二つの国の利害が対立した時、戦争無しに事態を解決するのが外交です。
しかし、国同士の対立は、それぞれが自分に都合がよい事だけを主張して、事態が紛糾する事が多いものです。
戦乱に明け暮れた三国志では、暴力によって国境線が変わるのが当たり前ですが中には、強かな交渉術により境界線を定めたケースもあります。
それが、荊州の南半分を巡る蜀と呉の交渉で関羽をやり込めた魯粛です。
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この記事の目次
蜀を奪取したが荊州を返さない劉備に孫権は出兵
劉備が西暦215年に益州を定めると、孫権は赤壁の戦い以後貸していた、長沙、零陵、桂陽を呉に返還するように劉備に要求します。
それに対して劉備は、涼州を奪取したら返しましょうと約束を反故にしました。
怒った孫権は、呂蒙を派遣して実力で、長沙、零陵、桂陽を奪取します。
ところが、劉備はそれを黙ってみている男ではありません。
やりやがったなと怒り、自らも公安まで出撃し、関羽に命じて三郡を取り返そうと乗り出してきました。
それに対し、孫権は魯粛を呼び出して
「それもこれも劉備を信用しろと言ってきたお前のせいだ、、何とかしてみせろ」と叱り飛ばします。
そこで、魯粛は平和裏に劉備から三郡を奪い返すべく交渉に出ます。
何もかも腹を割って話す魯粛
魯粛は、益陽に布陣して関羽の軍勢と相対しました。そして、自ら関羽の陣営で交渉をする事にします。
魯粛の部下は、関羽に魯粛が捕まったり、殺害される事を恐れて行ってはいけないと言いましたが、魯粛は全く落ち着き払い
「今回は、お互いに腹を割って話すべきだ。劉備の裏切り行為に関する問題が解決しない内に、関羽が私を害する事などない」
三国志呉書魯粛伝に引く呉書
と問題にしませんでした。
ここで、魯粛は劉備が孫呉に対して裏切りをしている事を宣言し、それは劉備も承知している筈で何とかしたがっている。
そうである以上は、関羽が自分に危害を加えて事態を悪化させる事はあり得ないと言っています。
第一に劉備は間違っているし、自分はそれを立証できる自信があると魯粛は考えていたのです。
関羽は泣き落としで魯粛と対峙
さて、呉書の記述だと単身で関羽の陣営にやってきた魯粛に関羽は、泣き落としを試みています。
「烏林の役(赤壁)では、左将軍(劉備の官位)は自ら戦闘に参加し、寝る時も鎧兜を脱がず、奮戦して呉と力を合わせて曹操を破ったのです。
それなのに、呉は領土の欠片さえ与えないと言い、あなたを遣わして領地を返せと迫る、我々は骨折り損のくたびれ儲けでしょうや」
三国志呉書魯粛伝に引く呉書
劉備は孫呉と力を合わせて戦ったのに、領土も欠片も与えずに奪い返そうというのですか、あなたは鬼ですかという泣き落としです。
典型的な感情論であり、関羽の方に分がない事が分かります。
しかし、魯粛は情に流される事はありませんでした。
魯粛は冷静に劉備が呉に転がり込んだ時の事を指摘
関羽の泣き落としに魯粛は冷静に対応します。
「そうではない、初めて劉豫州を長阪で観た時、劉豫州の軍勢は一校(一部隊)にもならず打てる手もなく、知恵も出ず、
どこに逃げれば助かるだろうとそわそわし、士気もくじけてしまい、とても、益州を領有するような大計は持っておられなかった。
我が主の孫権は、劉豫州が身を置く場所もなく、その軍勢を養う土地も物資もない事を見て憐れみ
荊州を与えて、今にも死にそうな所を救済したのです。
ところが、劉豫州はその恩義も忘れ、行動を飾り孫呉との友誼を破りました。
すでに、益州を手に入れて、以前の喰うや食わずではないのに、それで足りずに、なおも荊州に執着して返さんとするとは、
思慮の無い凡人でも敢えてしない事です。
ましてや、人の上に立つ君主ともあろう人がやっていい事でしょうか?
こんな事をすれば、道を踏み外し禍を招き寄せる事を避けられません。
そもそも貴卿(関羽)は、荊州を任されていながら、そんな事をしては道に外れますよと主君に諫言する事もせず、
逆に疲弊した兵士を集めて孫呉に立ち向かおうとさえしています。
しかし、こんな弱兵で本当にどうにかなると思っているのですか?」
三国志呉書魯粛伝に引く呉書
こう言われた関羽は意気消沈、一言もなかったと呉書にはあります。
墓穴を掘ってしまう関羽
正史三国志呉書、魯粛伝によると、魯粛が話をしている途中に関羽の幕僚の一人が
「土地とは徳のある人間のモノだ、どうして所有が決まっているものか!」
と興奮して叫んでいます。
これに対して魯粛はだまらっしゃい!と一喝します。
関羽は刀を手繰り寄せて立つと、「これは国家の事であり、この男には何も分かりません」と魯粛に釈明し
目配せして幕僚を下がらせています。
しかし、これは痛恨の失言でした、どうして、所有が決まっているものかという言葉は、
元々は呉の領地だろうと関係ない、領地は徳のある人が治めるのだと嘯いている事と同義であり、
荊州が孫呉の領地だと暗に認めているのと同然だったからです。
関羽は苦笑いして、「あれは、何も分かりませんから」と釈明しますが、もう手遅れだったわけです。
劉備の論点のすり替えを許さない魯粛
魯粛は、曹操に敗れてボロボロの劉備を知っています。
だから、劉備がいかに俺は、頑張って孫呉と共に戦ったと強弁してもそんなモノは嘘であり、赤壁における劉備軍の功績が微々たるものだと
ちゃんと論破する事が出来たのです。
さらに、劉備が荊州でいがみあっている間に、曹操が動き漢中を陥落させました。
本拠地が危うくなった劉備は、要求をあっさり引っ込めてしまいます。
かくして、湘水を境界として領地を分割、さっさと蜀に帰ってしまうのです。
劉備にしても、ハッタリを打ちまくり上手くいけば万々歳くらいで本気で孫呉と戦うつもりはなかったかも知れません。
結果として南荊州は、江夏、長沙、桂陽を孫権が取り、南郡、零陵、武陵を引き続き劉備が統治する事で収まりました。
三国志ライターkawausoの独り言
魯粛は劉備に対しては融和的な態度を取り、それは呉に損をさせているのではないかと孫権が疑う程でした。
劉備にしても、相手が魯粛なら誤魔化しおおせると甘く見たかも知れません。
しかし、実際の魯粛は、劉備と慣れ合うつもりはなく、劉備が桁外れの要求をすると、理路整然と道理を説いて聞かせて、
関羽を黙らせる程の実力を見せたのです。
国益を何より優先する魯粛の態度は、外交官の鑑と言うべきですね。
参考文献:正史三国志
魯粛は劉備と繋がりが深く、なかなか劉備が嫌がる事を言いにくい立場にも関わらず、堂々と劉備の痛い所を突いて交渉を有利に進めました。
読者の皆さんは、この魯粛の態度をどう思いますか?また、自分が劉備だとしたら、魯粛の態度を受け入れられますか?
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