凌統は怪我が原因で亡くなった?凌統の死因に迫る!


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凌統

 

凌統(りょうとう
)
孫権(そんけん)から愛された武将でした。

 

痛い目にあう孫権

 

孫権(そんけん)がどのくらい凌統を好きだったのかと言うと、凌統が亡くなった時、ご飯を食べることができないくらい悲しみ、落ち込んだそうです。

孫権が可愛がった凌統は何が原因で、亡くなったのでしょうか。

 

自称・皇帝
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戦で活躍した凌統

戦で活躍する凌統

 

凌統が亡くなった原因を紹介する前に彼が一体どのような人物であったのか紹介したいと思います。

凌統(りょうとう
)
は孫権へ仕えると父・凌操(りょうそう
)
の兵士を引き継ぎます。

凌統は父の兵士を引き継ぎ、山越(さんえつ)討伐戦で活躍し、荊州(けいしゅう)の江夏攻略戦でも城を陥落させる功績を残しています。

 

魏曹操と魏軍と呉軍

 

また凌統は赤壁の戦い(せきへきのたたかい)でも軍功を上げ、曹仁(そうじん)が籠城していた江陵城攻略戦でも活躍し、校尉(こうい
)
に任命されることになります。

凌統は着実に手柄を挙げていきますが、彼の性格はどのような性格だったのでしょうか。

 


 

信義に厚い性格をしていた凌統

甘寧と凌統

 

凌統はどのような性格だったのでしょうか。

正史三国志呉書・凌統伝によれば、利益よりも信義に厚い武将だったそうです。

 

また凌統は戦場に向かって行軍している最中でも、優れた人材や賢いと評判のある人物を招き入れて、知識を蓄える事が好きだったのかもしれません。孫権は凌統の性格が上記で紹介した性格だったからこそ、好きになったのかもしれませんね。

 

さて凌統の人物紹介をしてきましたが、彼はある戦いで大けがをしてしまいます。

 

【呉のマイナー武将列伝】
呉の武将


 

孫権を守って大けがする凌統

合肥の戦いで痛い目にあった孫権

 

凌統は孫権と共に合肥城(がっぴじょう)攻略戦へ出陣しますが、疫病が蔓延していたため、合肥城から撤退することにします。孫権は諸将の軍勢を先に撤退させることにさせます。

 

甘寧と凌統と呂蒙

 

その結果、孫権の身の回りを守るのは近衛兵1000人ほどと凌統、甘寧(かんねい
)
呂蒙(りょもう)らの諸将しかいませんでした。

 

泣く子も張遼

 

張遼は合肥城からの偵察隊からの報告で、孫権の身の回りを固めている兵士達が少ないのを知り、孫権へ追撃を行います。

凌統は張遼(ちょうりょう)軍がやってくると300人ほどの近衛兵を指揮して、孫権を脱出させます。

 

張遼 カカロットーーーー!

 

凌統は孫権を脱出させると再び張遼軍と激しく戦い、孫権が追撃の心配がいらない所まで時間稼ぎをした後、退却するのでした。

 

凌統は孫権の元に戻ると大きなけがをいくつも負っていました。孫権は凌統の体に大きな傷があることを見て涙を流しながら心配。凌統はこの時の戦いで負った傷が悪化してしまいますが、医者の薬のおかげで何とか一命をとりとめたそうです。

 

このことから凌統の死因は怪我ではないことが分かりました。

では凌統の死因はいったい何なのでしょうか。


  

 

 

凌統の死因は病死だった…

 

凌統の死因は張遼軍との戦いで負った傷が原因ではありませんでした。

では彼の死の原因はいったい何なのでしょうか。

 

凌統の死因は正史三国志によれば、病によって亡くなったと記載されています。

凌統がどのような病気で亡くなったのかは記載されていませんでした。

 

孫権は凌統が病死した事を寝ている時に知らされますが、彼の死を知るとショックのあまり飛び起きて、涙を流したそうです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

孫権は凌統が大けがを負うと、名医を派遣して手厚く看護させ、彼が亡くなると涙を流して悲しんでいたそうです。

さてここでは凌統の息子達のその後をちょこっと紹介して、締めくくりたいと思います。

 

孫権は凌統の二人の息子・凌烈(りょうれつ)凌封の(りょうふう)二人の息子を自分の元に引き取って育てる事にしたそうです。孫権は諸将や賓客がやってくると凌烈と凌封の二人を呼んで「これはオレの虎の子なんだ」と言って自慢していたそうです。

 

凌烈と凌封は孫権から優秀な先生を付けてもらい、学問や騎乗術、武術などを学んでいくことになります。そして凌烈は青年になると孫権から爵位をもらい、父・凌統が率いていた兵士を率いることになります。

 

しかし凌烈は罪を犯した事が原因で、爵位が没収されてしまいますが、弟・凌封が兄貴の跡を継いで、爵位を継ぐことになります。

こうして凌統の血は彼の死後も脈々と続いていくことになります。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

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