大人気春秋戦国時代漫画キングダム。
いまだかつて統一された事がない中国大陸を統一に導いた秦王政と、その政の夢に懸けた信や、他の将軍達の物語ですが、
夥しい血を流して達成された統一は、僅か十五年で崩壊していまいます。
しかし、秦帝国にファルファル騰が、もっと沢山いれば、秦帝国は滅亡を免れたかも知れません。
キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧
関連記事:キングダム613話ネタバレ予想「意外!あの名場面は史実だった」
関連記事:キングダム最新613話ネタバレ予想「龐煖死ぬ理由生きる理由」
過酷な政治でも安定していた騰のエリア
たとえ、残り三戸になろうとも秦を倒すのは楚、キングダムの六国の中でも、とくに秦への憎しみを募らせたのは、
六国でも最大の領土を持つ楚の人々でした。
その楚人の恨みは、始皇帝が死ぬとかつて秦に騙されて虜囚として生涯を終えた楚の懐王の子孫を主君に押し立てて、
反秦連合軍が結成された事でも分かります。
この反秦連合軍には、項梁も項羽も劉邦も参加していて、彼らは、全て楚人だったというのも大きな因縁です。
それだけ楚人の秦への憎しみは強かったのですが、秦の過酷な政治が繰り広げられていた中華全土で、
ただ、一つ反乱が起きなかった土地がありました。
それこそ、史実のファルファル騰が治めていた南郡で楚のエリアです。
騰は人情を理解した名行政官だった
南郡とは、楚が都を置いていた郢に含まれるエリアでした。
本来なら、秦への憎しみが一番強くてもおかしくないエリアで、どうして反乱が起きなかったのでしょう。
1975年、湖北省の墓から出土した睡虎地秦簡には、キングダムの時代に南郡を治めた騰の言葉が残されていました。
そこには、土地を統治する役人の心構えについて書いたものがあり、「民の実情を把握せよ」「民の習俗を変える事に慎重であれ」等、
楚の人々の感情に配慮した言葉が並んでいます。
つまり、騰は厳格で例外を許さない秦の法律について懐疑的であり、そのまま法を運用するのを回避して、
土地の実情に合わせた法律の運用に気を配ったのです。
—熱き『キングダム』の原点がココに—
楚の人々を信じ裁量を与えた騰
秦の法律は、中華全土に郡守や県令、丞のようなキャリア官僚を派遣して直接、皇帝と繋げるという画期的なものでしたが、
実際には、土地のローカルな有力者との関係が上手くいかないと中央から派遣された人員だけでは円滑な統治は難しいものでした。
実際、秦の天下が乱れ始めると、六国の住民は余所者である郡守や県令の命令を聞かなくなり、
逆に、これらの人々を殺して反乱軍に加わる始末だったのです。
秦が支配した多くの地域では、秦のやり方を押し付けて、土地の実情を無視したので、土地のローカル権力者の協力が得られず、
それが増々、暴力で土地の人民を従わせる方向にシフトしました。
騰はそれを知っていて、秦の法律は厳格に施行しつつも、統治した南郡の人々が秦法に慣れるまでは、杓子定規な運用はせずに
根気よく、法令の周知徹底を図ったのです。
騰の誠実で現実を踏まえた対応に、南郡の土地の権力者も心を開き秦の中央集権制と南郡のローカル行政の歯車は噛み合いました。
これにより、南郡では秦のキャリア官僚は必要以上に暴力に頼らず穏健な統治をおこなう事が出来たのです。
秦の天下統一の年に騰没する
このように、民心の安定に心を砕いた騰ですが、奇しくも、秦王政が天下を統一した紀元前221年頃に死亡したと言われています。
六国でもっとも秦への恨みが強かった土地で、安定した統治を実現した騰の姿勢は彼がもう少し長生きしていれば、
始皇帝に対して杓子定規な法運用を改めさせる契機になったかも知れません。
しかし、騰は始皇帝に先立って亡くなり、彼が持っていた貴重なノウハウは秦の統治には活かされませんでした。
せめて、秦にもう、2~3人騰のような人材がいれば、膨大な血と労力で築き上げた秦は、もっと長い間、繁栄したかも知れません。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
秦の支配を貫いたのは、六国を武力で統一したという傲慢な程の誇りと、法家の思想こそ絶対というゆるぎない自信だったのでしょう。
キングダムで秦王政は、七国すべての人民が法の下に平等な理想社会を目指しましたが、実際に統治する秦人に驕りがあったのは
その理想を崩壊させるのに十分でした。
次回記事:キングダム最新613話ネタバレ「必勝戦略」レビュー考察
参考文献:始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎
キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧
関連記事:キングダム最新612話ネタバレ「答えを持つ者」レビュー考察
関連記事:キングダム612話ネタバレ予想vol3堯雲&趙峩龍は信にどんな影響を与えたの?