今回のテーマは、ずばり「簡単に三国志がどんなものか説明してしまおう」です。
三国志、というと何か難しそうに感じてしまう人がいますが、難しいで諦めてしまってはもったいないくらい、とても面白くディープ世界、だけど余りにもディープなところを説明されても初心者には分かりにくいのが現状。
そこでもっと三国志初心者でも入り込みやすいように、三国志がどんなものか簡単に説明しようというコンセプトで始めてみたいと思います。
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三国志が生まれた時代
三国志が生まれたのは晋の時代です。晋は265年~420年に続いた時代ですが、この初期に三国志はまとめられました。
この晋は三国志にも出てくる魏の司馬懿という人物の孫にあたる人物、司馬炎によって魏の皇帝から禅譲されて開かれた時代です。
この時代に晋の役人であった「陳寿」という人物が三国時代の歴史をまとめて作成されたのが三国志なのです。この三国志は西暦180年から、280年くらいの中国の天下統一の話で、この時代を三国時代と呼びます。
中国には日本で言う戦国時代や室町時代といったように、三国時代という時代があるんですね。この時代に起こった戦乱を歴史家である陳寿がまとめたものを「三国志」と呼ぶのです。
なので三国志はその時代の終焉に生まれた書物になります。
三国志って歴史書なの?
さて三国志は「正史」と呼ばれることもあり、良く知らない人は歴史書と思う人、そして三国志演義を読んで物語の一種と思っている人もいるようですね。
ここについてもはっきり説明しましょう。
三国志は陳寿がまとめた歴史書です。ただし当時、陳寿は私撰、つまりあくまで個人で色々な出来事を選んでまとめたものなので、当時としては歴史書の扱いをされてはいませんでした。
歴史書として認定されたのは後の時代で、その頃には三国志をモチーフとして多くのオリジナル展開や解釈を加えた歌劇や物語が形成されていたこともあって、それらと区別するために三国志は「正史」として認定されるようになったのです。
三国志に手を加えたのは陳寿だけではなかった
前述したように、三国志は陳寿によってまとめられた歴史書です。しかし三国志は簡略されてまとめられていたこともあり、本文がとても簡単かつ簡潔に書かれていました。あくまで三国志は陳寿がまとめた、私的にまとめた歴史書だったからですね。
だけど歴史書として扱うとすると、あまり簡潔すぎる文章は参考になりません。
そこで現れたのが宋の時代の裴松之。この人物は残されていた三国時代の資料を収集して、本文に足りない部分を補うように「三國志」の注釈を付けました。これもあって、正史三国志は陳寿がまとめただけでなく、裴松之の手によって完成されていったとも言われるのです。
三国志は民間に馴染むようにどんどん姿を変えられた
さて更に時代は過ぎていき、唐の時代。現代でも三国志の登場人物を使った作品が多くありますが、既にこの頃から三国時代の人物たちを使った物語が民間でも語られていました。
その様子が分かるのが、東坡志林という書物にある一文で「町中の子供たちはわがまま勝手で親は手を焼いていた。その度にお金をやって昔話を聞かせにやっていた。また曹操が負けると大喜びした」という記述です。
この文章を見て分かるのが、三国志というのは難しい歴史書ではなく、子供たちが楽しむ娯楽の一部だったということですね。もちろん三国志の歴史をそのまま話している訳ではありませんが、それは逆に人々に馴染むように三国志が分かりやすく姿を変えられていったということです。
だから筆者は「三国志を読むなら正史を読まなきゃ」「三国志演義だけ読んだって……」というような意見はあまり好ましくないと思います。寧ろ分かりやすくまとめられている三国志演義や小説などをどんどん読んで、そこから正史の三国志に興味を持って調べて欲しいと思いますね!
三国志ライター センのひとりごと
三国志はあくまで歴史書なので、それそのものを楽しく読む、というととても難しいです。
しかし遥か昔から既に、三国志は物語としても楽しめるようにされてきています。なので興味のある人はどんどんそういった物語を読んで、三国志にもっと深い興味を持って下さい。その上で正史ではどんな動きをしたのか、参考にするべく正史三国志を読んでみて下さいね。
参考文献:
東坡志林
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