はじめての平家物語1話「祇園精舎どこにある?」

2019年9月20日


 
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平家物語(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立した軍記物語(ぐんきものがたり)で、(おご)れるものは久しからずで有名な平家の栄華と没落、武士階級の台頭を描いています。

有名な祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声から始まる平家物語ですが、学校で習ったけど詳しい話は知らないという読者も多いのではないでしょうか?

そこで、はじめての三国志では、平家物語初心者のkawausoが平家物語を読みながら分かりやすく解説していきますよ。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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平家物語のあらすじ

燃える本能寺

 

平家物語の冒頭は、あまりにも有名なこの言葉から始まります。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)(ひびき)あり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)(ことわり)(あらわ)す。

奢れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し。(たけ)き人も遂には滅びぬ。(ひとえ)に風の前の(ちり)に同じ

 

ここから、平家物語は日本を離れて遠く異朝をとぶらふにと続き、キングダムでも登場する最凶宦官の趙高(ちょうこう)や、

唐を崩壊寸前まで追いやった安禄山(あんろくざん)の名前を出し、自分勝手に政治を私物化してやがて自らを滅ぼした人間はどこにでもいると語り

その後、わが国でもと話をこちらに向けて、平将門(たいらのまさかど)藤原純友(ふじわらのすみとも)のような大和朝廷に反旗を(ひるがえ)して滅んだ猛き武士を紹介します。

平清盛 鎌倉幕府

 

最期に最近では平清盛と平家一門の無残な有様は言葉にも出来ないと語ります。

ここから、平家物語で最初にスポットライトを浴びるのが平清盛である事が分かります。

そう、平家物語の前半で語られるのは、平家の栄華でありその中心人物である平清盛なのです。

 

また、物語は過去形で語られるので、どれほどの栄華の様を描いても、彼らは壇之浦(だんのうら)の海の藻屑になった事が分かります。

冒頭で説いたように世は無常であり、いつまでも栄え続ける強者などいないわけです。

 

 
 

平清盛家系図

桓武天皇 

 

さて、平清盛の名前が出ると、その先祖を(たずね)ねればと続き、平清盛まで続く平氏の家系が語られます。

 

平家は遡っていくと桓武天皇(かんむてんのう)の第五皇子である葛原親(かずらわらしんのう)です。

この葛原親王の子は高見王(たかみおう)と言い、あまり出来が宜しくないのか無官無位で亡くなります。

高見王の子が高望王(たかもちおう)で、彼の時代に宇田天皇(うだてんのう)の勅命があり平の姓を貰い皇族から離れていきます。

 

さて、皆さんは、どうして天皇の皇子なのにわざわざ皇族から離れていくのか不思議に思うかも知れません。

 

実は、当時の天皇は大勢の側室を持っていて子も沢山いますから、例え天皇の子でも、必ず栄達できるとは限りません。

そうなると出家するか、臣籍降下(しんせきこうか)して家臣の身分になり、国司(こくし)(すけ)の官職をもらい地方に下りていくかのどちらかしかないのです。

第五皇子である葛原親王も、そんな栄達の見込みがない人でした。

 

さて、高望王は平高望になり、息子の良望は上総介に任命され上総国(かずさのくに)(現代の千葉県中南部)へと下向していきました。

実際は上総国の長官は国司ですが、国司に任命されても田舎を嫌がって都を離れない貴族もいたので、実質的な長官は介だったりしたのです。

日本戦国時代の鎧

 

平良望(たいらのよしもち)は、土着して名を改め平国香(たいらのくにか)と名乗りました。

この国香の子が平貞盛(たいらのさだもり)で、その子が平維衡(たいらのこれひら)になり伊勢(いせ)に流れ伊勢平氏の祖、次が平正度(たいらのまさのり)で引き続き伊勢で地盤を固めます。

そのまた子供が平正盛(たいらのまさもり)でこれが清盛の祖父、さらに正盛の子が平忠盛(たいらのただもり)で、こちらが清盛の父という事になります。

こんな具合に、平家の系統が語られますが、清盛の祖父の正盛の時代の伊勢平氏は、まだまだ天皇の屋敷である禁裏に昇殿する事も許されず、

砂地の庭に土下座して仕えている状態でした。

後には、栄耀栄華(えいようえいが)を極める平家も、この頃はまだぺーぺーでしたという事で、平家物語の第一話祇園精舎は終わります。

 

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平清盛と平将門は敵同士?

源氏と平氏が対立

 

平清盛と言うと平将門(たいらのまさかど)と同じ平氏ですが、二人はどんな関係なのでしょうか?

実は平将門は、清盛の先祖である平国香の(おい)にあたります。

しかし、二人は土地を巡って敵対関係であり、小競り合いの結果、平将門は国香の軍勢を破り屋敷を焼き払い国香は死亡しました。

このため、平清盛にとっては、将門は先祖の敵という事になります。

ただ清盛の時代から見て200年近くも前の事なので、清盛が将門を恨んでいたか本当の所は分かりません。

 

祇園精舎に鐘はないってマジ?

水月観音像(仏像)

 

あまりにも有名な平家物語の冒頭の祇園精舎の鐘の声ですが、皆さんは祇園精舎がどこにあるかご存知ですか?

祇園というくらいだから、京都と思うかも知れませんが間違いです。

実は祇園精舎とは、かつてインドにあった寺院で釈迦(しゃか)が存命中に説法を行ったとされる由緒正しい場所でした。

 

この寺院は仏教が中国に伝わった時に、祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)と漢訳されます。

しかし、あまりに長いので日本では適当に詰めて祇園精舎とされたのです。

ですから、祇園精舎の鐘の声と言っても、日本で祇園精舎の鐘の音を直接聞くのは不可能という事になります。

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もっと、身もふたもない話をすると、インドの寺院には元々梵鐘(ぼんしょう)はありません。

梵鐘は仏教が中国に伝わった時に儒教の礼楽と融合して出来たものです。

日本の仏教は中国・朝鮮由来なので、仏教と梵鐘は最初からセットでした。

当時の日本人は本場の祇園精舎に梵鐘がないとは思わなかったのでしょう。

 

ところが嘘みたいな本当の話、2004年、本当の祇園精舎に梵鐘がない事を知った「日本国祇園精舎の鐘の会」が

梵鐘と鐘楼(しょうろう)を祇園精舎に寄付しました。

それにより、元々鐘がなかった祇園精舎で鐘の声が聴けるようになったのです。

平家物語がつないだ不思議な因縁と言えるかも知れません。

 

平家物語ライターkawausoの独り言

 

さて、始まりました、はじめての平家物語。

実はkawausoもちゃんと読んだ事がないので読みながら、はじ三流に内容を整理して、連載していく事になると思います。

次回は、第二話殿上(でんじょう)闇討ち事件でお会いしましょう。

 

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