燕青ってどんな人?徽宗がモチーフとなった水滸伝の豪傑!?


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燕青(水滸伝)

 

燕青(えんせい)は『水滸伝(すいこでん)』に登場する108人の豪傑の1人です。体術・弓術・音楽・歌舞・方言に優れていました。また、背中には立派な刺青をした色男です。あだ名は「浪子」と言います。浪子とは遊び人という意味です。

 

今回は燕青(えんせい)について解説します。

 

自称・皇帝
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燕青のモチーフは徽宗?

徽宗は北宋の第8代皇帝

 

実は燕青(えんせい)のモチーフは北宋(ほくそう)(960年~1127年)の第8代皇帝の徽宗(きそう)と言われています。

「イメージが違うのだが・・・・・・」

「また得意のアニメかマンガのネタか?」

 

言いたいことは分かります。私がいつもそんな記事ばかり、書くので読者の皆様も疑っているのでしょう。

だが、徽宗(きそう)が〝浪子〟と言われたのは事実です。燕青と直接関係無いですけど、モチーフとなった〝浪子〟という言葉について解説します。

それは徽宗が皇太子時代の話です。

 

北宋第7代皇帝は哲宗(てっそう)と言いますが若くして世を去りました。哲宗には男子がいなかったので、弟から世継ぎを出すことになります。

選抜の結果、端王(たんおう)・・・・・・後の徽宗が選ばれました。この時、章惇(しょうとん)という宰相(さいしょう
)
が反対しました。

章惇は次のようなセリフを放ちました。

 

「端王は浪子のみ」

要するに、「端王様は道楽者である」と言っているのです。ただし、良くいえば「風流人」という言い方もあります。

当然、こんな発言をしたので章惇は左遷です。そして端王は皇帝になりました。北宋第8代皇帝徽宗です。

 


 

主人と親子同然の関係

戦う燕青(水滸伝)

 

話が脱線したので燕青に戻します。燕青は梁山泊(りょうざんぱく)の副首領の盧俊義(ろしゅんぎ)の召使いです。

 

盧俊義は玉麒麟(ぎょくきりん)というあだ名で知られています。このあだ名の詳細な意味は不明です。盧俊義(ろしゅんぎ)は若い時に孤児の燕青を拾って、手厚く育てました。

盧俊義と燕青の関係は表面上は主人と召使いですが、実の親子と変わらなかったようです。

 

【滅亡から読み解く宋王朝】
北宋・南宋


 

盧俊義を助けにいく燕青

 

ある日、梁山泊では2代目の首領の晁蓋(ちょうがい)が戦死しました。3代目の首領候補として挙がったのが盧俊義です。

 

水滸伝の宋江

 

宋江(そうこう)は得意のスカウト作戦で盧俊義をスカウトしますが、あっさりと断られました。だが、宋江は盧俊義の妻と召使いの1人が不倫をしている情報をつかんでいました。そこで彼らを利用して、盧俊義を逮捕させました。

 

宋江(水滸伝)

 

「やったッ!!さすが、宋江! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!」

「そこにシビレル! あこがれるゥ!」

『ジョジ〇の奇妙な冒険』のネタで字数を稼ぐなって?

 

申し訳ございません。ちゃんと続けます。

この時、護送される盧俊義を助けに入ったのが燕青でした。

 

燕青単独の救助は失敗して最終的には梁山泊が来て、盧俊義は助けられる結末でした。盧俊義と燕青は、この時に梁山泊に加入します。

ちなみに、3代目首領については盧俊義は断って宋江が就任しました。


  

 

 

朝廷との仲介役となる燕青

 

梁山泊の規模が大きくなるにつれて、宋江(そうこう)は梁山泊は朝廷に敵意が無いことを認めてもらうことにしました。

そこで朝廷への仲介役として燕青が選ばれました。

 

燕青は李師師(りしし)に接近することにしました。李師師は花街で随一の美女です。現代で例えるのなら、人気ナンバーワンのキャバ嬢です。また、徽宗の妾の1人として有名です。燕青は金持ちの客の1人として李師師の店に行きます。李師師は燕青が美男子であり、また立派な刺青をしていたので気に入りました。

 

李師師は燕青に手を出そうとしますが、ここで抱いてしまうと意味がありません。燕青は咄嗟の判断で李師師と義姉弟の契りを結びたいと申し出ました。呆れた李師師でしたが、申し出られたら仕方ありません。燕青と義姉弟の契りを結びました。

 

ちょうどその時、徽宗が現れました。徽宗も燕青を気に入ったので、話を聞いてくれました。

その結果、梁山泊は朝廷の軍に編入されることになりました。

 

さらば燕青

方臘(水滸伝)

 

ところが、編入後の梁山泊は朝廷のために好き勝手に利用されました。宣和(せんわ
)
3年(1121年)の方臘(ほうろう)の乱で梁山泊は莫大な被害が出て、108人の豪傑で生き残ったのは36人になりました。

 

燕青は生き残りの1人です。燕青はこれ以上、朝廷にいても無駄なので故郷に帰ることを提案しました。

しかし、盧俊義はその提案を無視します。翌日、燕青は置き手紙を残して立ち去りました。手紙に何が書かれていたのかは分かりません。

その後、燕青は2度と姿を現しませんでした。

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が燕青に関する記事です。

燕青は長年、盧俊義に仕えた割には最後があっさりとしており、釈然としないものがあります。

当時の読者か感じていたのかもしれません。後に作られた『水滸後伝』や『説岳全伝』では再登場することになっています。

※参考文献

 

・宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』(初出1972年 後に『宮崎市定全集〈12〉水滸伝』(岩波書店 1992年所収)

 

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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】

水滸伝入門ガイド

 

 

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