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助けて、董承!献帝依頼の曹操暗殺計画とは?

2019年9月24日


 

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董承

 

董承(とうしょう
)
は後漢(25年~220年)の将軍であり、後漢第14代皇帝献帝(けんてい)の外戚(=皇帝の親族)です。

 

曹操を暗殺しようとする董承

 

詳しい素性については、はっきりしていませんが、建安4年(199年)ごろから献帝の命令により劉備たちと一緒に曹操(そうそう)暗殺を計画します。しかし、建安5年(200年)に発覚して処刑されました。

 

董承

 

董承はこのめたなのか小説『三国志演義』では忠臣として描かれています。だが、実際の彼はどのような人物だったのでしょうか?

今回は正史『三国志』をもとに董承が関与した曹操暗殺計画と彼の素性について解説します。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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献帝からの曹操暗殺計画

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

初平3年(192年)に董卓(とうたく)王允(おういん)呂布(りょふ)に殺害されますが、巻き返してきた董卓の残党により彼らは敗北!王允は処刑されて呂布は逃亡しました。

 

李カク、郭わい、献帝

 

その後、首都の長安は董卓残党政権により占領されて、血みどろの政治党争が3年も行われます。見ているのに嫌気がさした献帝は故郷の洛陽に帰りたくなります。

 

献帝を保護する曹操

 

長安から脱出して洛陽に帰る途中、董卓残党政権に追われますが曹操により保護されます。助かったと思った献帝ですが、なんと曹操は救いの手ではありません。曹操は献帝を政治の道具にするために保護しただけです。

 

献帝

 

何度も政治の道具にされて悔しいと思ったのか、献帝は自分が使っている玉帯(ベルト)に「曹操を殺してくれ!」と書いて、ある人物に託しました。

 

董承、雲英

 

それは董承でした。献帝の側室の董妃人は董承の娘であり、祖母の董太后は彼の叔母です。相談相手としては最適でした。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

さて、玉帯をもらった董承は中に密勅が入っていることに気付きます。気付いた経緯は『三国志演義』ではローソクの火が玉帯に当たったからですが正史は何も語っていません。案外、分かりやすく目印が付いていたのかもしれません。

 

準備万端!

董承、曹操

 

さて、献帝からの密勅に目を通した董承は早速、仲間集めです。気が付くと、あっという間に仲間が集まってくれました。分かっているだけで以下の通りです。

 

・王服・・・・・・王子服、李服とも言う。おそらく、「子服」は。詳細は不明。偏将軍。

・呉碩・・・・・・詳細は不明。議郎。

・呉子蘭・・・・・・将軍と言うが詳細は不明。おそらく「子蘭」は字。

・チュウ輯・・・・・・若い時は荀攸と一緒に董卓暗殺を計画した人。

劉備・・・・・・後の蜀(221年~263年)の皇帝。

 

史料が残っているのはチュウ輯と劉備だけです。残りの3人は何者なのかも分かりません。でもやることは暗殺なので、素性が分からない人の方が都合が良かったのでしょう。

 

失敗! 一族処刑となる・・・・・・

李カク・郭わい、董承、段ワイ

 

ところが不思議なことに、これだけの準備をしていたにも関わらず計画は失敗します。

 

董承、牛輔

 

建安5年(200年)正月に董承たちは一斉に逮捕されます。情報がどこから漏れたのか現在も分かっていません。劉備は前年、袁術討伐のために出兵していたので難を逃れますが曹操に敗北して袁紹のもとに亡命しました。

 

処刑を下す曹操

 

董承や関係者は処刑。献帝の側室の董妃人も妊娠中でしたが殺されました。

 

董承と曹操

 

ここに曹操暗殺計画は頓挫となりました。

 

不可解な董承の素性

董承

 

最初に記述したように董承は献帝の親族にも関わらず素性が、はっきりしていません。董承の素性については以下の説が出ています。

 

(1)董太后親族説

まず正史『三国志』だけでは情報はゼロに等しいです。著者の陳寿は「献帝の舅」と記す以外は何も情報を提供していません。

 

裴松之(歴史作家)

 

それでは「注」はどうでしょうか?

注を付けた裴松之(はいしょうし)は、後漢第12代皇帝霊帝(れいてい)の母である「董太后の甥」という説を主張しています。ところが珍しいことに裴松之はこの説に関してはそれ以上何も言及しません。やはり、董承の親族関係は裴松之にも難しいことだったのか、それとも宮中の秘密案件だったのでしょうか?

 

(2)董卓と親族関係説

裴松之が持ってきた『献帝起居注』という史料に残されていますが、その中でかつて董卓の軍隊を董旻・董承・董璜が統率していたことが記されています。また、『後漢書』の著者である范曄は董卓の娘婿の牛輔の私兵であったと言っています。

 

これらの内容から後世の史家は、董承は「董卓の親族」ではないかという説を出しています。もちろん、これには矛盾が生じます。董承が董卓の親族であったならば王允と呂布が謀反を起こした時点で、すでに殺されているはずです。

 

「同姓同名の別人」という説が出ていますけど、筆者は『献帝起居注』の誤植も考えています。董卓の親族に董承と字面がよく似た親族がいたのかもしれません。「承」に似た漢字と言えば、「丞」・「氶」・「烝」でしょうね・・・・・・

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が董承に関しての解説でした。ネットで横山光輝氏の『三国志』を調べると、あのマンガは「ふむう」、「むむむ」というのが、特徴で有名のようです。

 

「現実世界で言わないセリフだろう」と読者から突っ込まれているようですが、実は筆者はマンガの影響が大きかったので、今でも日常会話で普通に使っています。

「嘘つけ!」と思うかもしれませんけど、マジの話ですよ。

 

マンガって人生に与える影響って大きいですね。

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

隠れ董承ファンの人、実は自分も「むむむ」や「ふむう」と日常会話で使う方は、コメントをお願いします。

 

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