劉備・劉禅二代の君主に仕えた趙雲。彼は益州攻略戦や漢中防衛戦、第一次北伐戦などで活躍した歴戦の将軍として知られていますが、やはり趙雲の最大の活躍と言えば、長坂の戦いでの奮迅が有名だと思います。
そこで今回はこの長坂の戦いで趙雲がどれくらい活躍したのか。正史と演義の二つの書物から紹介し、比較したいと思います。
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正史での活躍は??
趙雲は長坂の戦いでどのような活躍をしたのか。まずは正史三国志から紹介したいと思います。正史三国志趙雲伝によれば、劉備が曹操軍から逃亡しますが、長坂まで追撃にされてしまいます。この時劉備は妻子を捨てて南へ向かって逃亡。
趙雲は劉備に従って南へ向かって逃げず、劉備が捨てた妻子を救出するため、単騎で曹操軍の中へ突撃します。趙雲は劉備の息子・阿斗(後の劉禅)を抱き、劉備の奥さんを連れて劉備の元へ向かうべく、曹操軍の軍勢の中へ再び突撃。
劉備は妻子を捨てた事で何とか曹操軍の追撃を振り切ることに成功しますが、側近から趙雲が逃亡したとの報告が入ります。劉備はこの報告をした人に激怒し「子龍が私を見捨てて逃亡するわけがないだろう!!」と手戟で報告者を叩きます。
劉備はこの報告を受けた後すぐに阿斗を抱いた趙雲が到着したそうです。正史三国志の趙雲は長坂の戦いでかなりの活躍をしている事がお分かりになると思います。
三国志演義の趙雲はとんでもない活躍を見せる
長坂の戦いで趙雲は阿斗と劉備の奥さんを救出することに成功しています。上記は正史三国志に記載されていますが、三国志演義でも趙雲は大活躍しているのでしょうか。趙雲は三国志演義に記載されている長坂の戦いで、正史三国志を上回る活躍を見せています。
趙雲が単騎で曹操軍の中へ突撃して、劉備の息子・阿斗と劉備の奥さんを助けた事は正史三国志と同じです。ここからの趙雲は正史三国志とは違い、かなり派手に活躍しています。三国志演義の趙雲は阿斗と劉備の奥さんを救い出した時、単騎であったにもかかわらず、曹操軍の将軍達を何人も討ち取る活躍をしています。
趙雲は曹操軍の将軍と兵士達を合わせ、一人で50人以上を打ち倒しながら劉備の元へ辿り着いたそうです。劉備は趙雲が傷だらけになって自分の息子と奥さんを連れて戻ってきた事を知り、大喜びした…わけではありませんでした。劉備は趙雲が命がけで救い出した劉禅を地面へたたきつけて「お前のせいで私の大事な将軍を一人失う所であったのだぞ!!」と言葉もわからない赤子・阿斗へ怒鳴りつけたそうです。
趙雲は劉備が自分の息子よりも家臣を大切にしている事が分かり感動したそうですが、言葉もわからない赤子の阿斗からしたら、とんでもなく迷惑な話だと思います。正史三国志の趙雲も長坂の戦いで大活躍していますが、三国志演義の方がよりダイナミックで派手な活躍しているのが、お分かりになると思います。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は趙雲が活躍した長坂の戦いについて正史三国志と三国志演義二つの三国志から紹介しました。やはり正史三国志は歴史書としての要素が大きい為、長坂の戦いの時の趙雲もあまり派手な活躍をしていません。
しかし三国志演義は民衆の娯楽向け要素が高いので、長坂の戦いで趙雲が大活躍し、敵将を何人も討ち取るダイナミックな活躍をしています。正史三国志と三国志演義、二つの三国志を見比べる事で違いが分かり面白いと思います。そろそろ夏休みに入る方もいらっしゃると思うので、お時間がある方は正史三国志と三国志演義両方を知識として頭に入れておくのもいいのかなと思います。
■参考文献 正史三国志蜀書など
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