馬超の人気が高いのは何故?馬超人気を高めた三国志演義と三国志の馬超

2019年9月14日


 

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五虎大将軍の馬超

 

皆さんは馬超(ばちょう)にどのようなイメージを抱いているでしょうか?

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

カッコいい、曹操(そうそう)と何度も戦った人、正義の武将……などなど、馬超は三国志の武将の中でもかなり人気がある武将のようです。しかしその一方で「どうして馬超が人気があるのか?」という疑問を抱く人も少なからずいるようですね。

 

そこで今回は馬超の人気の秘密を三国志演義、三国志両方から見ていきたいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操に家族を奪われた悲劇の人

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

さていきなり三国志演義からになりますが、筆者は馬超の人気を高めたのはやはり三国志演義の影響あってこそだと思うので、こちらから紹介していきます。

 

三国志演義では最初は父親の馬騰(ばとう)と共にサラッと出てきますが、次の出演回では父親、弟二人を皆殺しにされて曹操への復讐を誓う武将として馬超のイメージを決定づけます。曹操によって理不尽に家族を奪われた悲劇の人……この一面で、馬超に同情してしまった人も多いのではないでしょうか。

 

また「復讐という影」を感じさせるキャラクターというのも、現代でも人気が出そうなキャラクター性の一つだと思われます。

 



何と言っても「イケメン」さ!

馬超の兜にフォーカス

 

三国志演義では馬超を「錦馬超(きんばちょう)」と称えています。大変華やかな見た目の、つまりイケメンということですね。イケメンというだけで人気が出るのは現代でも同じ……ですが、この馬超の容貌に関しても三国志演義で語られているのみです。

 

馬騰

 

とは言え、全くの事実無根という訳ではありません。馬超の父である馬騰(ばとう)は異民族との混血児で、馬超はクォーターになります。ハーフであった馬騰は長身で見た目も雄々しかったそうですので、それを踏まえて三国志演義では馬騰の息子である馬超を「錦馬超」と表現したのでしょう。

 

馬超のイメージを高めた「三国志演義」

馬超の仲間入り

 

このように、馬超のイメージを高めたのは三国志演義によるものが大きいのです。実際の三国志では馬超の見た目についての言及は殆どありませんし、錦馬超とも呼ばれてはいません。ましてや不条理に家族を奪われた悲劇の人……というイメージともだいぶ違います。

 

そう、今までの多くの馬超のイメージは三国志演義によって描かれたものなのです。

 

こう言ってしまうとここまでの前提がことごとく覆ってしまいますね。

じゃあ三国志の馬超はカッコ良くないのか……?と問われると、筆者は自信を持って「三国志演義とは違う魅力がある」と答えましょう!

 

馬超の新しい魅力を感じさせてくれる「三国志の馬超」

馬超と羊

 

三国志演義と、三国志の馬超はかなり違います。

その最大の違いは、曹操との敵対に至るまでの経緯です。

 

馬騰と韓遂

 

馬騰は韓遂(かんすい)との間が険悪になっており、曹操の仲裁が入ります。その後、馬騰は曹操に都に呼ばれます。曹操が馬騰を都に呼んだのは馬騰が手柄を立てすぎたので警戒したのか、漢中討伐を始めるから都に来てもらって守りとして置きたかったのか……それはもう分かりません。

 

曹操

 

しかしこの曹操の漢中討伐のための南下を馬超は自分たちを討伐しに来ると思いこみ、反乱を起こします。この際に馬超は韓遂を仲間に引き込むのですが、その際に息子を人質に出している韓遂に「自分も親を捨てます!韓遂殿も子を捨てましょう!」と中々に思い切った説得を行うのですが……これだけでも、三国志演義の馬超とだいぶイメージが違いますよね。

 

馬超と韓遂

 

その後も馬超は猜疑心が強いというか、どうしても疑心暗鬼になるのか行く先々で恵まれず、蜀にやってくるまで心を落ち着ける場所がないような……まるで呂布のような人生を送ります。

 

ボロボロになった馬超

 

ですが筆者はこの馬超の生きざまが非常に人間らしく、苦悩して生きるさまに魅力を感じるのです。この三国志の馬超は馬超のイメージを覆すような人物ですので、馬超に興味がある人はぜひ見て欲しいですね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は馬超人気にあやかりつつ、その人気がどこから発生したのか調べてみました。その多くは三国志演義からのようですが、決して三国志演義を貶める意思はありません。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

むしろ馬超の人気が出るまでにキャラクター性を高めた三国志演義の貢献度はとても凄いものだと思います。しかし三国志の馬超もまた、三国志演義とは違うとはいえ中々に魅力に溢れていると筆者は思いますので、もしまだ正史の馬超を知らないという人は三国志の馬超を知ってみて下さいね!

 

参考文献:

三国志蜀伝・馬超伝

 

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馬超特集

 

 

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