいます。王婆は死刑になりましたが、証人や証拠、そして武松自身の義侠心が認められ、役人たちのとりなしで武松は流罪となることが決まりました。これが武松による西門慶、藩金蓮殺しです。ここの武松、登場時の荒くれっぷりが嘘のように冷静で、いっそ爽やかささえ感じる顛末で非常に好きですね。スピンオフが出るのもある意味で納得です。

 

 

刺青を誇りに変えて:流刑地での新たな戦い

 

さて流刑にされる途中で張青と孫二娘の居酒屋でひと悶着あるものの、武松は無事に孟州牢城に着きました。ここで武将が出会ったのが施恩という、後に武松の義弟となる牢役人の息子です。施恩が色々と世話をしてくれたため武松は良い生活をおくれたのですが、どうして彼がここまで自分に尽くしてくれるのか、疑問に思った武松が尋ねてみると、施恩はある思いを打ち明けます。

 

曰く、つい先日まで交易場を取り仕切っていた所に張団練という司令官が赴任してきたのですが、この張団練は将門神というごろつきを使って施恩から縄張りを奪い、腕を折られてしまったと。そこにやってきたのが虎退治で名高い武松、その力を借りて恨みを晴らしたい……それが、施恩の願いでした。

 

 

孟州での出会いと「酔打蒋門神(すいだしょうもんしん)」

三国志を語るセンさん

 

心得たと武松はこの願いを承知、縄張りの快活林まで向かうのですが……ここでタイトル、酔打蒋門神を見て頂きましょう。なんと武松は8キロほどもある間、居酒屋がある度に酒を飲んでいくと言うのです。施恩が止めても「俺は飲めば飲むほど力が出るから」……まるで酔っ払いの言い訳ですが、凄い量を飲み干して、快活林に到着すると大暴れ!この騒ぎに将門神が駆け付けます。

 

関連記事:本当は怖い『水滸伝』実は残酷でメンタルやられる四大奇書

 

酔えば酔うほど強くなる!独自の格闘スタイル「玉環歩・鴛鴦脚」

 

ここに出てくる将門神、身の丈3m近いという驚くほどの大男で、武芸の腕も立つという豪傑ですが、武松の言葉に嘘はなかった!

 

水滸伝の武松

 

この武松の戦闘スタイルですが、カンフーとはまた違い、「玉環歩・鴛鴦脚」というこれまたかっこいい名前が付いております。因みに殴ると見せかけなぐらず、足技を繰り出し、左から右足の蹴りを繰り出し……と、言葉ではちょっと説明しにくいのですが、鴛鴦というのはオシドリのこと、武芸には素人な解説で申し訳ありませんが、イメージ敵には水鳥の如く流麗華麗に連続技を繰り出しているということなのでしょう。決して千鳥足とは違うはずです、きっと!

 

ともあれ将門神をぶちのめし、町から追い出すことに成功。施恩は武松に感謝して、それ以後武松に良く尽くすのでした。しかして将門神、ここで終わらず。

 

 

絶望の頂点「鴛鴦楼の惨劇」と行者への変貌

 

それからひと月ほど経った頃、孟州の軍指揮官である張都監から使者が訪れ、武松の活躍を聞いたのでぜひとも我が邸に招いて歓待したいと言うのです。屋敷を武松が訪れると張都監は喜び大いに歓迎し、屋敷の自由な出入りを許可するので滞在して欲しいと言うではないですか、ここで武松も暫く滞在し、まるで家族のように大切に持て成されます。そして暫く、ある夜に月見の宴が催され、薦められてどんどん酒を飲み干してしまった武松、失礼をしてはいけないと自分の部屋に下がることにしました。

 

深夜、何やら騒がしいと武松が目を覚ますと、泥棒、と声がします。ここで武松は泥棒を取り押さえようと外に出るも、怪しい影すら見えない、そこで戻ってくるとなんと兵士たちが武松を取り押さえ、泥棒だと言うのです。武松は無実を訴えましたが、これは張都監もグルで、端から武松を泥棒に仕立て上げる算段でした。

 

武松は捕らえられ、拷問され、無実の罪を告白したことで死刑囚となってしまいます。
これを知った施恩が裁判官たちに賄賂を贈ったことで武松は流罪となるのですが、張都監はどうにかして武松を始末したい、護送途中で始末されそうになるも、相手を返り討ちにして、生かした一人を白状しろと脅すのでした。

