キングダム621話では、頑張っていた羌瘣がボロゾーキンにされてぶん投げられ、それを信がしっかりと抱きしめるという完全なお膳立てが完成しました。ここから普通の少年漫画であれば怒り爆発で龐煖を瞬殺するか、時間を掛けてぶち壊していき完全敗北を悟らせるという流れになりそうですが、果たしてそうなるのでしょうか?色々推測してみましょう。
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龐煖を壊すのは怒り?哀しみ
王道少年漫画であれば、バーサーカーと化した龐煖が大矛を振り下ろしてくるのを信が片手で受け止め、強力な斬撃で矛を真っ二つに叩き折り、信じられないという顔をする龐煖に強力な一撃を加えて、これが現実である事を悟らせ、次の一撃で龐煖を滅ぼすという流れになりそうです。例えるなら、ドラゴンボールにおいてカリン塔で超聖水を飲んでパワーアップした孫悟空が苦戦していた桃白白をあっさり倒してしまうようなものです。
しかし、キングダムが掲載されているYJは青年誌なので、そう単純に終わらせるのもちょっと惜しいような気もします。怒りで龐煖を破壊するのは爽快でいいのですが、もう少し深みが欲しいところではあります。そこで、キングダムの世界をトコトン深読みしてみました。
龐煖を殺し神の時代を終わらせる
キングダムの時代とは何か?秦の始皇帝の時代とは何か?と考えると、それまで自明の事とされた天命を受けた王が自分の一族や部下を諸侯として各地に封じるという社会システムが崩れていき、たった一人の皇帝に全ての権力を集中させて法と体系化された官僚制で一元的に天下万民を支配する人間の時代へ移った時代です。
神意よりも理性と慣習を積み上げた唯一絶対のバランサーである法の公平運用によって世界を一つにし恒久平和を築こうというのが秦王政の考えであり、法の下には神も地位もお金も男も女も全て対等であるわけです。
これもまた、身分制が当たり前であり、お金や地位により処罰の方法も出世の仕方も変わったこれまでの社会とは大きく違うものでした。そしてそれは神世の昔に決められたのではなく、商軮の政治の中で確立し、秦王政が李斯のような法の番人の力を借りて具現化した人間のルールでした。
これに対して、龐煖は、遥かな神代の昔から存在した武神を肉体に宿した原始的な力を宿した人の姿をした神であるわけです。龐煖は人の力など決して認めないでしょう、自分そのものが神であり、人は気分次第で蹴散らして構わない存在だからです。
だからこそ、信は他ならぬ人間の思いの力で、絶対に超えられない神の領域を打ち破り、人間の世界の到来を告げねばならない宿命を背負っています。
これは漫画的には、龐煖という神と人が混ざって存在していた遺物を打ち倒す事によって達成される事になります。いわば神堕としならぬ神殺しですね。
どうですか?この屁理屈!思い付きにしてはイケてません?ウヒョ!
何一つ成長していない龐煖
さて、龐煖と信の戦いについて考えてみましょう。
621話で龐煖はボロゾーキンにした羌瘣に捨て台詞のように言いました。
「土に還れ神堕とし」
このセリフから龐煖のメンタルは馬陽で王騎と対戦した時から一ミリも変わらない事が分かります。キングダム十六巻で王騎と対戦した時も龐煖は王騎の一撃の重さが理解できず、将軍には死んでいった戦友の思いが全て双肩に宿ると説明されても、
「死人の思いをつぐなどは勝手な夢想、人は死ねば土くれと化す」
と切り捨てています。
龐煖にとって死んだ人間は無価値なんですね、死んだ瞬間に人は土芥と変わらなくなると豪語するわけですから、多分、自分がかつて王騎の最愛の女性の命を奪った事など覚えていないと思います。それどころか、たった今自分がボロゾーキンにした羌瘣にさえ何の関心も持たないでしょう。
ところが、死人は無価値で思いを継ぐなどというのは勝手な夢想と切り捨てた龐煖は、己が切り捨てて無価値とした筈の王騎の想念に今も苦しめられもがいています。そこで、信と対峙するわけです。
その後の展開は予想できます、龐煖は力一杯に大矛を振り下ろすでしょうが、それを信は楽々と受け止めて、一言
「相変わらず図体の割に軽ィんだな龐煖」と言うでしょう。さらに、次の一撃で龐煖の矛の刃の部分を欠くような一撃を見せます。
この一撃の重さに龐煖は驚愕し、信の背後にコココを見るのです。ええ、あの秦の怪鳥、くちびるおばけ、なんというか王騎のオーラですよ。コココ・・
王騎を超える信
マズローの五段階欲求ではありませんが、キングダムにも志の大きさとして3段階があります。一番下は、①己の名声や欲望を満たすという下等なもので、龐煖や桓騎、そして、キングダム世界の99%のモブキャラが共有する価値観です。次が②自分の国の民を守り、何とか国家を維持して生き残らせようという志で、李牧やら呉鳳明やらカリンやら、この辺りのそこそこ開けた主要キャラが共有するものです。
その上にあるのが、③一国の安定を超え例え多くの血を流そうと中華を一つにして天下から争いを無くす事を目的とする志で、秦王政や李斯や蒙恬や、王賁や信や河了貂が共有しています。言うまでもなく③が最も最大多数の幸福に近くかつ実現が困難を極めます。
王騎は昭王の遺言として、昌平君に
「戦に慈悲は無用なれど奪い取った地にある民は奴隷にあらず虐げることなく自国の民として同様に愛を注ぐこと」
という言葉を託しています。
しかし、これはまだ七国の上位に立つ覇王の存在を置いたもので、中華統一を目指したシステムの概念はありませんでした。なので王騎も第二段階の志に留まるでしょう。事実、龐煖と戦った時の王騎のモチベーションは婚約者である摎を殺された事に対する怒りがメインでした。
それで考えると、王騎が背負っている思いとは、どこまでも戦場で苦楽を共にした同じ秦の同胞から受け継いだ思いという事になりそうです。ところが信は秦王政を通じて、この中華に生きる人々は敵味方の違いはあれど全て同胞であるという桁違いの志を持つに至っています。
すると、信が背負う思いとは飛信隊や秦の人々ばかりではなくこれまでに戦った六国の戦士たち全てという事になるでしょう。だから、信の刃は王騎の刃よりもずっと重くなり遂には龐煖に、人は死んだら土くれであり死者の思いを引き継ぐなど夢想という頑固な観念を放棄させるに至るのではないでしょうか?
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