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関羽の身長まで「あと一尺」!三国志演義の英雄たちがことごとく八尺~九尺な件

2019年7月8日


 

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顔良と関羽

 

 

三国志(さんごくし)を扱ったマンガやゲームやアニメについて、いまさらながらヒトコト。

 

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

 

三国志の世界観をビジュアル化する場合の傾向として、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)呂布(りょふ)といった豪傑たちの身長と、モブの兵士たちの身長に、あまりにも差をつけすぎじゃありませんか?

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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有名武将たちは現実的にはどれくらいの大きさ?関羽の身長を基準にふとマジメに考察

公孫サン(公孫瓚)

 

 

漫画の世界には「心理的な身長」という便利なコトバもあるようで、80年代に流行った北斗の拳などでは、メインキャラとモブキャラの身長差が生物学的リアリティすらも無視する大胆さで強調されていました。

 

三国志を扱ったメディアにもいささかそれに近いものを感じます。でも三国志の登場人物たちは、古代中国に実在していた人たち。実際のところ、大きかったのか小さかったのかは、気になるところですよね。

 

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

 

残念ながら正史のほうにはあまり登場人物たちの身長のことが触れられていないのですが、『三国志演義』のほうには何度か、具体的な身長についての言及があります。

 

関羽は神様

 

 

その一番手は、『桃園の誓い(とうえんのちかい)』の章で早々に登場する関羽です。「身の丈九尺」と数値で示されています。

 

 

 

 

そもそも関羽の身長「九尺」ってどれくらいの大きさ?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

 

これって今でいう何センチくらいの大きさなのでしょうか?

 

関羽の青銅像

 

 

そもそも皆さんは、関羽の身長といえば、直感的には何センチくらいと想像していましたか?私は漠然と「2メートルちょっとくらいの大男だろうな」と、長い間信じておりました。その直感を大事にしつつ具体的に数値計算をしてみましょう。

 

残念ながらこの「尺」という単位、時代によって変わってしまっているようで、なかなか計算は難儀なのですが、ここでは「一般的に古代中国では1尺=23センチである」というデータを採用したいと思います。

 

23センチ × 9 とすると、関羽の身長は207センチくらい。2メートルと7センチとなると、ありゃ私の長年の直感がだいたいアタリでした!これはちょっと嬉しい!

 

呂布 ナイスシュート

 

 

現代でも2メートルを少し超えるくらいの人物となると、バスケットボールやバレーボールの選手には「ありえる」身長となりますし、大男とはいえ現実的な範囲ではないでしょうか。

 

ともあれ古代中国は現代と比較して栄養状態は悪かったはずですから、人間の平均身長は現代よりも下だったはずと予想。そんな世界で2メートル越えはそうとう目立ったはずですので、最近のメディアでの「モブキャラとの極端な体格差」も、存外間違いとも言い切れません。

 

 

 

他の武将たちの身長を追跡するとたちまちナゾが深まってしまう件!「みんな八尺じゃないか!」

水滸伝って何? 書類や本

 

この調子で他の武将についても調べてみよう!そう息巻いて『三国志演義』をさらに読んでみると、ちょっと具合の悪いことに気づいてしまいます。この小説では、何かとキーワードとして「八尺」という言及が出てくるのですね。

 

「何某の彼は身の丈八尺だった」

「このとき八尺ほどの大男が立ち上がり、誰かと思えば何某という男だった」

などなど。

 

八尺というのはさっきの計算を適用すると184センチくらい。「背の高い」人を表現するのにはかなり適度な大きさと言えますが、こんなにも三国志に登場する豪傑は八尺だらけだったのでしょうか?

 

・・・などというわけはないですね!考えてみれば『三国志演義』はそうとう後世になってから編まれた作品。

 

 

羅貫中と関羽

 

作者の羅貫中(らかんちゅう)が、「背の高い男である」ということを表現したい時には、ことごとく便利な「八尺であった」に頼っていただけのことと思います。つまり「八尺」は、作者の「心理的な大きさ」表現です。客観性があるわけではなさそう。

 

羅貫中

 

となると『三国志演義』の記述を一生懸命追いかけてキャラクターたちの身長を比較云々しようとする気そのものが、失せてきてしまいました。結論としては、実際の三国志たちの英雄の大きさは「よくわからない」に戻ってしまいます、残念。

 

 

 

まとめ:それでも関羽だけ「九尺」と別格扱いな点には意図を感じます

顔良を討ち取る関羽

 

ともあれ「大きい人=八尺」という定型文を使って小説を書いていた羅貫中の世界観の中で、関羽だけが九尺と、「八尺の大男だらけの世界で一尺大きく」言及されていることには注目したい。やはり関羽は「別格」の大きさとしたかった、という羅貫中の意図を感じます。

 

 

張飛益徳参上

 

「八尺」と言及されている人物を探していくと、たとえば張飛も「八尺」と表現されています。張飛ですら180センチとみている作者の頭の中で関羽だけ1レベル上です。これは特別扱い、と言っていいと思います。

 

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

他に「八尺」と言及されている豪傑には、誰がいるでしょうか?ぱらぱらと『三国志演義』をめくってみて、他にも「八尺の身長」の男の名前が見つかりました、「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」です。

 

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

…え!?意外!孔明って張飛(ちょうひ)と互角なくらい大きかったんだ!?

 

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一騎打ち

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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