 

 

殺人者は「打虎の武松」なり:壁に血で書いた覚悟の正体

 

これに怯えた刺客、自分が将門神の手下で、張団錬、張都監からの命令で武松を始末するように命令されたとすっかり白状してしまいました。さもありなん、武松はこの男もそのまま切り殺し、再び怒りのまま復讐へと向かいます。

 

ここから凄惨な復讐劇が繰り広げられます。夜に孟州城まで戻ってきた武松、張都監の屋敷の馬ていを捕まえ、張都監、張団練、将門神の三人がいるかどうか確認、できるとこの馬ていを殺害。屋敷に侵入すると二人の女中を殺害、更に張都監、張団練、将門神の首を切り落とし、彼らの市外に布を浸してその地でもって壁に「殺したのは打虎の武松である」と書き記したのです。ここまでやっても武松の怒りは収まらなかったのか、その後も張都監の配下、その妻、女中たちと屋敷の者たちを次々に切り殺してやっと武松は落ち着きを取り戻し、城から出ていったのでした。

 

 

髪を切り、戒刀を手に——なぜ彼は「僧(行者)」の姿を選んだのか

水滸伝の武松

 

怒りに燃えていたとはいえ、殺人どころか大量殺人、ほぼほぼ関係のない人物まで切り殺してしまった武松は当然ながら翌朝には殺人犯として指名手配されることになりました。この時に武松は以前に世話になった……というか、世話をしたというか、縁のある張青・孫二娘の居酒屋に逃げ込んでいました。ここで追手から逃げるために修行中の行者の姿に変装し、これが後のあだ名の行者となります。

 

とは言え兄殺しの際は無関係な者は殺害せず、素直に自首したと言うのに、今回の武松はキレていましたね。この辺りで以前と性格が違っているというファンがいるのも頷けることでしょう。そんな武松が向かったのが、魯智深、楊志が山賊をしている二竜山。ここから再び水滸伝の舞台が動き始めるのです。

 

梁山泊への合流と「二龍山」の絆

 

二龍山に向かう途中、武松は立ち寄った居酒屋で肉と酒を注文すると、肉は売り切れ酒はどぶろくしかないと言われて不機嫌に……なっていると、暫くして入ってきた男たちには肉と上質な酒が振舞われるのを見て怒り出します。

 

水滸伝の武松

 

そもそもそちらの肉と酒は持ち込みだったのですが、武松は怒って暴れ出し……こいついつも酒飲んで暴れてるな……店主を殴った所で相手の大男もお前は坊主じゃないのかと割と正当なツッコミを入れますが、それで収まる武松ではなく。相手を殴るわ踏みつけるわ川に放り込むわとやりたい放題して、相手の机の酒や料理をかってに飲み食いし、満足して店を出ました。しかし暫くすると酒が回り、酔って川に落ちて這い上がるのも難しい。そこにやってきたのが先ほどの男の仲間たち、満足に動けぬ武松を捕まえて屋敷に連れ帰り、大木に縛り付けて鞭打ちをし始めます。

 

水滸伝の宋江

 

 

そこにやってきたのが風采上がらぬ小男、これが宋江でした。宋江の取り成しで武松は解放され、自分が殴ったのがこの辺りでは有名な孔太公の息子たち、孔明、孔亮の兄弟だったと知るのです。和解した武松は暫く孔家の屋敷に滞在し、そうして再び二竜山を目指して行ったのでした。

 

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北方謙三三国志

 

 

魯智深・楊志との最強トリオ:二龍山拠点の独立独歩

 

二竜山へ入山後して山賊になった武松。後に施恩、曹正、張青、孫二娘らも合流し、青州でも一つの大きな勢力となります。何気に地元でも縄張りを持っていて顔も効いた施恩が武松を追いかけてきたというのが読者の嬉しみポイント。それから二年ほどの年月が流れ、桃花山の山賊たちが呼延灼が攻めてきたと救援要請をしに来ました。

 

魯智深

 

これを受けて武松、魯智深、楊志らは手下を連れて向かい、呼延灼と戦うのですが、一度戦っただけで呼延灼は青洲へと帰ってしまいます。なんだ豪傑たちに怖気づいたか……と思いますが、そこは相手が呼延灼、これは青洲から呼延灼への救援要請、これを受けて呼延灼は戻り、孔明と孔亮兄弟と戦って兄の孔明を生け捕りにしていたのです。弟の孔亮が敗残兵を引き連れ戻ってきた所に合流し、青洲軍と真正面から戦う……のは流石に無茶だと楊志、ここで山々を縄張りとした山賊たちが一拠点、梁山泊に集うこととなったのでした。

 

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梁山泊での序列14位、歩兵軍頭領としての圧倒的実力

宋江、史進、李逵、魯智深、林冲、武松、楊志(水滸伝)

 

梁山泊入りした武松、序列は梁山泊第十四位となります。直後から華州に掴まった史進と魯智深を救出しに行ったり、蘆俊義を生け捕りにしたりと活躍が続きます。当初こそ宋江が蘆俊義に地位を譲ろうとしたことを不満に思いますが、話が落ち着いてからは歩兵軍頭領として他の豪傑たちとも勝るに劣らぬ活躍っぷりを見せつけます。と、ここまでくると気になってくるのが武松の強さ。

 

 

【最強議論】武松は本当に108人で一番強いのか?

宋江の夢(水滸伝の主人公)

 

好漢が集まったら古今東西やるのは一つ!誰が一番強いんだ!?……ですが、梁山泊の中でもやはり武松は間違いなく最強の一角と言っても過言ではないでしょう。というのもやはり、武十回での素手での虎退治、あれが読者の中でかなり印象に残っていると思います。またそれからも特殊な無手技を披露したり、軍となった後でもそこかしこに名前が出てきて活躍していることが確認できます。しかし、武松は本当に一番強いのか?やっぱ林冲じゃない?(やや私情)そんな考察もあるかと思いますので、もう少し踏み込んで武松の強さを考えてみましょう。

 

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「武器なしなら最強」説を考察する

 

武松の強さはやはりその素手での武術が後々まで通用していることにあるのではと思います。まあ途中途中で、戒刀を用いていることもありますが、武松の強さはやはり素手での戦闘能力、これこそが武松の強さです。

 

林冲、楊志(水滸伝)

 

そうして比較として出てくる林冲ですが、やはり元々八十万禁軍棒術指南役、この立場であったからこその納得のいく強さ。しかし無手であれば?となると直接的な描写がないので比較が難しいのですが、素手での乱闘、喧嘩なら個人的には武松、武器アリの戦闘、馬を駆っての戦いなら明らかに林冲、こういった解釈です。何を最強とするのかは難しいですが、ここからの武松の運命を考えると、武松はやはり「個人としての強さ」であったのではないかと愚考しますね。

 

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方臘の乱と「隻腕の英雄」の誕生

 

では話を水滸伝に戻しまして、ずっと時間は進んで運命の方臘の乱。ここで多くの好漢たちが脱落していくため見ていて辛いのですが、武松もまた例外ではありません。戦いの最中の睦州城攻め、武松は馬に乗った包天師に二本の戒刀を持って徒歩で立ち向かいます。

 

この徒歩というのが武松が武松である所ですね、林冲や呼延灼と違い、軍に身を置かなかった武松は馬を駆ることはありません。あくまで徒歩、それが歩兵軍頭領、武松です。ここで投げつけられた剣を左腕に受けた武松は、激しい出血により意識を失い倒れてしまいます。

 

 

壮絶な戦い:片腕を失いながらも戦い抜いた武人の意地

魯智深(水滸伝)

 

そんな武松を助けたのは、かつて二竜山で共に山賊をやっていた魯智深。一命を取り留めて意識を取り戻した武松ですが、見ればその左腕は今にもちぎれそうになっていました。壮絶な戦いは、武松から命は奪わずとも左の腕を奪っていこうとしていたのです。しかしそこは武松、奪われるなど許さない、とばかりに、自らその腕を自分で斬りおとしてしまうのでした。この後、方臘討伐戦は宋軍の勝利で幕を閉じます。

 

 

仲間の死を見届け、彼が下した「意外な決断」

そうしてこの時には、もしかしたら武松は己の命運を見定めていたのかもしれません。方臘討伐戦後、武松は杭州の六和寺に残ることを決めます。凱旋はしない、東京には戻らない、魯智深らと共に杭州の六和寺という寺に残る決心をしていました。

 

個人的にここで武松が残る決断をしたことには驚きました。腕を失って尚生き延びたので、それこそ名誉の負傷扱いになるのでは……と思ったのは凡人が故の浅慮、武松は一個人が理解できるほどの器ではなかったと思い知らされたと言いますか。その武松の言葉を次に纏めます。

 

 

結末:六和寺での隠遁と80歳の天寿

水滸伝01 北方謙三 水滸伝 特集バナー 宋江

 

負傷した武松は宋江に会い、寺に残ることを告げます。「自分はもう戦えぬ体となりました。それ故に東京には戻らぬと決めたのです。今までに手柄を立て、手に入れた金銀は全て寺(六和寺)に寄進し、寺男として生きてゆこうと思います」宋江はこれを許し、武松は六和寺で寺男となり八十才まで生きたと言います。寂しくも天寿を全うした、この退場はある意味では、他の好漢たちの中でも恵まれている方ではないでしょうか。

 

 

 官職を捨てて仏門へ。彼が最後に見つけた「心の平和」

 

かつて酒に酔っては暴れ回り、果てに無関係な者たちまで手にかけて、身を隠すために行者の姿をしていた武松が、全てを捨てて仏門に入り、静かに余生を過ごして天寿を迎えた。武松、ただの正義の男ではありません。家族のために復讐もするし、成し遂げたなら自首するし、そうかと思えば酒に酔って無法も働く。めちゃくちゃ強い一般人……というと言い過ぎですが、その武松が戦えないと自身に判断を下し、余生は静かに過ごすことを選択した。

 

水滸伝 武松

 

ようやっと、武松は静かに暮らすことができたのか。そう思うと、最後の最後で武松はその悪星の運命から逃れられたのではないか。どうにもそんな風に考えてしまい、そしてそんな風に考えてしまうと、やはり武松、水滸伝の好漢たちの中でもかなり上位の「好き」だなぁと筆者は思ってしまうのです。

 

 

武松の生涯が教える「執着を捨てる」ことの難しさと尊さ

呂布 ポイント

 

さて、最後に。梁山泊の生存者たちは武松だけではありません。生存者の中でも李俊は、方臘攻めが終わってもいずれは疎まれて破滅するかもしれない、それよりも自由気ままに暮らそうぜ!と他の仲間たちと暹羅へと向かって王になる……という余談がありますが、そこに武松の姿はないのです。この判断が悪いとも、良いとも言いません。でも当初、自由気ままに独りで行動していた武松がこれに同行しなかった……ここに、武松の生涯を感じて、とても「らしい」のではないかと思います。あれほど破天荒に暴れていながら、その幕綴じは尊くさえある、それこそが行者、武松だったのではないでしょうか。

 

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【特別紹介】「水滸伝」と「三国志」の違いとは?解説動画も必見!

正史三国志_書類

さて、ここまで武松の魅力や水滸伝の破天荒な世界観を語ってきましたが、「そもそも同じ中国の古典小説である『三国志』とは何が違うの?」と気になっている方もいるのではないでしょうか。

 

三国志を解説するセンさん

 

私、三国志ライターとして活動しておりますが、実はこの二大名作、似ているようで全く別ベクトルの熱さを持っています!三国志が「大義と知略で天下を争う国家の群像劇」だとすれば、水滸伝は武松のような「理不尽な世の中に抗うアウトローたちの個人のピカレスクロマン」。そんな両作品の決定的な違いや、それぞれの楽しみ方を分かりやすく徹底解説した動画をご紹介します。

 

 

 

「三国志は好きだけど水滸伝はまだ読んだことがない」「これからどちらの世界に飛び込もうか迷っている!」という方は、ぜひこちらのYouTube動画もチェックしてみてくださいね!

 

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はじめての三国志Youtubeチャンネル3

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

余談も余談ですが、王慶討伐戦での勝ち戦後に、宋軍が凱旋をします。この際に武松も凱旋するのですが、軍装ではなく行者の衣で凱旋を行っているのですよね。もしかしたらこの頃から、武松は己の生末、そして命運を何となく感じ取っていたのでは……と思います。だからこそ、星の命運はあくまで武松から左腕、戦う力のみを取り上げたのではないかと。前半部分破天荒に暴れるのは魯智深も同じくですが、そんな二人が最後にどこか報われて静かに幕を閉じることができた、これもまた、水滸伝の面白さですね。

 

センさんのとぷんver2

 

それでは今日も湖の畔で。ちゃぽーん。

 

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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】

水滸伝入門ガイド

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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